エストレリータ 2

 たった一日で下書きを終わらせ、二日目からヴイはパレットを持っている。
 筆がキャンバスをすべる音を聞きながら、オレはリナに軽口を叩いていた。
 昨日はちょっと動揺しちまったが、オレはいつもどおりに振舞うように心がけている。
 色恋沙汰に疎いリナに「色っぽくて動揺しました」なんて知られたら、リナとの関係はきっとぎくしゃくしたものになり、今までのように平気な顔をして側にいることができなくなるだろう。
 結局オレは臆病者なんだが……リナが気付いてくれるまで、もうちょっと大人になるまでゆっくりと見守っていたいんだ。

「──馬子にも衣装ってこのことだな~」
「くらげなのに無理して難しい言葉を使わなくたっていいのよ!」
 いつもならすぐさまスリッパでどつかれているところだが、今のリナは動けないので反論するしか方法がない。
「でも、本当に綺麗だ」
 オレはリナをじっと見詰め、真剣な表情で言う。
「へ……ガウリイっ!?」
「服が」
 リナがずっこけた。
「あんたねぇっ!!」
「なんだぁ? もしかして自分のことかと思ったのか?」
「ぐっ……」
 リナが悔しそうにオレを睨んだその時。
「いやいや、リナさんは本当にお綺麗ですよ♪」
 ヴイがオレ達の会話に割って入る。
 なんだよ……お前は絵に集中していてくれよ。
「リナさん、ポーズを戻していただけないですか」
「あ、ああ……ごめん」
「──そういえばリナさんはあちこち旅をされたことがあるそうですが、セイルーンに行かれたことはありますか?」
「あるわよ」
「でしたら王立図書館のステンドグラス、見たことありますか? あれ、独特の風情があって好きなんですよ~」
「ああ、あの天井のバカでかいやつね。確かにすごかったわ」
「そんなのあったっけか?」
 オレが問うとリナはポーズを保ったまま、視線だけじろりとこっちに向ける。
「一緒に調べ物しに行ったじゃない! あんたはぐーすか寝てたけどね……」
「へー、そんなのがあったんだ」
「あったわよ。かなりの年代ものでしかも当時にしては最高技術を駆使して造ったものなのよ! 製作者も結構有名じゃない」
「リナさん、よくご存知ですね~。それでは彼の後期の作品などもご存知ですか?」
「ああ、大聖堂正面入口の装飾とか最高傑作って言われているわよね」
 ヴイとリナは芸術作品の話で盛り上がる。
 驚いたことにヴイは芸術品のために各地を旅したことがあるようだった。
 セイルーンから果てはリナの故郷のゼフィーリアまで行ったことがあるらしい。
「ええっ!? ゼフィーリアにまで何を見にいったの?」
「王城ですよ。他国の侵入を許さない堅剛な造りとゼフィーリア地方独特の装飾は有名ですからね。自分の目で実際見たかったんで、行ってきました」
 さらりと言っているが、ここからゼフィーリアまで旅をするのは容易なことじゃない。
 体力が必要だし金だってかかる。
 ましてや目的が芸術作品の為だとは、半端な情熱じゃないぞ……
「それで、王城はどうだった?」
「いや~噂にまさる城でした! ただスケッチをしてたら他国のスパイと間違われて捕まりそうになりましたけどね」
 そこまで話し、二人は笑う。
 リナは故郷の話とあって、上機嫌になっているようだ。
「ゼフィーリアのワインは飲んだの?」
「ええ、ちょ~どいい時期でおいしいのを呑むことができたんですよっ」
 二人は共通する話題に盛りあがり、オレの入り込む隙間がない。
 なんだよ、二人してオレにわからない話をしないでくれよ……
 オレがむすっとしていると、リナが声をかけてくる。
「ガウリイどうしたの?何ぶーたれてるのよ」
「いや、ちょっと眠くて」
 不機嫌な理由を睡魔のせいにして誤魔化す。
「寝てていいのよ。退屈でしょ?」
「ああ……それじゃちょっと寝る」
 オレは椅子に深く座り直した。
「いつもは気が付いたら寝ているのに、ね」
 リナがオレのほうに向き直り、笑いかける。
 オレも微笑み返して、瞼を閉じた。
 瞼裏にリナの笑顔が残る。
 寝ようとはしたのだが二人の会話が気になり、その日オレは結局最後まで狸寝入りをする羽目になった。



