夜、宿屋に走るように返って来て、リナの部屋にたどり着く。
ドアを軽くノックするとすぐにドアは開いた。
「やっぱりガウリイ!? どうしてこんなに早く?」
驚いた顔。ほんの数日離れていただけでもリナが懐かしくて、オレは破顔する。
その顔を見ると、抱えていた嫉妬や不安が一瞬で氷解した。
「……どしたの? 依頼の日まではまだあるけど、まさか途中で放り出してきたの!?」
「いや、違う。思ったより近くて3日で済んだんだ」
同じセリフをさっき下で会った宿屋のおっさんにも言ったが、おっさんは「あの距離を? 3日で!? 無理だ!!」と心底驚いてたっけ。
部屋に入り、戸を閉める。
寝着の上から軽く上着を羽織ったリナを、窓からの月光が照らし上げ、幻想的な光景を作っている。オレはちょっと深呼吸をしてリナを真っ直ぐに見詰めた。
「今回、一人で依頼を受けてわかったことがある」
「……?」
いつもよりも真面目な表情に、リナが眉を寄せて先を促す。
「オレ、リナがそばにいないとダメみたいだ」
はっきりと言ってのけると、リナの顔が一瞬にして真っ赤になった。
「な、なななななな、何よ急にっ!」
「だから、リナが一人で依頼を受けていたって、オレはやっぱりついて行くことにする」
「で、でもガウリイはあたしがモデルしてると、ずっと不機嫌な顔してるじゃないの!」
「そりゃしょうがないだろ? 好きな女をずっと他の男の目にさらしているんだから」
「しょうがないって……え!? ……す、好きっっ!?」
「そ、好き」
「誰が、何を!?」
リナは顔をこれ以上はないほどに赤くして口をぱくぱくとさせている。
「オレが、リナを、好きなの。顔すごく真っ赤だぞ、大丈夫か?」
「だ、だいじょうぶかぢゃないでしょぉおっっ! こんなこと平気な顔でさらっと言わないでよっっ!!」
「平気じゃ、ないさ」
実際、オレだって顔赤いだろうし、かなりドキドキしてる。
「ずっと、好きだったけど……リナに拒否されるのが怖くて言えなかった。本当にただの保護者としか、相棒としか思われてなかったら思うと先に進めなかった。いろいろ理由をつけて側にいることしかできなかったけど、もうこんな立場は嫌だからオレの気持ちを伝えておく」
「が、ガウリイっ……」
リナの瞳が大きく開かれる。
オレはリナに近寄る。リナは逃げずにオレを見上げた。
「オレ、保護者を返上する。でもいきなり恋人にしてくれって言っても……急には難しいだろ? だから、ゆっくりでいいから、オレをお前の恋人にしてくれ」
リナは俯いて、ふるふると顔を横に振った。
──嫌なのか、リナ? やっぱり告白はまだ早かったか?
それから、リナは小さな声で言葉を紡いだ。
「な、によ……一人で勝手に嫉妬して、保護者辞める、恋人にしてくれって……あたしの、気持ちは聞かないでいいの?」
再び顔を上げたリナの瞳は潤んでいて。
そうか、オレ、一方的に自分の気持ちを伝えただけだった。
リナの中で、もうオレへのことが決まっているのなら。
「リナの──気持ちを聞かせてくれ」
口が、急にカラカラに乾く。
掠れた声で言うと、リナは涙をうっすらと滲ませて微笑んだ。
「あたし、ガウリイのこと保護者だなんて思ってないよ。昔から。
ずっと待ってたんだからね!
