それでもいいわ 3

「ガウリイ、おたま取って」

「おう」

 差し出した手に、すぐ柄が触れた。クリーミースープをおたまでかき混ぜ、少量すくい上げ、息を吹きかけ冷まし、それから味見する。
 リナは生クリームの味を確認しながらはたと気付いた。

「……おたまは棚の引き出しにしまってあるのに、よくすぐに出せたわね」

「リナが取れって言いそうだったから準備しといた」

 コンロから振り向けばガウリイはリナのすぐ背後に立ち、泡立て器からフライ返しまで調理道具を大量に持ちながら待ち構えていた。

「ヘンなところで気が利くのね……」

「オレ料理できないから、これぐらいしか手伝えないしな」

「そりゃ、どーも……」

 再び鍋に向き直り、スープに塩を足してしばらく煮込むために蓋をする。次は安く買っておいた豚ロースでポークソテーでも作ろうか、とリナは別のコンロに火をつけた。

「ガウリイ、フライパン」

「おう」

「菜箸」

「ほらよ」

「サラダ油」

「そら」

「大さじ」

「……それくらい目分量でいいだろ?」

「とゆーか、あんたは料理番組のアシスタントか!?」

「なんだそれ?」

 きょとんとしつつ、ガウリイの片手にはちゃっかり計量スプーンセットが準備されていた。リナはそれを見てひくりと眉を動かす。

「普通、そうやって手際よくぽんぽん物を出せるのはねえ、料理番組で適当に相槌打ちつつ助手のそぶりをしながら実は裏で調理師を操っているのは自分なんですーという雰囲気を漂わすアシスタントか医者は汗だくでも自分は一滴も汗をかかないオペ室の看護士か腕のいい手品師って相場が決まってんのよっ!!」

「そうなのか? オレって器用なんだー」

「そういう問題じゃない!」

「リナ、フライパン熱くなってるぞ」

「え、あ、ほんとだ!」

 慌てて向き直ったリナの手元がかすかに狂う──がたんっと揺れたフライパンの柄を、リナの後ろからガウリイが掴んでいた。背中を包むように寄り添うガウリイの温かさが近くて、心臓がとくりと跳ねる。

「ほら、慌てんなよ」

「う……あ……ありがと……」

「大好きだから」

「──はえッ!?」

「リナのメシ、すっごい旨くてオレ大好きなんだ。
 だからヘタに怪我とかしないでくれよ?
 楽しみにしてた晩飯が──」

「言いたいことはそれだけかぁああ!」

「うっわー! リナ、なに怒ってるんだ!?
 やめろ、そのフライパン熱いんじゃないかっ!?
 それで殴るのはせめて冷めてからに……!」

 フライパンを振りかざすリナに、ガウリイは『6時から半額!』シールが貼られた豚ロースパックをガードに突き出した。

「──ガウリイ、まな板」

「え、ハイ」

 豚ロースを下げ、しゅた!っと手渡されたまな板のカドでリナはガウリイを殴打した。床に転がった豚ロースを拾い、シンクに向き直ってラップを剥がす。味付けをしようとこしょうを手に取り逆さに振るが、ほんのちょっとはらはらと落ちてきただけで続きはなかった。

「あー! やけに軽いと思ったら中身がなくなってるじゃないの」

 プラスチック容器で中身が見えなかったので気付かなかったようだ。こしょうを使い切ってしまっている。こしょう無しで味付けするべきか……と思案していたとき、床で昏倒していたはずのガウリイががばっと起き上がってきた。

「リナはそれが欲しいんだな!
 よし、オレが買ってくる!」

 言うや否やリナの手から空容器をもぎ取り、玄関に向かって走り出す。

「ってちょっとガウリイ待ちなさい!」

 ──その時にはもうすでにドアの閉まる音がしていた。

「ガウリイ……無一文でしょうがあんたは……」

 きっと追いかけてももう追いつけないところまで行ってしまっているだろう。
 はー、と息を付き、でもこれでゆっくり料理が出来るわ、と気を取り直す。しかし──あれでも、こちらが言えばまるで心を読んでいたかのようにすぐ道具を手渡してくれる『有能な』アシスタントになっていた、ということに彼が去って気付いた。

「あいつ、妙に気が利くのよね……」

「リナ~ただいま~!」

「あ、もう帰って来たの」

 早々の帰館、さすがにくらげ脳でもお金がないことに途中で気付いたか、とツッコミ用に肉叩きを携えてリナは出迎える。

「はい、こしょう」

「わぁ~ありがと~ちょーどこれが欲しかったの~……ってうそ、早っ!?」

 手渡されたものは、確かに先ほど空になったこしょうと同じ種類で、中身のぶん少し重みのある値札シールもはられたままの新品。
 家を出て3分も経ってないはずなのに──

「どうやって……店にも行かず、お金も無しに!?」

「実は、玄関出たらすぐ1円玉が落ちてるの見つけてな、それを拾ったら、廊下で財布から小銭を探してる男がいて、『その1円玉貸してくれ』っていうから『拾ったもんだからいらない』ってあげたんだ。そしたら、その1円玉で……えーとなんつったかな……す、す、すくわっと?」

