灰鎖 6

「ふん……まだ悪あがきを続けるか」

 高台に立つ将軍は、下方からの矢の射程に入らないことを厳重に確認しながらあたりを単眼鏡で見回す。眼下に広がるのは深い森ばかりだった。この森のどこかに掩撃部隊が潜んでいるらしいが、森に入らないことには見つけ出すのは難しい。人数で勝っているからと油断し、不用意に踏み込んではどこから襲撃を受けるかもわからない。

「どこに潜んでいるか、まだ話す気になれないか?」

 振り返る将軍の視線の先には、捕らえられたエルメキアの斥候がいた。

「仲間が殺されるとわかっていて、売る奴がどこにいる!」

 縛られ、地面に引き倒され、情報を吐けとさんざん痛めつけられても斥候は反抗的だった。将軍に飛び掛らん勢いで身を乗り出し、叫ぶ。

「よくも、国を……仲間を……! 貴様らを絶対に許さない!」

 この手の雑言は聞きなれてるのか、将軍は少しも反応せずに捕虜を無視した。
 傍らの部下に「インバースを呼べ」と言いつける。

「……ここに」

「そこにいたか。
 お前も聞いているだろう? この森に敵部隊が潜んでいるらしい。規模はそう大きくもなさそうだが、帝都侵攻が近いこの時期、兵力は可能な限り温存しておきたい。
 インバースよ、あの一帯を焼いて敵を掃討しろ。命令である」

 リナの国への忠誠心を問うように、将軍は『命令』の部分を強調して言い放つ。
 リナは短く無表情に了承の返事をすると、すぐさま意識を集中させた。それに伴って周囲の空気がざわつき始め、リナのマントや髪を揺らした。

「な、なにを?」

 捕虜の疑問に答えてくれる者はここにはいない。彼が事態を理解する前に、リナから森へと赤光が伸びていく。
 彼の仲間を隠す森へ、まっすぐ──

 リナはカオス・ワーズを朗々と紡ぐ。
 集中を最大限に高めて呪文が完成する間際、リナの耳に捕虜の「やめろ」という叫びが聞こえた気が、した。
 そのまま術を発動させる。

 爆発の、目を焼く光と地面を揺らす衝撃。
 あまりの激しさにゼフィーリアの兵士たちも身を硬くし、むせ返るほどの土煙が晴れていくまでじっとやりすごす。
 しばらくして、眼前に現れた光景は──大きくえぐれた地面と焦土だった。
 深い森は一瞬にして消えうせてしまった。そこにいたはずのエルメキアの部隊もろともに。

 将軍は満足げに頷く。

「ふ、ふははは! さすがだ、インバース!」

 歪んだ笑みから、引き攣れたようにも聞こえる笑いがこぼれる。リナに恐怖しながらも、この功績は彼女を従えている自分のものだと賛美する笑いだった。

「みろ、この平野を。また進軍がしやすくなった」

「……では私は」

 言葉少なに下がるリナの背後に、将軍の言葉は続く。

「エルメキアを取ったあかつきには、お前は間違いなく英雄と称えられるぞ」

 リナは沈黙したままその場から去る。
 あの捕虜の敵兵は、消失した森を前にうずくまって怨嗟の声を上げていた。

(当然よね、味方を殺されて平気なわけがない)

 ──リナは本陣に置いてきたガウリイを思い出す。

 ガウリイだって、心の奥底では彼のように嘆き悲しんで、自分を憎んでいるかもしれない。
 そう考えてリナは表情をしかめた。忌み嫌われるのは慣れているが、ガウリイに憎まれることを想像するとひどくどこかが苦しくなる。罪悪感なんてものは、もうとっくの昔にどこかに忘れてきたはずなのに。


 将軍の前から退出するリナを味方の兵士たちは恐れ、引いていく波のように道を開けている。

 そう、嫌われ、避けられるのなんて慣れている。
 忌み人が通る、と陰口を叩かれるのも。
 どんなに活躍して出世しても、昔からリナの周囲は変わらない。

 将軍の『英雄』という言葉は、自分から一番遠いところにあるようにリナには思えた。


 味方にもこんなに恐れられて。
 敵とはいえ、今のように多くの命を一瞬で葬り去って。
 ここまでして自分が守りたいものは何だろう? 得たいものは?

(あたしは、何のために。誰のために)

 無性にどこかに帰りたくなった。
 自分はどうすればいいのか──無理矢理手に入れた、あの男に縋り付いて問うてみたい。

 ひそかに自分を憎んでいたとしても、彼ならただ優しく宥めてくれそうな気がした。
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