轍のない道を 4

 樽や木箱がところ狭しと置かれる地下の倉庫には、天井近くに格子のかかる採光の窓があり、そこからわずかな光が射し込んでいた。その光の落ちる倉庫中央、きらびやかな絹張りのカウチが場違いに置かれている。すぐ横の床に猿轡、両手両足を拘束されたリナが転がって、もぞもぞともがく。カウチごと倉庫に運ばれた後、床に落ちたのかもしれない。
「リナ!」
 廊下に倒れる見張りの用心棒を跨いでガウリイは倉庫の中に入る。リナ以外には誰もなく、特に何もされてなさそうな状況に安堵した。堅く結ばれた縄を手早く切り、リナの拘束を解きながら怪我がないか見て触って確認する。リナは猿轡を投げ捨て、軽くむせながら口のまわりをぐいとぬぐった。
「大丈夫、何ともないわ。円満に依頼終了するかと思ったのに……苦いチョコ菓子に盛られたのよ! ああもう!」
 それからここに運び込まれ、痺れ薬でままならないところにいきなり結婚を迫られたのだという。仕事があるから夜にまた来る、といったん依頼人は引き上げたらしい。

 あの依頼人の心持ちについて理解してない様子のリナに忠告をしておくか、無理矢理にでも同行して一緒にいるべきだったとガウリイは後悔した。ここは無事ですんでよかったが、何かもっとひどいことをされていたらとぞっとする。
「ンな仕打ちをしておいて結婚しろもなにもあったもんじゃないわよ! あたしにはもう……その、あんたがいるのに」
 顔を赤くしながら最後はぼそぼそと小さく言うさまが可愛らしかった。
 深く息を吐いてガウリイはリナの体を引き寄せる。
「よかった……また、お前さんに置いてかれたと思った」
「………………はい?」
 腕の中の、リナの柔らかさと匂いを感じながら泣きそうになる。
 また光を見失ってしまうところだった。
「オレさ、強がって嘘ついてた」
「……は? あの、ガウリイちょっと待っ」
「『離れてた間どうしてた』って訊かれたとき、それなりにしてたって言ったけど、オレは……不幸だった。お前さんに置いてかれた後、ちっとも楽しくなかったし幸せじゃなかった。オレが不幸でも遠くでお前さんが幸せで楽しいのならそれでいいって思おうとしたけど……オレはもうお前さんがいなけりゃダメなんだ」
 抱きしめていた腕から力を抜き、ガウリイは許しを請う罪人のようにリナの前にうな垂れる。それからリナの顔を見て――驚いた。彼女は、魔族もびびって逃げそうな恐ろしい形相でぎろりとガウリイを睨み付けている。こんな怒りの表情をしているところを再会してから初めて見た。
「ど、どうしたんだ?」
 ほとんど叫び声の、リナの鋭い声が倉庫に響いた。
「置いてかれたってなによ! 置いてかれたのはこっちのほうよ!」
「……へ?」
 ぎゅうと握りこまれたリナの両手はわなわなと震えている。
「勝手にいなくなっておいて、あたしが別れたがってたみたいに言うわけ!?」
「え? え?」
 今度はガウリイが呆気にとられる番だった。混乱する頭で必死に考える。リナは、どうやら、置いていったのはガウリイのほうだと激しく怒っているらしい。
「あんなことで喧嘩して、あたしが子供みたいに拗ねたから、あんたいなくなったんでしょ!」
「オレはそんな」
「あたしのお守りはもうゴメンだって思ったんでしょ!」
 ヒステリックに叫びながらリナは今にも咳き込みそうに肩で荒い呼吸をしている。ガウリイの襟首を乱暴に掴んで、引きちぎりそうな勢いで揺さぶった。
「いっぱい、ずっと、探してたんだから!」
「……リナが?」
「そーよ、ああそーよ!」
 怒りながらも、リナはぽろりと涙をこぼした。怒りで赤くなった頬に涙が伝い落ちていく。ガウリイはリナの感情の発露をただ呆然と見ていた。
「待っても帰ってこないし、本気で怒って先に行っちゃったのかと思ってゼフィーリアに行ったけど、あんたが入った様子はないし、また引き返して周囲の街をしらみつぶしに探して……でも、ずっと探しても半年見つかんないから、一箇所で腰を据えて探してみようとここで仕事請けたら、偶然あんたに会えたんだもん!」
 はぐれてからこの半年、二人はすれ違いながら互いを探していたということなのだろうか。
「オレは……簡単な依頼でもして頭冷やそうと思って。それが、ちょっと長引いて、宿に戻ったらもうリナがいなくて……」
 しどろもどろにしか説明ができない。
 ガウリイに疑いの視線を向けながらぱちぱちと瞬く、涙を乗せるリナの睫毛を見ていたらますます説明ができなくなってきた。
「……すまん」
 リナ泣かせてしまったことに、とにかく自分が悪く、全ての非があるのだと思えた。
「やっとお前さんと会えたとき、探してたそぶりがなかったから、やっぱりオレなんて必要ないのかと思ってた」
 それを聞いてリナは自分の額を押さえ、興奮を抑えるようにすうはあと深呼吸している。
「あたしがねえ、必死で探してきたのに、あんたはあんなとこでぼんやりのほほーんと警備なんてしてて! そりゃあまず一発ぶん殴ってやりたかったわよ! ……でも、そういうことして、あたしがまだガキっぽい奴だって呆れられるのやだったんだもん」
「だからあんなに平然としてたのか?」
「あんただって、会ったとき嬉しくなさそうだった!」
「う、嬉しかった! 嬉しかったさ! 急でびっくりしたんだ!」
 リナは突然脱力した表情になると、カウチにどすんと深く座り込んで大きくため息をつく。
「大丈夫か!?」
「なんだかどっと疲れたわ」
 そしてぽつりぽつりと言った。
「……あたし、ガウリイに次会ったらちゃんと大人に見られるよう、冷静に振舞おうって決めてたの」
 ガウリイをじろりとねめ付ける。
「そしたら案の定って感じにガウリイはいきなり大人の扱いしてくるし! 嬉しかったけど!」
「そんなつもりじゃ……オレはただ、リナと近付きたくて――」
 ガウリイもリナの側に座り込み、まとまらない考えをたどたどしく言う。
「オレも半年考えて、今度会ったらリナに気持ちをはっきり伝えようって決めてたんだ。ずっと一緒にいたのに、何も行動しないで、何も伝えないでいたのを後悔したから」
「……ほんとに?」
 リナがカウチから身を起こし、詰め寄ってくる。
「本当だ。オレはリナを置いてったわけじゃないし、お守りはごめんだなんて思ってない。すぐ怒ったって殴られたって、リナが好きだ。冷静な態度のお前さんだと、オレはそのくらい軽い存在なのかって、焦るくらいリナが大好きだ」
「だったら、勝手にどっか行ったりするんじゃないわよ! バカ!」
 ガウリイを殴ろうと振り上げられた手はそのまま縋るようにガウリイの体に回されて、リナは胸元に顔を押し付けてきた。
「ごめん、ごめんな」
 リナの背中を撫でてなだめていると、小さく肩を震わせながら泣きじゃくっているのがわかった。謝りながらもガウリイは胸の奥から湧き上がる喜びに陶酔する。
 ――リナは自分が思うよりも自分のことを必要としてくれているのだ。

