灰鎖 9

 内容は覚えていないことが多いが、リナはこのところ悪い夢ばかり見る。
 眠りが浅く、疲れが取れない。夢を見ているときはうなされているようで、ガウリイに揺り動かされて目を覚ますことがしばしばだった。起きてもしばらくは夢と現実のどちらが本当なのか判断がつかず、夢の混沌とした苦痛と恐怖がリナを震えさせた。
 耐え切れないときはガウリイのすぐ傍で丸くなって横たわる。彼がそっと髪を撫でてくれると、眠ることができた。彼を繋ぎとめている鎖だというのに、今となってはリナはその鎖に絡まると安心するのだった。
 鎖を鳴らしてガウリイに縋り、眠る。
 ガウリイ以外の者は知るべくもない、リナの脆い姿だった。


 ■ ■ ■


 いつもの装備を身に纏ったリナは、天幕の外で積み重ねられた木材に腰掛けていた。磨いていた短剣を鞘にしまって、ひとつ大きく伸びをする──見上げた空には、ところどころ薄い雲はあるが、晴れ渡っていた。
 いつでも戦える準備をしているのだが、このところ偵察や牽制ばかりで出撃はない。これは嵐の前の静けさなのだろう。でもそのおかげで装備の手入れや繕いはあらかた終えている。
 陽光の下で武具の確認をしながら、リナはふわりとなびいた自分の髪を一房取った。空に透かすと、乾燥してぱさついてはいるが、ちゃんといつもの栗色をしている。髪をはらって後ろへ流した。

「……まだ大丈夫。まだあたしは戦える」

 ガウリイはたびたび戦うのをやめろと言ってくるが、それはやはりできなかった。
 どれだけ虚しくても自分が戦う意義はまだ残っているはず。
 リナが戦うぶん自国の犠牲は減り戦争も早く終わる。今は感謝もされないが、武勇伝くらいは残るかもしれない。
 戦い続けることは無意味ではないのだ──おそらく。

 リナに近付く、さくりと土を踏む足音がした。振り返ると仏頂面で銀髪の、なじみの顔がある。

「ゼル」

「何してた?」

「装備の点検を」

「出番がない日でも準備万端といったところだな」

 リナは薄く笑いを浮かべる。

「そうよ。こうして、いつでも人を殺せる準備してんの」

「物騒な言い方だな」

「いまさら」

 リナの自嘲に応えることはなく、ゼルガディスは短く息をついた。

「ねえ。あたし、この戦争でどれだけの人を殺したかしら?」

 ぎょっとしたゼルガディスが眉をひそめるのを、リナは視界の端に見た。

「……おい」

「自分が殺した人間の数くらいわかってもいいのに、あたしわかんないのよ」

「なあおい、今は変なことを考えるな」

「変なことなの?
 死神だって魂を狩った人間の数くらい、きっと数えてるわ」

「懺悔は戦争が終わってからにしろ。目の前のことを考えてないと死ぬぞ」

「そうかな」

 足元の土をつま先でかき回しながら、リナはつぶやく。
 いつも遠くを見据えている視線が地に落とされるだけで、ひどく儚く、幼いように見えてゼルガディスは驚いた。
 ガウリイが庇護しようとしているのはこのリナなのかもしれない。
 心配していても言葉が見つからず、つい諭すような口調でゼルガディスは言った。

「自暴自棄にはなるなよ」

「わかってるわよ」

 余計な心配、とばかりにリナはいつものふてぶてしいまなざしでゼルガディスをじろりと見る。

「ふっ……あんたはそういう顔をしてたほうがいい。
 ──俺は、今から北師団へ向かう」

「へえ。直接連絡に?」

 言いながらリナはガウリイのいる天幕をちらりと振り向いた。
 作戦に関わる内容の話だが、この距離だったらガウリイにはまず聞こえない。

「北師団と調整がついたらすぐにとんぼ返りする。問題なければ定刻に全軍エルメキア帝都へ移動開始。帝都侵攻……決戦だ。市街戦に向けてあんたも準備しておけ」

 とうとう、か。
 リナは青い空を仰ぎ見て──籠の鳥を思う。
 決戦の前に自由にしたほうがいいのだろうか。


 ■ ■ ■


 リナは天幕に戻り、入り口の布を下ろす。一瞬だけ差し込んだ光りに浮かぶ、人影。
 ガウリイは囚われて結構な時間が経っているのにも関わらず、泰然として怒らず、焦らず、いつものようにそこに居る。
 そのガウリイを見ながらリナが立ち竦んでいると、ちょいちょいと手招きをされた。

 リナは無言でガウリイの側に膝をつき、額を彼の硬い肩に押し当てる。するとガウリイはくしゃくしゃと髪をかき回すようにしてリナの頭を撫でる。
 何も言わなくてもリナが構ってほしいことを悟って、甘やかしてくる。これではどちらが主従かわからない。リナはくくっと喉の奥で笑い、しばらくそのままにさせた。

 リナの雰囲気がいつもと違うことにガウリイは気付いて、こうしてくれているのだろう。話したいことがあるのをわかってて、リナが話し出す気になるまでただ待っている。
 リナはゆっくり顔を上げ、間近のガウリイと目を合わせた。

「うすうす感づいてると思うけど。帝都侵攻は近いわ」

「そうか……」

「エルメキアがどう足掻こうが、もう勝ち目はないと思う。
 大勢スパイも送り込んでいて侵入の手引きは着々と進んでる。寝返る密約をしている領主も多い」

 ガウリイの顔色が次第に変わってくる。ここまで具体的な戦況について話すのは初めてだった。今まで語らなかったことを矢継ぎ早にリナはぶちまけた。

「鉄壁といわれた西側の守りも薄くなってる。森の隠し道の情報を手に入れたから、城門への不意打ちは容易になったわ。あたしたちには、待機してるだけでも新しい情報が入ってくる状態なの。体制が整えばすぐにでも出陣できる。総力で攻めれば、エルメキアはすぐに落ちる……」

 ガウリイは沈黙のまま険しい顔をしている。

「やっぱり国が心配? あんたを見捨てたのに」

「……オレを見捨てた連中なんてほんの一部で、大切な人たちや大勢の民が国にいるだろう」

「帰りたいの? 帰ったって、すぐ負けるのよ。あんたは王族だから生き残ってるのがわかったら必ず手配がかかる。一生逃げ隠れしなきゃならない。捕まったら、今度こそ殺されるかもしれない。安心できる場所は……エルメキアにはもうどこにもないわ」

「それでも──」

 ガウリイが低い声で、きっぱりと言う。
 青い瞳はまっすぐにリナを見て、揺ぎ無い強い意思があるのが見て取れた。

「オレの故郷ってことに変わりはないだろ?
 エルメキアが滅びるってんなら……逃げるんじゃなくて、それを見届けたいんだ」

 ガウリイの腕に置かれていたリナの小さな手に、ぎりっと力が篭る。
 どこかたどたどしささえ感じるほどゆっくりとした口調でリナは問いかけた。

「未来がなく、絶望的でも、もし帰れるのなら帰りたい?」

「……ああ」

 その簡潔な答えが苦しくて、リナは泣きそうになった。
 天幕の中にはしばらく沈黙が続いていたが、リナはぎゅっと閉じていた目を開き、床に流れる鎖を手に取るとおもむろに引き絞る。じゃらじゃらと鳴ってそれはガウリイの首をゆるりと締め付けた。

「だったら、仕方ないわ」

 リナは紋章の入った短剣を腰の鞘から抜き取る。
 刃が弱い光を薄くはじいて、僅かに煌めいた。
Page Top