轍のない道を 2

「ふあ~~」
 ただ見張りをするだけの単調な仕事に飽きて、ガウリイは大きな欠伸をした。側の護衛仲間が苦笑する。
「楽だけど退屈な仕事だよなー」
 続く欠伸を噛み殺しながらガウリイは頷いた。

 手持ちはあるにはあったが、仕事を請けながらのほうが噂が入ってきやすいかもしれないと考えて短期の仕事をしながらリナを探していた。勘は働くが人探しするには聞き込みがどうにも苦手だ。説明しようにも要領を得ないので、『リナ探し』がこれまでなかなかはかどらなかったのもある。

(簡単に見つかると思ったのに、もう半年過ぎてるもんな……)
 季節もすっかり変わってしまった。
 欠伸の代わりに今度はため息が出た。

 今は街道から少し南にある、わりと新しくて大きい街に逗留している。この近くで大規模な盗賊団が一夜にして壊滅したと耳にしたからだ。その件について調べてはいるが、まだ有力な手がかりは得られてない。その合間に請けた短期の仕事は、街の権力者や金持ち連中の集まる懇談会――豪華な食事に高級な楽団も揃ったパーティー――の会場周辺の警備だった。やることといえばガウリイ以外にも雇われた連中とともに派手な建物の周囲を見張り、たまにだだっ広い庭を巡回するくらいである。
 たいして不穏な空気も問題もなさそうで、何事もなく終わるだろうとガウリイは門のあたりの人の出入りをただ見ていた。

 そして、視力の良いガウリイにはその姿は遠くからもずっと見えていたはずなのに、それがリナだと気付いたのはだいぶガウリイに近付いてきてからだった。
 リナは小柄な体を緑と白の夜会服に包んで、まるっきり魔道士には見えない格好をしている。ガウリイよりいくぶんか背の低い、三十がらみの男にエスコートされて会場に訪れる客たちに紛れていた。

 それがリナだと気付いてからガウリイは目を見張り硬直したまま、動くこともできずただ視線で彼女を追い続けた。リナといえばとっくにわかっていたようで、ゆっくりと会場入口に立つガウリイの側まで歩いてくると、見上げて以前と変わらない笑顔をにこりと見せてきた。
「ガウリイ、久しぶりじゃない! あたしも今仕事中なの。あとでね」
 短くそれだけ言うと、身なりからして街の名士らしきその男に連れられて会場へ去って行く。半年前、あんなふうにうやむやになって別れてしまった後の再会だというのに、リナはそんなことはまったく気にしてないようなさっぱりした態度だった。

 ガウリイは驚愕の波が落ち着くと、やっと見つけた! と追いかけたい衝動に駆られたが、リナの「あとでね」という言葉に思いとどまった。あの雰囲気は、また自分の知らないどこかにすぐ行ってしまうということはなさそうに思えた。
 すれ違うほんの短い間の邂逅だったが、半年ぶりに聞く声、見た笑顔を思い出すとじわじわと喜びが湧き上がってくる。

 また会えてよかった。
 元気そうで、病気したり大怪我したりした様子もなくてよかった。
 ――オレの知らないうちに死んだりしてなくてよかった。

 護衛仲間に巡回の時間だ、と声をかけられるまでガウリイはその場に立ち尽くし、リナのことをひたすらに考え続けた。
 警備の途中ではリナがパーティーを抜け出してわざわざガウリイに会いに来た。会場から園庭へと続く広い階段を、履きなれない靴なのかそろそろと降りてくる。
「……リナ」
 やたら緊張して乾いた声が出た。
 表情が自然なものになっているかどうかが気になる。
「あなたもこの街に来てたのね。こんなところで会うなんて奇遇だわ」
 うう、とかああ、といった声ばかりでまともに返事ができない。話したいこと、訊きたいことが山ほどあるのに頭が真っ白になって言葉が出てこなかった。
「商工会に雇われてるの? あたしは護衛の依頼でここにしばらくいるのよ」
 リナがくいと指で会場を指す。見上げると階段の一番上――手すりに手を乗せてこちらを見下ろす人影がある。リナをエスコートしてた男だった。男のリナへの眼差しを見るだけでガウリイは彼の心情を察する。彼は護衛させるためだけにリナを着飾ってここに連れてきたわけではないのだろう。リナと彼の関係が仕事の契約以外にどのようなものなのか気になった。

「依頼はすぐに終わるのか?」
「ううん。住み込みで護衛の契約でね……」
 階段の途中まで降りてきた、リナの依頼人から声がかかった。
「リナさん。そろそろお願いします」
 彼はリナとガウリイが話をしているのに焦ったのだろうか、警護をせっついてくる。リナは依頼人を一度振り返ってから向きなおるとガウリイにだけ苦笑を見せた。小声でそっと言ってくる。
「心配性で、たいして危険もない場所でもついてきてほしいって言ってきかないのよ……じゃあね」
 依頼人の『男心』をまったくわかってない様子で言い、ガウリイに向かってひらひらと手を振る。
「ああ、そういえばガウリイはしばらくこの街にいるの?」
「お、おう。いるぞ」
 納得したように頷いて、リナはスカートを軽く摘み上げ階段を上っていった。
 たいした話はできなかったがリナが依頼人の家に住み込みしているということはわかったので、ガウリイは他の警備仲間に依頼人を指し示し、あの男は誰だろうと聞いてみた。すると街の住人だという男がいて、その依頼人の名前を知ることができたのだった。


