轍のない道を 3

 まだ熱をもって火照る、リナのみずみずしい肌をガウリイの無骨な手がゆっくりと伝っていく。なだらかな丸い肩、汗の残る首筋をめぐり、頬の柔らかさを堪能したあとに茶色の前髪をかき分けて額を撫でると、伏せられている睫毛が震える。
「くすぐったい……」
 うん、と喉の奥で返事をして毛布の中でリナの全身を抱きしめた。
 さえぎるものが何もない状態で触れて、絡み合った余韻を楽しんでいるとまたリナが恥ずかしさに身を捩る。距離を作ろうともぞもぞ動く彼女をやんわりと押さえ込み、もう一度全身の素肌を撫でてやる。リナが感じていたところをひとつひとつ思い出しながら手を這わせていれば、リナが視線をそらしながらつぶやいた。
「……そろそろ戻らなくちゃ」
「まだいいじゃないか」
 深夜というにはまだ早く、耳をすませば宿や外にも人の気配がする時間だった。
「でも、あんまり遅いと」
「このまま一緒にいよう。荷物はそのうち取りに行けばいい」
「そういうわけにいかないわ。まだ依頼の途中なのよ」
 リナは一度請けた依頼を放置できるようないい加減な性格ではない。だが自分はもういっときたりとも離れたくないというのに、リナはあっさりと振りきって依頼人の屋敷へ戻ろうとしている。これは情熱の差なのだろうか。リナの行動はごくまっとうなものであるけれど、かみ合わなさにいらいらとした。
 毛布を肌蹴させたガウリイは小さな体を引き寄せ、鎖骨に唇を這わせる。
「あ、やだっ、もう」
 薄くて柔らかい胸を手の中に収めてとうとうリナを組み伏せる。初めてだったリナを労わらなければならないのはわかっているが、どうしてでも、体を繋げてでも引き止めたかった。
「ガウリイ……」
 責めるような、諦めの込められたつぶやきのあとにリナのほっそりした腕がガウリイの頭にまわされる。ゆるく抱え込まれたままガウリイはリナの腕の中で存分に甘えた。いとしい人と身を溶かすように抱き合っているというのにひどく苦しい。どれだけ激しく愛してもリナの全てを手に入れることは決してできないのだ。震えるような快楽、歓喜とともにどうしようもない絶望が襲ってくる。
 このまま時が止まって欲しい。男の沽券などかなぐり捨てて、どこにも行くな、お前さんがいないとだめなんだと叫び出したい気分だった。おいおいと泣いて縋ればリナも少しはつのるこの想いを理解してくれるだろうか?
 もう自分の頭の中はリナのことでいっぱいになっている。この半年でさらにひどくなったような気がする。けれど、彼女は自分のことをどれほど想ってくれてるのだろう。
(抱けば抱くほど、リナがオレのことばかり考えるようになっていけばいいのに)
 切なく願いながらガウリイは夢中になって体を動かした。


 結局、空が白む頃リナは屋敷に戻った。ガウリイは門のすぐ前まで同行し、名残惜しくリナを見送る。
「契約終了の話がついたらあんたのいる宿に引き上げるわ。すぐ終わりにできるかわかんないけど……夜までにはそっちに顔出せると思うから待ってて」
 待つ。いくらでも待つと思いながら頷く。リナがその場を去る後姿をしばらく見送りながら、これでまた一緒に旅ができるのだとガウリイは胸を撫で下ろした。
 もし拒否されたら、という不安に苛まれつつベッドの中で「また二人で旅しよう」と言うと、リナは「それもそうね」と拍子抜けするほど気軽に許諾した。軽い返事ではあったが、ほのかに照れて、喜んでるようにも見えた。きっと多少は自分を必要としてくれてるのだ。
 また、二人であちこちを旅できる――今度は半年前とは少し変わった関係で。

