翌朝、リナは怒ってオレと口をきこうとしない。
二人で黙ったままもくもくと飯を食べていたら、宿屋のおっさんはかえって不気味がっていた。
結局一言も交わさないまま、それでもオレはリナについて行って、今日もヴイの家まで来たのだった。
リナがいつものようにソファに横になる。
屋敷にきてからもオレと顔を合わそうとはせず、前を向く表情は怒気をはらんでいた。
オレもイライラを抑えてきれず、自然と表情が硬くなる。
そんなオレ達に気付いてないのか、いつもどおりにヴイは話し掛けてきた。
「リナさん、昨日はもっとソファにもたれ掛かる感じだったんですけどねー」
ヴイはリナにポーズを修正するように言う。
「え? そう? どんなだったっけ…」
「体はもうちょっとこっち側に向ける感じで」
「んと……」
二人のやり取りを聞きながらも、無愛想に窓の外を眺めて無関心を装う。
「こうだっけ?」
「ちょっと違いますね」
ヴイがつかつかとリナの側に寄り、いきなりその細い腰をつかんで角度を調整した。
「こうですね」
「わにゃっ!?」
「!? オイっ、おまえっ!」
オレはつい声を荒げ、リナの側にあわてて駆け寄る。
「はい? 何ですか?」
呼びかけられ、ヴイがくるっと振り返る。
べちゃ。
「「あ゙」」
ヴイは手に筆を持っていたため、振り返ったとたん側に来たオレの服に、べっとりと黒い絵の具がついてしまったのだった。
「わぁぁっ! すいません! すぐに落とさないと! ガウリイさん、こっちに来て下さい!」
有無を言わさずオレを引っ張り、ヴイは部屋から出ようとする。
「えっと……あたしは?」
「そのポーズを保っててください!」
オレが部屋を出る前にちらっと見ると、リナは不自然なポーズを保つため、一人でぷるぷる震えていた。
ヴイはアトリエのすぐ隣の部屋でオレの上着を脱がせ、絵の具がついた部分を薬品か何かでぬぐいとっている。
この部屋には絵具がたくさん置いてあった。実験に使うような機材も置いてある。
「──すごい数の絵具だな」
「画家は絵具を自分で調合しないといけないんですよ。どんなに素晴らしい絵を描いても保存がきかないと意味がないですからね」
「じゃあこの絵具は全部自分で?」
「そうです。特別性なので落ちにくいんです。私の作ったこの絵具でリナさんの姿を永遠に残せるといいんですけどね」
その言葉に、オレはつい眉根をしかめてしまった。
「リナさんをそんなに独り占めしておきたいんですか?」
その言葉にぎくっとし、ヴイを見た。
ヴイは机にかがみ込み、何かの薬品が染み込んだ布で丁寧にぬぐい続けているだけ。
手を休めずにそのままの姿勢で、オレを見ずに話を続ける。
「平気な顔をしていてもわかりますよ。リナさんがモデルをしている間、ずっといらいらしてますよね、ガウリイさん」
「オレはじっとしているのは苦手なんだ。だから、いらいらして……」
「じっとしているのは苦手なのに、一日中リナさんの側にいたがるんですね」
薬品をビンから布に染み込ませ、再び服に向かい直る。
「リナさんがモデルをしているのが、そんなに気に入らないんですか?」
「誰もそんなことは言っていない」
「じゃあなぜ、あんなに殺せそうなほどの視線で私を睨むんですか?」
「オレが!?」
確かに、二人を見ているといらいらしてくる。
しかし殺気を放ってまでいるつもりはなかったんだが……
「自分がどんな表情をしているのか自覚がないんですか? リナさんを見詰める私が許せない、そう顔に書いてありますよ」
「そんなつもりじゃない。ただ、リナにあんな服とかは……似合わないんだ。あんたはあんな服を着せてリナを人形にでもしたつもりか?」
「似合っていない? 何がですか? リナさんが綺麗な姿をしているのが気に入らないんですか?」
とうとうヴイは服から顔を上げ、俺を正面から睨みつけた。
「リナは……リナは、あんな服を着なくたっていいんだ! あんたはリナが綺麗だというなら、あんな服を着たリナじゃなくっていつものリナを描けばいいじゃないか!」
「リナさんは女性ですよ? 着飾って何がいけないというんです。まぁ確かにどのような格好をしていても美しい人ですねどね」
「あいつに、あんな服は似合わない」
「どうしてそう思い込むんですか?」
ヴイの表情は厳しく、言葉は辛辣になっていく。
「あなたはリナさんをあの魔道士のマントに包んで誤魔化そうとしているんですよ。でももう誤魔化しきれないのに気付かないんですか!? ──あなたがそんなだから、リナさんはあんな悲しそうな顔をするんです!!」
「……どういうことだ?」
リナが悲しそうな顔を?