 ──三日目ともなると慣れたもんで、リナはポーズを取るにしても自分に楽なように、なるべく負担がかからないようにしている。
 ヴイは時々微妙にポーズを変えるように指示し、リナもそれに従う。
 筆を動かしながら、リナをちらちらと見るヴイ。
 リナはその視線を真っ直ぐに受け止め、正面を見ている。
 そういうわけではないんだろうけど、二人が見詰め合っているようでなんだかオレは気が気じゃなかった。
 なんでこんな気持ちになるんだ?
 リナはモデルをしているだけだってのに。
 側でちゃんと見守っているのに、リナがどこかに行ってしまうような不安にかられる。
 文句ナシに──綺麗なリナ。
 街を歩いている時にオレに視線を送ってくる人はもともと多かったのだが、最近はそれに加えてリナも視線を集めている。
 オレが側を離れている時にリナに声をかけてくる男の数も確実に増えているし。
 だんだんと少女から大人へ、変わっていくリナ。
 初め会った頃は本当にただの女の子と思っていた。
 でも、ほんの数回の戦闘を経てその認識が間違いだと思い知らされる。
 人も魔族さえも無視できないほどに引き付けられるその魂の輝き。
 リナの小さな体のどこにあのパワーが詰まっているのか、本当に不思議なくらいだ。
 あいつの外見がまだお子様でも、中身はすごくイイ女だってこと──オレだけが知っていればいいことだと思っていた。あいつの隠された魅力はオレだけの秘密で。
 でも、リナはどんどん大人になっていく。
 その魅力はもはや魔道士の服に隠し切れなくて、オレひとりが焦燥感を抱いている。
 なのにあんな女っぽい服を着られた日にゃあ、オレが落ち着かなくなったってしょうがないんじゃないか?
 リナの笑顔も言葉も視線も、全部独り占めしてにしておきたいんだ。
 それが、今はヴイにリナを取られてしまったようで、見守っていてもいらいらする。
 ──まてよ?
 オレはヴイの視線にリナを晒しているだけでこんなにいらいらしてるが、絵が完成したらさらに大勢の人間がリナを見ることになるんじゃぁ……
 描かれた絵のリナを見る人に嫉妬してもしょうがないが、オレはヴイがリナをどんなふうに描いてるのか見てみたくなった。
 座っていた椅子から立ちあがり、ヴイとキャンバスの側に寄っていく。
「どこまで描けたんだ?」
「わっ、ガウリイさん!見ないで下さい!」
 ヴイはあわててオレを遮った。
 ぐいぐいと背中を押し、キャンバスが見えない位置まで追い出す。
「おいおい。なんでだ?」
「私は完成してからでないと人に見せない主義なんですっ!」
「も~ガウリイ、邪魔しないでよ!」
 リナからも咎められる。
「……すまない」
 どうせ完成したら人に見せることになるんだし、途中だからってそんなに出し惜しみしなくたっていいのになぁ?



 その晩、夕飯の後リナの部屋を訪れた。
 リナは鏡の前で丁寧に髪をブラッシングしている。
 オレは入口のドアに軽くもたれ掛かりながら話す。
「なぁ~、こんな退屈な仕事、あと一週間も続けるのか?」
「退屈って……ガウリイは側でぼけっとしているだけじゃない。あなたは何か他の仕事でも探したら?」
「うーん……でもなぁ」
 オレはぽりぽりと自分の頬を掻く。
 他に仕事を探す、か……
 でもオレはリナとヴイを二人きりにさせたくない。
 悪い奴じゃなさそうだし、信頼してもいいかもしれない。
 だけど──理屈で説明できないけど、とにかく嫌なんだ。
「まったく。それじゃ本当にヒモと変わんないわね」
「いいじゃないか」
 リナはぷちぷち文句を言いながらブラッシングを続ける。
 栗色の髪はしっとりと濡れていて、淡いランプに照らされるとベルベットのような光沢を放っている。
「しかし、今日はまたえらく丁寧にブラッシングしてるな」
「そりゃ、絵に描いてもらってるんだもん♪お手入れもちゃんとしとかなきゃね」
「……なんだかご機嫌だな。はじめはしぶしぶモデルするって感じじゃなかったか?」
「そうね、あたしもはじめはこの依頼どうかなって思ってたけど、モデルも結構悪くないなって思って」
「なんでだ?」
「だって、あたしの今の姿って今しかないわけでしょ? それを絵に残してもらえるって……なんだかすごいことじゃない?」
 リナの楽しそうな様子に、オレは次第にいらいらしてくる。
「……でも下書きも終わっているんだろ? もうリナがモデルする必要はないんじゃないのか?」
「何言ってんのよ。依頼は10日間って約束だし、それでなくても絵の完成まではモデルをしたいわ」
 リナが驚いてブラッシングしていた手を止め、振り向いて言う。
 オレは腕を組んでリナを見る。焦りのせいか掌は汗を掻いていた。
「もうやめろよ。十分だと思うぜ?」
 リナには魔道士の服で十分だ。あの服を着て、他の男に会わせたくない。
「こんな中途半端に放り投げるわけにいかないじゃない! 何にいらいらしてるの?」
 あんな画家に言われるままに綺麗になるリナが嫌なんだ。
 リナを見詰めるのは自分だけでいい。リナの美しさは秘密のままでいい。
 日ごと綺麗になっていくリナを、もうオレ以外の誰にも見せたくない!!
「モデルがリナじゃないといけない必要性はもうないだろ?」
「どういうこと?」
「別にヴイはリナの肖像画を描く訳じゃないんだぜ? イメージに合う人物を探していただけなんだろ。リナを見て大体のイメージがわかったなら、あとは他の奴にでも代理にモデルをやらせりゃいいだろ!」
「他にって、他にどんな人が代理にモデルをできるっていうのよ!」
「そこらへん歩いているお子様でいいじゃないか?」
 ──これはまずかった。

「ガウリイのバカぁっ!!」
 問答無用にオレはぶっとばされたのだった。
Page Top