あたしのこと、そういうふうに思ってくれるのはいつかって」
「──じゃ、自惚れていいんだな?」
壊れ物でも扱うかのようにそっと抱き締めた。
リナが照れて腕の中から逃れ様としたが、かまわずにそのままさらに引き寄せて、栗色の髪に顔をうずめた。
「や、めてよっ……恥ずかしいじゃない」
「『好き』って言ってくれたら、離す」
「なっ……」
そのまま部屋に満ちる、沈黙。
やけに大きく聞こえる自分の鼓動と、2人の呼吸音。
「……す、すす…好き、かも」
やっと聞こえた、リナのか細い声。愛おしさに胸が熱くて焼けそうになる。
「──リナ」
抱き締めていた手を緩めて。リナの頤を軽く持ち上げる。
「ガウリイ」
抱えたリナの体は微かに震えていた。
リナの小さな手がオレの服をぎゅっと握り締める。
ゆっくりと顔を近付けると、唇が触れる間際にリナは目を閉じた。
ふわっと、軽く重ねる。それだけなのに、唇の熱を熱く感じた。
そのまま貪りたい欲望を無理矢理押し込んで、オレは唇を離す。
「リナ、ごめんな。他の男に見られることが嫌で、あの服がリナに似合わないわけじゃない。本当はとても……綺麗なのに。オレ、リナに嫌な思いをさせた」
「いいよ。もう、いいよ」
リナは今まで見たことがないほどの幸せそうな顔をした。
紅潮した柔らかい頬を撫でて、オレはもう一度キスを贈った。
「できた……完成しました」
依頼の最終日、10日目。
ヴイがキャンバスの前で満足げに言った。
「リナさん、ありがとうございました! 間違いなくこれは最高傑作ですよ!」
「完成したの?じゃ、見てもいい?」
「はい、どうぞ! リナさん、まず誰よりもあなたに見ていただきたい!」
リナはキャンバスに近寄り、ヴイの側にまわって完成した絵を見る。
「オレも見ていいか?」
「はい、どうぞ」
ヴイはにこやかに見るように勧める。
今まで立入ることが出来なかったキャンバスの表側。
キャンバスの前ではリナが呆然と立ち尽くしていた。
「どれ、どんな……」
リナが呆然と見る絵に、視線をやった。
そして、言葉を失う──
キャンバスに広がる空は夜空。
深く、暗い黒なのに重さはない。まるで明け方のような澄んだ空気を思わせた。
ところどころにちらばる星が瞬いているような錯覚さえ感じる。
そしてその星の光を浴びて横たわる女神。
いや、女神ではない。これはリナそのものだ。
黒い背景の中で、リナだけがあざやかな輝きを放っている。
瞳は意思の強さを表し、星よりも輝いている。
描かれた肢体は少女とも大人の女性とも言いがたい危うい艶やかさをかもしだしていて、豊かな栗色の髪はふわふわと柔らかい質感そのままに、キャンバスから溢れんばかりに流れていた。
そして、その表情が……清らかなのに切なげで、儚げで、何かを求めるように遠くの一点を強く見つめている。
「あ、あたしこんな顔できないわよ……」
「そうですか? たくさんしてましたよ、こういう表情を」
「そう、なの……? でもすごい、この絵」
「リナさんにそう言っていただけると嬉しいです! 今の私の出せる限りの力で、全力で頑張りましたぁッッ!!」
ヴイが歓喜する。
オレはバカみたいにぽかんと絵を見詰めたまま、まだ何も言うことができないでいた。
「……あ、そうだ。あたし着替えてくるわ」
リナは隣の部屋へ向かう。リナが歩くたびに軽やかな服はひらひらと揺らいでいた。
そしてリナが部屋から去ってから、オレはやっと感想を口にする。
「……あんた、本当にうまいな。見直した」
「はっはっは~そんなことありますよ。腕も確かですが、今回はモデルがよかったですからね」
「リナが描きやすいとかあるのか?」
「もちろんですよ。私が惚れた人ですから」
「ほれっ!?」
オレは絵から視線を離し、ヴイを見た。
『惚れた』という話しをしながらもヴイの表情はいたって冷静だった。
ヴイはキャンバスのリナを見ながら語り始める。
「ガウリイさん、あなたにも感謝しています。リナさんのあの豊かな表情は全てガウリイさんがいなければ見ることのできない顔ですからね……」
「オレが?」
「ガウリイさんと話をしているリナさん。ガウリイさんと喧嘩をしたリナさん。ガウリイさんが側にいないリナさん。ガウリイさんと仲直りをしたリナさん……描きたい表情はいっぱいありましたけど、ね」
リナのその時々の表情を思い出しているのか、ヴイは優しい笑みを浮かべる。
「リナに惚れたから、モデルにしたのか?」