「……スクラッチ?」

「うー、たぶんそれ。そのスクなんとかをして、何かが当たったらしくて大喜びしたんだ。『この1円玉のおかげだ!』って感謝されて『何が欲しい?』と聞かれたから、リナのこしょうって言ったら『ちょうど新しいものを持ってるから』ってこれくれた」

「う、うそ……」

「嬉しくないのか、リナ?」

 呆然とするリナの顔を見てガウリイは首を傾げ、ボールを拾ってきた犬のような顔をする──『褒めないの?』と――

「……あんたはどういう幸運の星のもとに生まれたのよ?」

「生まれた日の天体がどうだったか、ってのはちょっとわからんが……」

「当たり前よ、アホか!」

 殴ろうと手を振り上げたが、その手にはさきほど手渡されたこしょうがあり……リナはのろのろとその手を下げた。

「あ……ありがとっ」

 にこーとガウリイが満面の笑みを浮かべる。見て欲しくないのに、これでもかとリナの照れた顔を見詰めていた。

「どういたしまして。
 さあ、夕飯の準備してくれよ! リナの料理は本当に最高なんだ。記憶が戻ったって絶対に一番だって言える」

「はい、はいっと──食べ物のこととなると、おだてるの上手ね」

「オレは本気だぞー」

 ガウリイが世辞など言いそうにないタイプ、とこの数日でわかってはいる。それでもついこうした憎まれ口を叩いてしまうが、見透かしたように柔く笑む彼に何も気兼ねすることはないだろうとリナは思った。


「っあ~お腹いっぱいだわ~」

 んー、と伸びをしてリナはぱたりとカーペットに横になった。
 90度横の視界でキッチンを見れば、ガウリイは食器を洗っている。料理が出来ないのならそれぐらい当然の役割分担、と最初に決めたことだ。
 一人暮らしのはずの自分の部屋に、突如加わったこの風景。大きな背中を丸めて食器洗いに苦心している姿はやけになじんでいる。前に別れたあの男すら、一歩も部屋の中には入れさせなかったのに──

「それが、心を開いてないってことだったのかな」

 ごろりと今度は天井を見た。
 ──部屋に入れる、入れないの問題ではない気がした。どっちにしろ自分はあの男に気を許すことはなかっただろう。最初から破綻することは目に見えていたのだ。ゼルガディスにすら見抜かれていたのに、自分は一体何を錯覚して行動していたのだろう?

「お酒、飲みたいわね……」

 喉と一緒にアタマも潤してくれるような、とびきり、甘いのを。

「なあ、リナ」

「どわぁっ!?」

 天井の風景を遮ってガウリイが顔を覗かせる。

「なんなのよ、急に!」

「棚の上に置かれてたんだけど、これって何だ?」

 そう言って片手で掴んでいるものを見せる。
 ピンクのリボンで口が結ばれた、細長い袋。
 すぐには思い出せず、リナは眉間に皺を寄せた。

「……そんなもの置いてあったっけ?」

「開けてみようか」

 ガウリイが袋から取り出したワインボトルを見て、リナはやっと思い出した。

「あー、それは! ねえちゃんが前に『私は辛口が好きだから』って……置いてったワインだ……」

 キッチンを片付けている時、一時的にと食器棚の上に置いたまま存在をずっと忘れてしまっていたらしい。

「酒か~。どんな味がするんだろうな?」

「……飲む?」

「おう♪」

 待ってましたとガウリイはグラスを取りに行く。多分、言わなくてもワインオープナーまで持ってくるだろう。リナは姉から貰ったワインを手にただただ目を丸くしていた。

 ──何かがおかしい。どうも変だ。
 なぜ自分の欲しいと思うものが次々と出てくるのか。
 しかも、必ずガウリイの手によって。


「ほれ、乾杯」

 小さくグラスを鳴らした。
 一口舐めて、ちらりとガウリイを見れば、ワインを嚥下して彼の喉仏が動くのが見える。

「……これ、ジュースみたいだな」

「かなり甘めね」

 もう一口、口に含んでゆっくり飲む。ほんのわずかに苦味が残るが、リナの嫌いな喉に来る酒の辛さはほとんどなかった。じっくりと甘さを味わっていると指の先にまでワインが染みていくようだった。

「おい、し……」

「リナはこういう酒が好きなのか?」

「あたしあまり強くないから、たまにしか飲まないんだけど……時にはこういうのもいいわね」

 気付けば、すぐにグラスをあけていた。
 なくなるたびにガウリイが空いたグラスにワインを注ぎ、ついでにと自分のグラスも満たす。何杯目かで、リナがゆらゆらと揺れる水面を見詰めていたら「何か見えるのか?」とガウリイもつられてじっとグラスの中を見ていた。それが可笑しくてリナはころころと笑い出す。

