Remember my love. 7非常階段に向かって殺到してくる人々を押し分け、あたしとガウリイさんは再びフロアへ向かう。そのうちやっとすし詰め状態から抜け出すことができたが、切れ切れに建物が振動し足を取られそうになる。 よろけるたび、ガウリイさんの手が支えてくれた――気付けば、あたしと彼は手を繋いで走っていた。逃げる人々の流れに逆流してひたすらフロア中央を目指す。ガウリイさんは、ぶつかるように駆けて来る人たちから自分を壁にし、あたしが走りやすいようにしてくれている。ごく自然なその行動はおそらく無意識なんだろう。 ――あたしは空いている片手で、まだ視界を滲ませている涙を拭い取った。 「おばあちゃん!!」 こちらへ向かって逃げてくる数人の中に、おばあちゃんがいる! 特に怪我もない様子にあたしは安堵の胸をなで下ろす。 「葉月! 大丈夫だった? 地震かしら……結構大きいわね」 おばあちゃんは不安げに辺りを見回す。一緒に逃げてきた人々は立ち止まるあたしたちを邪魔そうに避けて、我先にと走って行ってしまった。 「ガウリイさんも……もう! さっきは急に血相変えて葉月を追いかけていくんだから! びっくりしたわ。 はい、これ。大事な剣なんでしょう?」 ガウリイさんに、重そうに抱え持っていた剣を渡す。 ……その剣もほっぽいてあたしを追いかけてきたのか。 「ありがとう弥生さん。ちょうど良かった」 「ガ、ガウリイさん! ここで広げちゃだめよ」 風呂敷の結び目をほどいて、ガウリイさんはいきなり剣を取り出した。おばあちゃんが慌てて落ちた風呂敷を拾い上げ、隠そうとしたが……剣を構える彼の表情を見てただならぬものを感じたらしい。おばあちゃんの動きが止まる。 ごごごぉっ! 「………………っ!」 これまでにない強い揺れ。 転ぶように座り込むあたしとおばあちゃんをガウリイさんが支える。ガウリイさんはしっかりと立っていられるみたいだが、あたしたちは座って揺れが止むまでやりすごすしかなかった。 と、手をついていた床にびきびきっと亀裂が走る! あたしは慌てて手を引いた。 これは――このまま倒壊してしまうんじゃ!? ぞっとしない自分の予想に応えるように、亀裂は音を立てて床を走っていく。 「このままじゃ……!!」 亀裂の始まる先を見ようと顔を上げ――あたしは絶句した。 フロアの壁に、ここからでもはっきりわかるほどの深く黒い亀裂が、壁一面に長く横に走っていた。亀裂はそこから幾方向にも広がり始め、葉脈のように枝分かれしていく。不自然な動きで。 「何なのあれは!?」 あたしの視線に気付いたのだろう、同じように壁を見たおばあちゃんが声を上げた。 亀裂は細く枝分かれした先で他の亀裂と繋がり、また分かれ……意図を持って模様を壁に浮かび上がらせる。 あれは、あの形は――ウロコだ。 壁に描かれた鱗に、じわじわと黒が陰影を付けていく。立体感を得た亀裂――いや、亀裂だったもの、が壁に貼りついたその身をくねらせた。 ぞろり、と巨大な黒蛇がうねる。 「なっ……! まさかあれが!?」 「魔族だ」 ガウリイさんがあっさりと肯定する。 あれが、あのでかい蛇が魔族!? どうして異世界のものがこちら側にやって来たのだろうか? ガウリイさんを追って? それとも…… 「葉月! ここにも!!」 あたしたちの足元の亀裂から瘴気が立ち上る。 亀裂によって描かれた鱗が――ざわざわと蠢き始めた。それが盛り上り、丸太よりも太い胴が地面から徐々に現れる。 こんな……夢でも見てるような光景が実際に起こるなんて! あたしとおばあちゃんは愕然とし、しばし固まっていた。 「リナ、しっかりしろ! 逃げるぞ!」 ガウリイさんがあたしたちをぐいっと引き起こす。 それにはっと気を取り戻し、あたしはおばあちゃんの手を引きながらまた階段へと駆けた。 いたるところにある亀裂から、黒い蛇の体が次々と具現する。それをまたぎ、飛び越え、出口へ急ぐ――他の人々はもう逃げてしまい、あたしたち以外は誰も残っていないようだ。 フロアを見渡せる限りに蛇の黒い胴が蠢動している。ときおり激しくくねると建物がぐらぐら揺れる。一番大きな亀裂だった壁を振り返り見てみると、蛇の頭――のっぺりとして目も口も何もなく、余すところなく全てが鱗で覆われている――訂正しよう、蛇の頭のようなもの、が鎌首をもたげていた。 「隠れろ!」 「――――!」 唐突にガウリイさんがあたしの腕を引き、柱の影に連れ込む。 「リナ、ここからちょうど向こうの階段まで隠れられる。 見つからないようにして逃げろ。いいか、急げ!」 「逃げろって……あなたは? ガウリイさんは!?」 「オレはあいつらを倒してから、後から行く」 「よしなさいっ! 今すぐあなたも逃げるのよ」 おばあちゃんがガウリイさんの袖を引っ張り、押しとどめる。 あんな化け物に一人で立ち向かうだなんて正気のさたじゃない! 「一人であの蛇と戦うっての!? んな無茶な……」 「蛇はまだいいんだ」 「……え?」 「もう一匹いる。多分そいつは、蛇よりやばいな」 あの蛇の他にも魔族が!? それがわかっててガウリイさんは戦うつもりでいる。