灰鎖 5

「ゼルっ! ガウリイがいないわ!」

 血相を変えて天幕に飛び込んできたリナを見て、居合わせたゼルガディスの部下は思わず驚きの声をあげる。目の据わったリナから距離を取り、ゼルガディスに一礼すると怯えも隠さずにそそくさと去っていった。
 ゼルガディスが口を開く前にリナは矢継ぎ早にまくしたてる。

「あたしの天幕に複数の足跡。そして壊されてない錠。ということは鍵で開けたんだわ。誰が、どうして。一体どういうこと!?」

「落ち着け」

 どうやってなだめたものかと、ゼルガディスは思案しながらリナの前に立つ。

「俺もさっき報告を受けたんだ。
 ──視察にグリッツ公がいらしてるのを知ってるか」

 眉をしかめたリナがいらいらと頷く。

「役に立ちそうにないのをぞろぞろ連れてきてる人でしょ。それがなんなの」

 戦況はゼフィーリアの優勢に進んでいる。もう安全と踏んだのか、激励と視察を兼ねてこの軍営地に公爵が訪れていた。
 戦争に参加したというポーズを示したいだけだろうが、護衛として大勢の近衛兵を引き連れている。その兵士たちは戦闘に参加しない人員だし、早々に本国に引き上げると耳にしていたので、公爵がいようがいまいが関係ないこととリナは思っていたのだが──

「エルメキアの王子が捕らえられ、まだ生きていると聞いて奴隷にご所望されたそうだ。
 ……都の家族のための土産か、それとも自分のための土産なのかはわからないがな」

 敵国の王子を奴隷にしたとなれば権力の誇示になるし、ガウリイの容姿についても聞き及んでいたのかもしれない。
 リナは丸い目をさらに大きくした。

「そんな! あたしの了承もなしに!?」

「あんたの了承がいる身分じゃないだろ。
 要求されれば、将軍だってすぐに従うさ」

「でも! あいつは、ガウリイはあたしのものよ!」

 いつも冷静に戦局を判断しようとするリナが──まるで子供のように駄々をこねているのをゼルガディスは初めて見た。額に青筋を浮かべ、我慢ならない様子で迫ってくるリナに自分さえ思わず怖気づく。

「ガウリイは、今どこに?」

「グリッツ公は明日出立の予定だから、従者の天幕か私物といっしょに扱われていると思うが……」

 赤い瞳をぎらぎらと光らせて、リナはくるりと背を向けた。
 激しい怒気を纏う背中にゼルガディスは慌てて声をかける。

「相手はあんたよりもものすごく偉いって理解してるか?」

「重々承知よ」

 すたすたと天幕から出て行く。わずかに見えたリナの口元はつり上がっている。
 嫌な予感にゼルガディスも後を追って天幕から飛び出した。

「おい、少し冷静に」

 ゼルガディスはぴたりと歩みを止める。ついさっき出て行ったはずのリナの姿が見えなかった。ぐるりと見回しても、どこにも見当たらない。

「まさか……まさか、な」

 言い聞かせるようにつぶやきながら、ゼルガディスは本営の方角へ歩き出した。馬鹿なことはしてくれるなよ、と祈るような気持ちで足を速める。
 しかし、すぐに自分の考えが甘かったことを思い知った。

 兵士たちは呆然と、公爵の天幕の方向を見ながら立ち尽くしている。ちらほらと近衛兵の姿もみえた。
 そこには陽光を受けてきらきらと水晶のように光る、巨大な氷柱が乱立していた。天から落とされたかのように突き立ち、天幕もろともあたりは氷付けになっている。

 公爵よりも、リナ自身が一番喧嘩を売ってはいけない相手だったのだと考えながらゼルガディスは深くため息をついた。


 ■ ■ ■


「ぅえっくし!」

 気の抜けたくしゃみが天幕に響く。
 ときおり鼻をすすり上げながらガウリイは温かい飲み物を口にした。手錠や鎖は元に戻されている。
 ここはリナの天幕。新たな主人の元へと連れ出されたはずだったが、気付けば元の場所にいた。正面に立つのはリナではなく、淡々とした表情のゼルガディス。

「──で、あんたを巻き添えにしつつ公爵閣下や兵士もろとも氷漬けにされたってわけだ。炎系の呪文でなかっただけ、少しは配慮したということだろうな。
 公爵は寒さと恐怖で寝込んで、リナは将軍からお叱りを受けてるところだ」

「こんなことしちまって大丈夫なのか、あいつは」

「大丈夫だろう。厳罰されることはないさ……戦があるうちは」

 ガウリイは渋面を作る。
 リナはたいした咎めを受けることなく、また主力として戦場へ駆り出されるのだ。

「お前ら、リナに頼りすぎだぞ。働かせすぎだ」

「今の立場でものを言っても負け惜しみにしかならんぞ。
 確かにいささかリナに負担が偏っているが、適材適所な配置をしているだけだ。それに本人の希望もなるべく酌んでいる。それで連勝してるんだ、問題はあるか?」

「勝つためとはいえ……リナは疲れてる」

「疲れてるのは皆同じだ。
 あんたは奴隷なんだ、偉そうなことは逃げてから言え」

「そうなんだけど。陣地から出発したら逃げようと思ってたのに、気付いたらまたここに連れ戻されてた」

 しれっと言ったあと、ガウリイは「まいったな」と呟いた。
 あまり参っているようには見えないが。
 ゼルガディスは腕を組んで薄く笑う。

「てっきり諦めてるのかと思ったら、逃げる気はあったのか。
 ……なるほど、移送中だったらここに繋ぎとめられているよりは逃げやすいな。周囲に森や隠れる場所も多いし、あんたには地の利もある」

「ここから逃げようとしても見張りの兵が多いからなあ。
 それに──」

 ガウリイは苦笑を浮かべる。

「リナがいる『ここ』は、なぜだか逃げにくいんだ」

 囚われの奴隷の身だというのに、その言い方はまるでリナを捨て置けない保護者のような口ぶりだ。
 ゼルガディスは片眉を上げてまじまじとガウリイを見る。

「……変な人だな、あんた」


 ■ ■ ■


 ゼルガディスと入れ替わりにリナが天幕に戻ってくる。
 説教にうんざりした──という表情で天幕に入ってきたが、定位置に座るガウリイを一瞥して、目をぱちくりとさせた

「なんなの、その格好」

 ガウリイの服が、前と違ってきらびやかな絹のものになっている。みすぼらしい格好をさせられていたガウリイに、とりあえずの敬意を払って着替えさせたのかとも思ったが、その割には悪趣味だ。

「ああ、これな。なんやかんや言われて着替えさせられた」

「あんたを鑑賞用にでもするつもりだったのかもね」

 言いながらリナは身に着けていた装備を外していく。
 戦いから戻ったままであの騒動を起こしたので、いい加減くたくただった。

「オレが前に着てた着替えは?」

「あるけど、後にして。眠たい」

「わぷっ」

 クッションがわりに毛布をガウリイに押し付けると、ごろりと寝転がって彼の膝に頭を乗せる。

「おい」

「また消えたりしたら、承知しないわよ……」

 脅すような台詞と裏腹に、もぞもぞと毛布に小さい体を潜らせるリナはますます子供っぽく、まるで甘えるしぐさに見えた。警戒もせず瞼は閉じられ、しばらくするとすぐに寝息が聞こえてくる。

 ガウリイは無言のまま、人恋しい少女の髪をただ梳いた。
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