「ほんろに……ガウリイって、ヘンなやつ」

「おい、リナ?」

「あんらってヘン、ヘンらろよ!」

「もう酔ってるのか?」

「酔っれない」

「……そうか」

 ガウリイは神妙な顔をして座卓を回り込んできた。
 ぽす、とリナの頭上に手を下ろし、わしゃわしゃと撫でてくる。

「良い子はもう寝る時間だなー」

「っきょー! やめへー!
 あらひは酔っれないんらってば!」

 その手を退かせようと、じたばた暴れる所為で余計に髪が乱れるのにリナは気付いてないようだ。しょうがなくガウリイが手を遠ざけたところ、リナはいきなり襟首を掴んで正面から睨みつけてくる。

「ガウリっ!
 あんらねえ、ろうして、あらしの、あらしのほひい物がわらるのっ!?」

「苦しっ……ちょ、リ、ナ……」

「ごまかひゃないれ! ひゃんと、答え──」

 締めていた手が緩み、リナがへろへろと前のめりになる。
 とす、とその小さな頭がガウリイの胸に倒れこんできた。

「──リナ!?」

「……ん~このまくら、かたひ~」

「寝るのか……」

 はー、と溜息を付くガウリイに抱えられ、リナは寝心地の良い場所を探すようにもぞもぞと身じろぐ。髪を梳いてくる手がほのかにくすぐったくて、気持ちよかった。

「ガウ、リ」

「なんだ?」

「あんらって……何者らの……?」

「オレは──」

 呟きが聞き取れない。微かな意識は遠のいていく。
 そのまま、夢の世界に落ちていった。


「……ふゎぁあああ~」

 カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
 リナはベッドの上で伸びをして、カーテンを勢いよく開けた。
 陽光が清々しい。幸いなことに二日酔いにはなってないようだ。そしてもう一度伸びをしたところで、鼻腔をくすぐるいい香りに気が付いた。

「おはよう」

 キッチンから、とっくに起きていたらしいガウリイがマグカップを持って歩いてくる。湯気の立つマグカップ──芳ばしいコーヒーの香り。

「あんた、本当に気が利くわね……」

 呆れ半分、感動半分でリナはマグカップを受け取った。
 寝覚めに誰かがコーヒーを入れてくれたら──とリナはどれだけ願ったことか。口にしたこともない、学校に行けば忘れてしまうような願いだけども、今、こうしてその願いが叶っている。

「どーだ?」

「……ガウリイ……コーヒー入れるの上手いわね……」

「リナが作るの見てたからな♪」

 だったらその調子で料理もしてよ、と言いそうになったが、冗談でなく本当にやってしまいそうだと思い、リナは言うのをやめた。

「そういえば、あんたの分のコーヒーは?」

「あー……オレ、このコーヒーってのは苦くてダメだ」

 最初に部屋に連れて来た時、彼にコーヒーを飲ませたら吹いたのを思い出しリナは小さく肩を震わせた。

「よくそんな苦いの飲んでられるよ」

「くっくっ……記憶を無くす前のあんたも、コーヒーが苦手だったのかもね」

「苦手どころか、飲んだこともないぞ……たぶん」

 飲めないのに、自分の為にコーヒーを入れてくれたということか。
 この手にあるコーヒーを限りなく貴重な一杯に感じながら、リナはマグカップに口をつけた。
 その時、視界の隅に朝日に照らされてきらりと光るものが見える。白いシーツの上に長い糸のようなものが──摘んでみれば、金色の長い髪の毛。

「……なんでここにガウリイの髪の毛が?」

「オレ、ゆうべそこで寝たし」

「はあッ!?」

 傾いたマグカップから、だーとコーヒーが零れる。

「うあーっ、リナ! 零れてるぞー!?」

 ティッシュで慌てて拭き取るガウリイを凝視しながら、リナはぷるぷると震えていた。

「ゆうべ……何があったって……?」

「オレだって、そこに二人は狭いから自分の寝床で寝ようとしたんだぜ?
 でもリナが『あたしのまくらー!』って離そうとしないから、添い寝した」

「………………」

「どーした。そんな変な顔して?」

 顔面蒼白なリナの様子にガウリイはしばし考え込み、そして、ああと手を叩いた。

「安心しろよ、何もしてないから。
 酔っ払って寝こけているリナに手を出してもな~。
 リナだってそんなの嫌だろ?」

「――あったりまえじゃボケぇぇぇええッ!!」


 その日、ガウリイはめちゃくちゃになったリナの寝室を掃除するのに半日以上費やした。片付いてもまだむくれているリナのご機嫌取りのために、再度コーヒーが入れられる。それを飲みながらリナはしぶしぶガウリイを許してやった。
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