 静かにただ抱き合っていると、しだいに落ちる陽に倉庫の中はもう暗くなろうとしていた。
「リナ、大丈夫か? とりあえず宿に戻るか?」
 とたん、リナは顔をがばりと上げた。
「何も『お礼』をせずに? あたしにこういうことしといて、ただですませるわけないでしょ!」
 まだ残る涙をぐしぐしとふき取ってリナは立ち上がる。
「ほら行くわよガウリイ! たんまり慰謝料をいただくわよ!」
 目と鼻を赤くしながらも不敵に笑うリナの瞳には、いつもの強気な光が宿っている。
「――ああそうだな」
 以前の阿吽の呼吸がさっと戻ってきたようだった。ガウリイも立ち上がり、リナと笑みを交わした。


 ガウリイにリナの危機を知らせたあの少年は、恐る恐る地下への階段を下っていく。
 屋敷にたった一人で飛び込んで行ったガウリイはどうなったのだろうと気になって、そっと様子を見にきたのだ。倉庫へと続く廊下にはのされた用心棒の男たちが累々と転がっていたが、その中にガウリイらしき男はいない。
 相当腕が立つんだと感心し、たどり着いた暗い倉庫を覗いてみると、そこにはもう誰もいなかった。
 無事逃げたのだとほっとしたが、ちょうどそのころ二人は彼の主人のところへ出向き、『慰謝料』を脅し取っているところだったということを少年は後に知った。




 翌日、街道にはリナとガウリイの姿があった。
 懐も温まってリナはほくほく顔だ。暗黙の了解か、何も話さなくても二人の足はゼフィーリアの方角へと向かう。
「どのルートで行こうかしら? この半年、ガウリイはどういう街に行ったか覚えてる?」
「いや……」
「でしょうね……」
「お前さんがいないとどこ行ったってつまらなかったし、見つけられなくてがっかりしたことしか覚えてない」
 そう言うとリナは満足げに微笑む。
「じゃあどこでもいいの?」
「どこでも。リナが一緒なら」
 一緒でなければどのようにすばらしい街でも意味がなく、一緒であったらどこでも――砂利道でも、雑草だらけのくさっぱらでも、訪れたことのある街だとしても楽しく新鮮に感じられる。
 ずっと二人で並んで歩いていきたい、と願いながらガウリイは緩くリナの手を取って繋ぐ。応えてリナの細い指がしっかりと握り締めてきて、胸の内が温かいもので満たされる。ガウリイはリナを見下ろし、深く微笑んだ。

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