「そうです。一目惚れです。私は今までにいろんな景色を絵に描いてきましたが、絵に描きたいと思える人に会えたことがなかった。しかし、あの食堂で──リナさんを見たとき! この人をどうしても描きたいと私の画家魂が叫んだのですッッ!」
ヴイは自分のベレー帽を握り締めて胸に抱え、片足をだんっ!と椅子に置いた。
「そう、届かぬ歯がゆい思いに切ない表情を浮かべるリナさん! あなたの想い人が私であればこの胸に抱き締めてその顔を喜びに満たせることができるのにっ! でも私では貴方にしてあげられることはこの平面のキャンバスにその麗しい姿を残すことだけなのです! しかし! 私以外の男性を思い、憂い、切ない表情を浮かべていてもあなたは何にもたとえようもなく美しい~ッ! そうなのです! 私はガウリイさんに恋する貴方が好きなのです!嗚呼、我の想いよこのキャンバスに乗り移れェッ! リナさん! 私の想いはこの絵とともに永遠です! フォーエバ~~ッ!」
……とてつもなく早口でリナへの賛辞をしゃべるヴイ。
「そ、そんなにリナに惚れていたのか……」
ヴイはオレに向き直る。握り締めてくしゃくしゃになったベレー帽を被ると、少し悲しそうに微笑んだ。
「そこまで想ってないと絵なんて描けないんですよ? でも、リナさんはガウリイさんのことが大好きなようですからね……リナさんのファンとして……ガウリイさんにお願いしますよ。彼女を幸せにしてくださいね!?」
「──わかった。約束するよ」
そこまで話をしたときに、リナが部屋に戻ってきた。
「はい、この服返すわ」
この10日間着ていた服を畳んで差し出す。
「いや、これはリナさんのサイズに合わせて作ってありますから。そのまま貰って下さい」
「いいの?」
「はい。私が持っていてもしょうがないものですし。それと、約束の報酬です」
ヴイが金貨を取り出す。
テーブルに並べて差し出すが、リナが首を傾げた。
「ん? これって……約束より多いんじゃないの?」
「あはは。実はですね、ついでにこんなのを描いてみたんですよ。まだ下書きですけど」
ヴイがリナが描かれている絵の隣に行く。そこには布の掛けられている一回り小さなキャンバスがあり、ヴイはその布を取り外した。
そこには──見る者の心を切りそうなほど怜悧な表情をした、神話に出てくる金髪の闘神を描いたもの。
しかしそれは……まぎれもなくオレの姿だった。
「これオレじゃないかっ!?」
「そうです。もう二度とお目にかかれなさそうなほどのいいモデルですからね~。失礼とは思いましたが盗み見て描いてしまいましたッ!」
「これ、上半身しか入ってないけど裸じゃないか!」
その絵をぴょこん、と覗き見たリナの頬がぽ・と染まる。
「そりゃ神話の神々は皆すばらしい造形をしていたっていうのがポイントですから。服を着込んだ神の絵なんて見たことありますかっ? ないでしょぉッ!?」
上半身とはいえ……へその下ぐらいまで描かれている。
きわどいギリギリの線じゃねぇか!?
「お、オレの裸を想像して描いたのかっ!?」
ぞぞぞ、とおぞけが走り、後ずさる。
「え? 覚えてませんか? ガウリイさん、私の前で服を脱いだじゃないですか~」
ヴイが白々しく言ってのける。
そういえば絵具を服に付けられた時に脱いだような?
まさかあれはわざとだったとか? だとしたらコイツ──オレに気配を読ませず筆を当てるなんてかなりの腕の持ち主なんじゃ……
「がっ、ガウリイ……あんたヴイさんの前でぬうどになったのっ!?」
「なっ、いやっ、違うっ!誤解だ!」
「ガウリイっ! 不潔よっ!!」
「リナっ違うんだ!」
「言い訳なんて聞きたくないっ!」
だあっ! 誤解なんだって!
オレは元凶のヴイに叫ぶ。
「おい、ヴイ! この絵は破棄しろっ!!」
「ガウリイさんに芸術を妨げる権利はありませんッ!!」
「肖像権の侵害だ~!」
オレの苦情を聞いているのかいないのか、ヴイが腕を組んで考えにふける。
「これが完成したら次はガウリイさんの石膏像を作りたいんですけど。あとリナさんの絵も10連作にしたいと思っているんです! あなたたちのおかげで、次々に沸き上がってくるんですッ! あたらしいインスピレーションがあぁッッ!!」
「リナ!次の街行くぞ!」
オレは、誤解して目を潤ませたままのリナの腕をわしっと掴み、ヴイの屋敷を後にした。
その後。
リナの絵でヴイは画家として一気に評価が高まるが、彼のギャラリーにはいつも若い娘たちが闘神の絵を見に殺到していたという。
彼女達からヴイに『闘神の全身を描いて』と何度もリクエストがあったらしいが、ヴイは『見てない部分は描けないです!』と却下したとかしなかったとか……。
終