Remember my love. 6







慣れないメンズファッションのフロアはちょっぴし居心地が悪い。落ちつかずにそわそわしているあたしとは対照的に、おばあちゃんはとにかく張り切っている。
そしてショップの女性店員たちは、最初の頃こそガウリイさんに黄色い歓声を上げて騒いでいたが……今はただ魂が抜けたようにうっとりと彼を見ていたりする。

「こういうカジュアルなのもまた似合うわねえ〜。
 じゃあ次はあれでフォーマルに決めてみましょう!」

「……弥生さん……まだ着なきゃいけないのか?
 もうだいぶ試着したんじゃ……」

おばあちゃんの攻勢にガウリイさんはたじたじだ。
あたしに助けを求めるようにこっちを見る。
あー……やっぱりすんごくかっこいいかもしんない。上から下までの服全部に靴までコーディネートされると本当にモデル……というかそれ以上? これだけ目の保養っぷりを発揮してくれると、おばあちゃんももう止まらなさそうだ。

「リナぁ……いつまでこうしなくちゃならないんだ?」

「ん〜、ひととおり試着するまでは解放してくれないかもね」

おばあちゃんがディスプレイのマネキンが着ていた服に目を付け、店員に準備させている隙にガウリイさんはあたしの側にやってくる。裾から覗くタグが少し滑稽だ。
――って、やたら嬉しそうにしてるわね。

「……なによ?」

「『リナ』って呼ぶと反応してくれるから。
 数日前はそれ誰のこと?って顔してたのにな」

「それはっ……やめてって言ってもあなたが『リナ』って呼ぶのやめないんだもん!」

「お前さんの名前なんだから、そう呼ばないわけにはいかないだろー」

うぐっ……そりゃ、最初の頃よりだいぶ抵抗はなくなったわ。
ずっと呼ばれ続けてたら慣れたというのもあるし、自分が『リナ』であるということを受け入れる気持ちを持ちはじめたのもある。

「……でも慣れてきただけで、まだ思い出したわけじゃないのよ」

「今はそれでもいいさ」

ガウリイさんの手が伸びて――ぽんっとあたしの頭に置かれる。
あたしはじっと彼を見る。今度は驚くことはない――頭に置かれた手がわしゃわしゃと髪をかき回すように動き、撫でられた。

「ちょっ……とぉっ!?
 何すんのよっボサボサになるじゃない!!」

「そういう言い方とか、変わらない」

ぽつりとこぼす言葉は優しいのに、どうしてどこか悲しげなんだろう。

「……ガウリイさん、あなたは『リナ』の……」

続きをためらううちに言葉を見失う。
彼の手は頭上から横に下り、髪を梳くように撫でながら――あたしの言葉を切々と待っていた。


「――さっ、これに着替えてみて!」

「へっ!?」

振り向いたガウリイさんにおばあちゃんが服をどさっと持たせた。取りこぼさないように慌てる彼の背中を押して、有無をいわさず試着室に連れて行く。

「あ、リナっ! ちょっと待っ……」

……お、おばあちゃんってば……。
強引に試着室に押し込められるガウリイさんにあたしは苦笑を見せるしかない。
ぱたん、と閉められた試着室のドアの横には、素っ裸になって気の毒な骨格をさらしているマネキンが立っていた。

「あの服もガウリイさんに似合いそうなのよ〜」

「おばあちゃん、ほんとーに楽しそうね……」

「あら、葉月……疲れた?」

「ん、ちょっとだけ。
 ……お手洗いに行ってくる」

通路の天井からから下がる案内板をたどって化粧室へと行く。
さっき言いかけた質問は……また次の機会にしよう。


フロアの端にたどりつくと、そこは壁一面がガラス張りで外が見渡せるようになっている。
地平線をかき消す無数のビル。眼下にはビルの隙間を縫うように道路があり、そこを絶えなく走る大小の車。そして歩道には、休日を楽しむ人が大勢歩いている。
ここから見れば人々は蟻のような大きさ。
あの中に、あたしがいたら。
もし探している人があの中にいるのだとしたら。
……ここから見つけ出すことなんて不可能だろう。

そんなことを思うとガウリイさんがあたしを見つけたことが奇跡のように感じる。
約束もあてもなくたった一人、右も左もわからない世界で『リナ』だけを探して。
それは普通に考えればとても絶望的なこと――ガウリイさんは、ほんの少しでも『リナ』を探すことを諦めようとは思わなかったんだろうか。

……それでも彼はやっと見つけたのに、だというのに。
あたしは記憶がなく自分のことも彼のことも覚えてない。
それを知った時はやっぱりがっかりしたのかな……。
「それでもいい」なんて言ってるけど、いいわけないじゃない。