「兄ちゃん、リナ姉ちゃんのこいびと?」
 塀のわきで箒片手に掃除をする子供に不意に声をかけられた。屋敷の庭師の子か下働きか、掃除しながら二人を見ていたらしい。
「……まあ、そんなもんだ」
「やっぱりリナ姉ちゃんこいびといたんだな! ずっと誰か探してるみたいだったもんな」
 ガウリイは瞠目してそのとき初めて少年をじっと見た。少年は不思議そうにただガウリイを見返したあと、用事を思い出したのかてきぱきと塵や掃除道具を片付けて門の中へ去っていった。

 ――探してる様子だった? リナが?
 少年の言葉が頭の中で繰り返される。


 昨夜はあまり寝ていなかったので浅く昼寝をしたり、そわそわと旅支度を整えたりしながらリナを待つ。だが、リナは思うよりもすぐに宿へはこなかった。今日一日は仕事をすることになったのかもしれないと予想しながらも、落ち着かないガウリイはしだいに傾く陽を見ながらリナを迎えに行こうと決めた。すれ違いにならないよう、宿にリナが来たときのための伝言をぬかりなく預けて屋敷へと向かう。まだ夜になりきってないし、せっかちな行動にリナがあきれるかもしれないと思ったが、もうじっとしてはいられなかった。

「リナさまは仕事を切り上げると急におっしゃって、荷物をまとめると昼にはここを出られました」
 大仰な玄関先で出迎えられたガウリイに執事らしき男性が言う。
「……昼に?」
「さようでございます。そこからどこに行かれたかは存じません。……では」
 呆然とするガウリイの眼前で扉は閉められた。

 まだ時間があるからとどこかに寄り道しているのだろうか?
 滞在中に街に知り合いとかできて、挨拶に行ってるのかもしれない。

 あれこれと自分を安心させる理由を考えながらガウリイは屋敷の門を出た。
 宿に戻って待つのが賢明だろうか。
 また置いていかれたかもしれないという考えをガウリイは必死に振り払う。
 力なく歩いていると、急に服を引っ張られた。
「兄ちゃん! ちょっと!」
 屋敷の方角から身を隠すよう誘導される。
「あ? えーと……」
「今朝、会っただろ」
 あの早朝にガウリイに声をかけてきた少年だった。どこか焦ったような表情でいる。少年がこそこそとしてるのでガウリイもつられて身を潜めた。
「兄ちゃん、リナ姉ちゃんを迎えにきた?」
「ああそうだ」
 少年はただならぬ様子で続ける。
「実は! 大変なことになってんだよ! リナ姉ちゃんがこの街を出るって言ったそうでさ、旦那様が怒って閉じ込めちゃったんだ! 調理場でリナ姉ちゃんに薬飲ませるとか話してたし、大人はみんな俺に嘘ついてるし……」
 驚いて、思わずガウリイは少年の肩を掴む。
「なんかよくわからんが、リナはまだあの屋敷にいるってことなんだな!?」
「うん、旦那様はリナ姉ちゃんに惚れちゃってて、お客みたいにしてずっとリナ姉ちゃんにいてもらおうとしたんだけど、リナ姉ちゃんはそんなつもりないみたいで、ここを出てくって言ったら旦那様がさ……」
 少年の説明は長々と続こうとするが、ガウリイはさえぎって叫ぶように言う。
「で、リナは屋敷のどこに!?」
「え、えと、地下に倉庫があって、そこが鍵付きで頑丈だから……」
 一番重要なことは聞けた。ガウリイはすぐさまきびすを返して屋敷へと引き返す。
「リナ姉ちゃんを助けるの?」
「当たり前だろ。教えてくれてありがとな、恩に着る」
 この少年が教えてくれなければ、また自分は一人で途方にくれてしまうところだった。
 走り出すガウリイの背に向かって少年が言う。
「お屋敷、他にも用心棒が何人もいるんだよ! どうするの?」
「ぶっとばす」
 急いで眼前の豪奢な屋敷へと向かう。嫉妬や恋に狂った男(自分も含んで)はどういった行動に出るかわかったものではないので、リナが今どういう目に合わされているのかと想像するとたまらなかった。ぎゅうと斬妖剣の柄を痛いほどに握り締めた。
Page Top