 さっそく翌日にはその館を訪ね、ガウリイはリナを驚かせた。昨日の会場に負けず劣らずの見るからに豪奢な屋敷で、リナに会いたいと伝えると客間ではなく使用人が通される館の裏手に案内される。しばらくしてそこにやってきたリナは目を丸くしていた。
「よくここがわかったわね」
「この街では有名な男らしいじゃないか」
「そうそう。ご覧のとおりのお金持ちなのよー。臆病でいつも護衛してほしがるんだけどね」
 そりゃリナを束縛したがってるんだよ、と言いたかったが飲み込んだ。
 不思議と、魔道士姿のリナは夜会服のときよりも大人びて見えた。微妙に服や装飾品がガウリイの知っているものと変わっていて離れていた半年という時間を感じさせる。髪の長さやほんの少しの変化も目につく。半年の空白は長すぎだとガウリイは改めて思った。

 立ち話もなんだから、とリナを夕食に誘う。リナはいつもどおりの調子で、いいわよ、じゃあどこそこでと軽く返答してその場はそれだけで終わった。どうやら夕食に外出する程度の自由はある契約らしい。
 夕方に待ち合わせの場所に向かうとリナは先に着いていたようで、人が行き交う中でガウリイを待っていた。待ってくれていることが、リナがそこにいることがただ嬉しい。

 メニューを次々に注文する彼女の明るい声。ガウリイも負けじと声を張り上げる。食堂に着くまでもどこか探るようにぎくしゃくしていたけれど、久しぶりに店員や周囲の客を呆れさす食前の応酬をしているだけで以前の雰囲気にすんなり戻ることができたようにガウリイは感じた。
「どうしてた?」
 食事をしながら、離れていた間のことをリナが訊いてくる。
 ガウリイはあいまいな笑みを浮かべた。
「……ま、それなりに」
「そうよね、あんただっていちおう大人なんだし、あたしと会う前だって一人で旅できてたんだもんね」
 手を休めずに動かしながらさらりと言う。
 リナをずっとずっと探してたんだと言えばどうなるだろう。

 とりとめのない会話をし、料理を取り合い、笑いあう。喧嘩別れのことはどうでもいいこととなっていて、二人の間の表面的な気まずさはいつの間にか消えていた。しかし、ガウリイは楽しみながらも影で恨めしい気分が渦巻いていた。自分はリナと離れてからというものあれこれ悶々と悩み、とり憑かれたかのようにリナのことばかりを考え、ほうぼうを探して日々を過ごしてきたというのに――彼女は一人になってもどうも感じなかったのだろうか?

 自分がそばにいなくても普通に平然と生活できていた様子なのが腹立たしくあった。「あなたがいなくて寂しかった」というのは贅沢な願望としても、「いなくて困った」の一言くらい欲しい。だが、やはりなんの約束もない関係では彼女に気持ちを求めるのは欲張りな考えなのかもしれなかった。


 食堂を出ればすでに陽は落ちて、街灯がぽつぽつと心細く灯っている。
 依頼人の屋敷の方向へ歩くリナの斜め後ろにガウリイは付かず離れずの距離でいる。この距離が二人の関係を示していたのだと思いながら、人気のない道に差し掛かったあたりでガウリイはさっとリナの手を取った。
 驚いてリナが振り返ってくる。
 焦っている自覚はあったが、どうしても関係を変えたかった――今すぐに。
 街灯と街灯の合間で明かりが薄く、影も掻き消えるところでリナの手をぐいと引いて街路樹の陰に連れ込むと、リナの小さい顔を有無を言わさず引き上げてガウリイは唇を重ねた。硬直するリナの体と同じように、抱きしめる自分の腕も緊張して強張っている。何度も、淡く羽が触れるようなキスを繰り返すとリナの唇から吐息が零れるのを感じた。
 拒まれないことに安心してキスを深くし、伝わる熱に酔いしれる。恋焦がれたリナの唇は想像したよりもずっと柔らかい。
「ガウリ……ん、う」
 か細く間近で囁かれ、たまらなくいとおしく感じた。額をつきあわせながら片手で頭を撫で、髪を梳いていく。頭を撫でることは何度もあったけれど、これまでにない艶情の込められた動作にリナはどこか怯えたように体を竦ませて反応していた。
 暗がりのなか、どぎまぎと揺れる瞳を見ながらガウリイは意を決して口を開く。
「……オレの部屋にこないか」
 リナは眼を見張って逡巡を見せたが、そう間も置かず静かにうんと頷いた。
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