やめて、と止める言葉が咽まで出かかるが……それを言っても彼は止めないだろう。なぜだか、わかる。 ガウリイさんが、あたしを正面から見つめて言う。 「リナ、聞け。今のお前さんじゃ魔法が使えない。それじゃ魔族と戦うのは無理だ。 だから、お前さんが今できることをしろ――まずは弥生さんとこっから脱出するんだ。 大勢の人に混じって逃げろ。そして、なるべく遠くまで離れるんだ」 「あたしの側から二度と離れないって言ってたじゃ……」 「離れないさ。そのために今あいつらを倒す」 彼の決心は固い。役立たずな自分が恨めしい。 ぎゅっと拳を握り締めた瞬間、また建物がぐらぐらと揺れる。 「急げ! オレはどうとでもなるから」 「ガウリイさんっ!」 「大丈夫だ。……ほら、この剣もあるしな」 「……戻ってこなきゃ、あたし怒るかんね!」 「ああ――あとでな、リナ」 精一杯の虚勢を張って、ガウリイさんを睨むように見た。 それからあたしはくるりと背を向けておばあちゃんの手を引き、階段へと駆け出した。 建物の周囲には距離を置きながらも大勢の人が集まり、そろって上を見上げていた。 外へと脱出したあたしとおばあちゃんは建物を降り返って息を飲む。 他の建物は無傷だというのに、このデパートにだけ縦横にヒビが入り、時々そこからの粉塵が辺りに舞い落ちる。 ごがんっ! わああっと人々が悲鳴を上げた。 突如、大きな音とともに壁の一部が弾ける! 粉塵どころではなく、コンクリートの欠片がばらばらと落下してくる。 「おばあちゃん!」 あたしたちは側の物陰に隠れ、降り注ぐ破片から身を守る。 そこからちらりと顔を覗かせたおばあちゃんが声を上げた。 「葉月、見てあれ!」 さっき弾けた壁の一部から――黒い、あの蛇の胴が現れていた。 そいつが動くたびにまた破片が落ちてくる。周囲の人々が同じように物陰で身を守りながらも、あいつの姿を見てざわざわと騒ぎ出した。 「なっなんだあれ!?」 「化け物!」 蛇はあたしたちがデパートの中で見た時よりも激しくのたうっていた。 それはガウリイさんがやつと戦っているからなんだろうか……無事なんだろうか、彼……。 彼一人に戦わせておいて、無事かどうかと心配するなんて卑怯だ。自分の目で直接彼の安否を確認したい。足手纏いでも側にいたい。何もできずにこうして遠くから見ることしかできないなんて……あたしはなんて不甲斐無いんだろうか。 「逃げろーっ!」 見物人のうちの一人が大声で叫んだ。 見上げてみれば、蛇の体の一部が――デパートからぐらりと落ちてくるところだった。すっぱりと切り落とされた断面が一瞬見える。 一部とはいえ、巨大なそれが地面に落ちたら……巻き添えになってしまう人が出るかもしれない! ――危ないっ!! あたしはただそれを見ることしかできない。落ちゆく蛇を凝視しながら、続くであろう衝撃に備えたが――切り落とされたその蛇の一部は、地面に到達する直前、ほんの一瞬前にざらっと黒い砂状に砕け、ひゅうっと風に溶け消えた。 「……なんだ……なんなんだあれは!?」 側にいた見物人が驚愕に震える声で呟く。 大勢の人々が眼前の現実についていけず、建物に開いた穴を呆然と見上げた。 そこでは、彼が、ガウリイさんがたった一人で……異世界の異形の化け物と戦っている。 さっきの、『あとでな』と軽く笑む彼を思い出す。 それを引き金に、『オレはリナの保護者だ』って苦笑するところや……時々見せた切ない表情などが次々に浮かんできた。このほんの数日だけでも、ガウリイさんはあたしの心をいっぱいに占めていて―― 「おばあちゃん、あたし行くわ」 「葉月……」 決めた。 あたしは、今から、彼のもとに行こう。 どうなるかわからないがそうしなければならない。 うだうだ悩んでる間に出来ることがあるはず! 「ごめんねおばあちゃん」 「葉月」 おばあちゃんがあたしをそっと抱き締めた――しばしの沈黙の後、ぽんっと背中を軽く叩く。 「行ってらっしゃい」 それに何と返すか……迷ったけれど、あたしはただしっかりと頷いた。 解かれた温かい腕から身を引き、おばあちゃんを一目してからデパートへ向き直る。 そして、再びその入口に駆ける。 あたしを止める人は誰もいない。皆それどころではないんだろう。 さっきよりもだいぶひしゃげた入口をくぐり、壊れかけた内部へ。 階段も部分によって崩落している……良かった、まだ階段が残っているうちに中に入れて。 揺れもひどくなっているのに、あたしは足を取られなくなっていた。身が、軽い。 不思議だ。 魔族を――『リナ』はさておき――『あたし』は初めて見たのに、怖くないのだ。 あたしの恐怖はただ一つ、ガウリイさんに二度と会えなくなること。 彼があたしの前から消えてしまったら。この世界からいなくなったら。 恐ろしさに震えが起こる。そんなこと、きっと耐えられない!! 足手纏いなのはわかっている。 でも、それでも! 「ガウリイさん!」
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