思い出せる……のかな、あたし。

ガラスに触れている手を滑らせると、きゅ、と小さく音が鳴った。
するとその音に重なるように――遠くから彼の声が聞こえた。


「リナ、リナぁぁー!」

「……ガウリイさんっ?」

「リナーっ! どこだ!」

それはもう呼ぶというよりも切羽詰った叫び声のようなもの。
次第に声はこっちに近付いてくる。

「リナ!」

通路にガウリイさんの姿が現れた。
あたしを見つけると、一直線に走って来る。

「ど、どうしたの? 何かあったの!?」

息急き切って必死な表情で駆け寄ってきた彼は――いきなりあたしを抱き締めてくる。
あの、初めて会った数日前のように。

「ちょ、ガウリイさ……」

「ばか! 一人でどこに行ってたんだ!
 またどっかに消えちまったかと……」

「なっ!?」

あたしはトイレに行っただけなのに、そんな理由でこんな大騒ぎをしてるっての!?
というか通行人が思いっきりあたしたちに注目してるし……目立ちまくりじゃないのおおっ!

「ちょっととにかく離してよ!
 こっち来てこっち!」

人の目を避けて、ちょうど側の非常灯のある階段へガウリイさんを引っ張り込む。

「もおっ! トイレに行っただけで大騒ぎしないで!
 ……急に消えたりしないわ」

「だってお前さん、前科があるじゃないか!」

「だからってあんな大声で……人目があるんだから」

「リナと離れたくないんだ。
 黙っていなくならないでくれ!」

って、言いながらまた抱きついてくるし!
ガウリイさんの予想外にも熱い言動にあたしはますます赤面してしまう。

「やめてよっそういう恥ずかしい台詞――人に聞かれるじゃないのっ!」

「じゃあ、聞かれても意味がわからなければいいか?」

彼は言ったあと、やにわに腕輪を外した。
あ、そうか……それを外してしまうと――

「これで誰にもオレたちの言葉はわからない」

――この世界ではあたしたち二人だけの言葉になるのか。
あたしを壁際に、額がつきそうな距離でガウリイさんは言う。

「もうあんな思いをするのは二度とごめんなんだ」

「……あたし『リナ』の記憶がないのに、それでも前と同じように一緒にいたいの?」

「そのうち思い出すさ――なあ、リナ。キスでもしたら記憶は戻るか?」

「えっ? あ、ガウ……」

唐突な彼の言葉をあたしが理解しきる前に……戸惑いのうちに、彼の唇が重なってきた。
え、ええええっ!
うそっ……あたし、ガウリイさんとキスしてる!

ほんの少し重なっているだけの、ぎこちないもの。
熱が自分の唇から伝わってきて、それから男の人の唇も柔らかいことを知る。
動悸がする。つられるように瞼がぴりぴりと震え――そしてゆっくりと、唇は離れた。
あたしにとっては……初めてのキスだけれど。

「……あなたと『リナ』はキスしたことがあったの?」

「ああ」

「ガウリイさんは『リナ』の保護者じゃなかったの?」

「ああ、保護者だ。でもずっと好きだった」

「保護者で、恋人でもあるということ?」

「……オレがリナにとってどうなのか、わからない。
 ちゃんと聞く前にリナが消えたから」

彼の指先が頬を撫でた。
あたしがそっと摺り寄せると温かな手のひらで包み込んでくれる。
そして――躊躇いながら言われた内容にあたしは驚愕した。

「リナと……一度だけ、寝た」

「………………!」

その衝撃に、殴られたように頭の中がぐらぐらとする。
……それって……!

「リナが、宿でオレの部屋に来て……な。
 不意な展開だったけど、すごく嬉しかった。
 オレたちは恋人同士になったんだと思った」

あたしを支えるように肩を掴んだ手にぎゅうっと力が入った。

「でもリナは翌日――姿を消した。
 それから一年、だ」

「そ、んな……あたし……そんな大事なことも全然……」

ぐちゃぐちゃに絡まってしまった感情が息を詰らせる。
苦悶に表情を歪ませるガウリイさんの顔が、あたしの涙でぼやけた。

「……ごめっ……どうしてあたし、全部、忘れてっ……」

「リナ……」

泣きじゃくるあたしをガウリイさんが静かに腕の中に抱き込む。
済まない気持ちでいっぱいで……涙がとめどなくぽろぽろとこぼれた。

どうしてそんなことも覚えてないの。
どうして彼の前から消えたの。
こんなに好きなくせに、彼に辛い思いさせて――。


踊場にあたしの小さな嗚咽が響いている。
ガウリイさんは何も言わずに、あたしの背を撫でていた――が、その手がぴたりと止まる。
……見上げると、彼は鋭くきつい眼差しでフロアの方角を睨んでいた。


ぞくり、と。
突然、どこからともなく悪寒が背筋を駆け上がる。
胸が押し潰されそうな重圧感――黒く濃い感情が辺りを蝕み、汚染していくような幻影。

「……何? この、空気……」


ごごん、と遠雷に似た地響きのあとに、ガウリイさんが城のようだと例えたビルが揺れた。











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