確かに昨晩ケンカをしたせいでリナは怒っている。
悲しそうな顔って……いつ? オレが見てない時に?
問いかけを無視し、ヴイは服を手に取る。
「おい!」
「そこから後はご自分で考えてください。はい、どうぞ。少しシミが残ってしまいましたが…すいません」
ヴイはいつもの表情に戻り、白々しく言うとオレに服を手渡した。
翌日、オレはヴイの屋敷へ行かなかった。
リナとはまだ仲直りをしていない。
リナに「今日は行かない」と言うとちょっとだけ眉をひそめ、「そう」と冷たく返事をしてヴイの屋敷へ一人で行ってしまった。
昨日のヴイの言葉が、オレの頭の中をぐるぐると回る。
リナを魔道士の服で包んで、誤魔化そうとしている?
そんなこと、もう自分でも気付いている。わかっている。
でも改めて他人から指摘されると、オレの焦りがつまらない独占欲から出てきているものだと思い知る。
リナがどんどん綺麗になるに従って、この手の中から離れていきそうで……不安になる。
しかし「リナが悲しそうな顔をする」って一体……?
──オレが宿屋の食堂で独り腐れていると、宿屋のおっさんが簡単な依頼を受けないか、と勧めてきた。
「あんた剣士なんだろ? 今、手が空いているなら簡単な仕事をしないか?」
話を聞くと、依頼の内容はおっさんの知り合いの荷物をとある街まで安全に運ぶ、というものだった。道中は往復で5日ほどかかるらしい。
5日だったらちょうどリナの依頼も終了する。
今はなんだか側に居辛いし……離れればオレも少し冷静になれるだろうか?
オレはしばし考えて、その依頼を受けることにした。
夜、帰った来たリナにそのことを報告する。
「え……依頼!? あたしに黙って!?」
リナが驚いて夕食のスプーンを置く。
「お前さんが何か依頼でも受けろって言っただろ? これから5日ばかりその街まで行って来る」
依頼自体はごく簡単なものだし、話を聞くと道中は特に治安の悪い場所でもない。
オレ一人で十分すぎる仕事だ。
リナはふに落ちない様子だったが、反対する理由があるわけでもなし、ぶちぶちいいながらもオレが依頼を受けることを認めたようだった。
「お前さんの依頼が終わる日までちょうどいいしな。気晴らしに体でも動かしてくる」
そこまで言い、オレは夕食の席を立つ。
部屋へ戻るオレの背にリナの声は掛けられなかった。
部屋で剣の手入れをし、刀身に自分の顔を映しながら思いふける。
今は少し、距離を持って冷静になったほうがいい。
そして帰ってきたらきっといつもどおりに接することができる。
これ以上リナに冷静でいられなくなるオレを見せたくない……
森の中、目的の町へと続く街道を一人で歩く。
リナを目の前にしなければ嫉妬に悩まされることも、そんな自分に嫌気がさすこともなくなり、冷静になれるかと思っていたのだが。
……しかし。道中、オレはリナのことが気にかかってしょうがなかった。
リナが今どうしているのか。
何を考えているのか。
目を瞑るとリナが脳裏に浮かび、風の音にリナの声を聞いた。
独りなのに、つい側に歩くリナの気配を探してしまう。
離れれば離れるほど、オレの頭はリナでいっぱいになる。
今ごろモデルをしているだろうリナを思うと、再び嫉妬で心が痛み、依頼を投げ捨ててすぐにでも引き返したくなった。
いや……モデルをしているだけじゃすまなくて、ヴイにちょっかいを出されたりしてないか? また変なトラブルに巻き込まれたりしてないか?
側にいないといろんな不安が湧き上がる。
オレは自分で思っている以上に……あいつがいなきゃダメなようだ。
考えてみれば、あいつと意図して離れたことなんて今までなかったんじゃないのか?
──いつもの場所にリナがいない。
場所だけでなくて、胸の中にも空虚な空間が生まれて広がり、蝕んだ。
オレはその寒さに身を震わせる。
何かにせかされているように──
オレはリナが側にいないことに耐えられなくて、5日はかかるはずの依頼を、結局たったの3日で終わらせて街に帰って来たのだった。