灰鎖 7

 リナがいないのですることが何もない。
 鎖で繋がれていては動ける範囲に限りがあるものの、体がなまってはいけないので時々鍛錬をするがそれも飽きてしまった。

 ──リナがいれば退屈しないんだがなあ。

 ガウリイはこの数日不在の、天幕の主を想う。
 大きくぱっちりとしているのに、ちらちらと影の差すあの赤い瞳。すっきりした形のよい唇からは凛とした声で、軍人らしいさばさばした言葉が紡がれる。互いの国の内情を言うわけにはいかないのでたわいない話ばかりをするが、時にはふとした内容で少女に相応の表情を見ることがあって、そのたびガウリイははっとする。
 ここで接する限りは、猫のように素っ気なく甘えてくるただの少女なのに──ひとたび戦場に出ればエルメキアを滅ぼし尽くそうとする魔道士でもある、おそろしいギャップのある少女。

 戦闘をほとんど一手に担っている状態のリナは、時が経つ毎に少しずつ疲弊しているようにガウリイには見えた。休めとどれほど提案しても聞き入れる彼女ではないが、限界は近いように思う。あれほど酷使されてなぜ逃げ出さないのか不思議だった。自分のように鎖に繋がれているわけでもあるまいに。
 きっと、戦争を嫌がっていることにリナ自身がまだ気付いていない。



 ガウリイが天幕で暇を持て余しているとゼルガディスがやってきた。
 リナは不在なのだからここに用はないはずだが、ゼルガディスはときおり思い出したように訪ねてくることがある。態度こそ冷たいが、リナとガウリイを気にかけているのだということがそのうちガウリイにもわかった。
 切れ長の目が鋭く、無表情でも仏頂面に見えてしまうゼルガディスにガウリイは「よう」と片手を上げた。ゼルガディスは冷静な視線でガウリイを一瞥して口を開く。

「前線視察の将軍とともにリナは明日には帰ってくるそうだ。視察が中心の予定だったが、勝利と報告を受けたから現地では戦闘があったんだろうな」

「……そうか」

 どの部隊がゼフィーリア軍と遭遇し、戦ったのだろう。こういった話を聞かされるたび、ガウリイは内心ざわついていた。部隊はいくつも壊滅しており、戦力は大幅に落ちている。エルメキア軍の体制は大きく変わっているに違いない。ガウリイは知らずため息をついた。

「ゼルは視察について行かなかったんだな」

「今回は待機だ。
 ……おそらく、そろそろ全軍出撃があるだろうからな。そしたら俺も出るさ」

「その時にはゼルはリナと一緒に戦うのか?」

「まだわからん。部隊が違うから行動を一緒にすることはあまりないが……」

「部隊が違う? 部下なのに?」

「おいちょっと待て」

 ゼルガディスがガウリイの質問を低い声で押しとめた。今度は本当にむっとした仏頂面になっている。

「もしかして俺を『リナの部下』と思ってるのか?」

「へ!? 違うのか?」

「今までそう思ってたのか……。
 俺はあいつの部下でも上司でもない。階級でいえば変わらないはずなんだがな。本来の任務があるのに、いつの間にか体良くリナの伝令役みたいなことをさせられてるんだ」

 ゼルガディスはふん、と軽く息をつく。

「あいつは将軍直下の一匹狼みたいなもんで部下はいない。しかしリナに伝令をやろうとしたら誰も行きたがらなくてな。『ツキが悪くなる』『殺される』『目が合うと死ぬ』だとか騒いで、近寄ろうとすらしない」

 ガウリイは眉を顰めた。なんだって一人の女の子をそんなに恐れるのだろう。いかつい容姿で見るだに恐ろしいとでもいうのならまだわかるが、リナは年の割りにも小さくて細くて、兵士たちの中にリナが紛れていたらますます頼りないほどに小さく見えるはず。それに日頃の尖った態度から忘れがちだが、彼女は見た目だってかわいらしいものなのだ。

 戦闘に大活躍している味方のリナを、そこまで恐れる理由がわからない。
 リナの静かな寝顔の、精巧な人形のような造作を思い出しながらガウリイは首を横に振った。

「リナはふつうの女の子だ。怖がられるような──」

「力があるからさ。
 普通の人間だったら、自分には到底及ばない力を持つ者が目の前にいたら怯えるもんだ。強力な魔法を目の前でぽんぽん使われてみろ。大抵の奴は腰を抜かす」

「……そういうゼルは、どうしてリナを怖がらないんだ?」

「俺の祖父も魔道士だった。だからああいう手合には慣れている。
 もっとも、祖父はソトヅラだけは良かったからむしろ尊敬されてたけどな……実のところ、影でやってることはリナよりもずっと性悪な魔道士だったぜ」

 祖父の何を思い出したのか、ゼルガディスはとてもただ懐かしんでいるようには見えない笑みを口の端に浮かべた。

「そうだ、リナの家族はどうなんだ? 家族のことをリナの口から聞いたことがない」

 ゼルガディスは片眉を上げて、ガウリイをじっと見据えた。

「そんなに知りたいか? あいつのことを」

 ガウリイは頷く。
 家族だったらリナを『ありのままのリナ』として容認しているのではないかと考えたが、続くゼルガディスの言葉に沈黙した。

「大まかにしか知らんぞ──あいつは、まあ良い家柄の生まれではあるんだが、私生児らしい」

 眉をひそめるガウリイに構わず、ゼルガディスはリナの生い立ちを簡潔に続けた。

「母親はリナが幼い頃に病死したそうだ。それからリナを庇護するものはいなくなった。親類からは『いないもの』として扱われ、そのまま寄宿学校に入れられたらしい。ま、身一つで放り出されるよりマシだな」

 ガウリイは渋面を浮かべる。このような扱いをされていたのでは、家族はいないも同然ではないか。

「だが幸か不幸か、リナはそこで魔道の才能を見出された。
 幼くして母を亡くし、親類からも見捨てられたあいつが世間に認められるには、魔道を極めるしかなかったんだろ」

「そんな子供の頃から……」

「だからあいつは戦うことしか知らない。あんたが戦うのをやめろと言っても無理な話なのさ」

 言外にリナを普通の女の子と思おうとするのは諦めろ、と言われているようだった。

「でもだからって。リナは戦うためだけに生きてるわけじゃないはずだ!」

「何を必死になって庇おうとしてるんだ。あんたは敵なのに。
 リナの戦歴を聞くと『戦うために生まれてきた』って思えてくるぜ。あんたが捕まることになった平地林の戦いでどれだけの隊をあいつ一人で壊滅させたと思う? 敵の常駐する村を水攻めするためにと重要な防波堤を決壊させたのは知ってるか? 苦戦していた山間僻地の敵勢を撃破できたのは、不可侵といわれる神殿もろともあいつが攻撃したからだ。それから」

「……もう、いい」

 呟きで遮るガウリイをゼルガディスは冷徹な目で見遣り、リナの武功を並べ立てたらきりがない、と言って肩をすくめた。

「リナは活躍しすぎた。それで、災厄をもたらすと言われ恐れられている。だがあいつは自分のことを可哀想な魔道士だとは思っちゃいないさ。あれでもいっぱしの軍人だからな。可哀想と哀れむのは、お前のエゴだ。
 ……譲歩してあいつが可哀想な存在だとして。今のあんたに何ができる?」

 言われて、ガウリイは目を伏せた。鎖と、それに繋がれた自分の手が嫌でも目に入った。
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