灰鎖 3

 体力の消耗を伴う『治癒』で回復したにも関わらず、ガウリイはすぐに起き上がれるようになっていた。手足を捕らえられながらも、準備された食事を器用にぱくぱくと食べていく。あれだけの怪我を負ってまるで死人のようだったのに、とリナは彼の体力に半ば呆れた。
 あのまま放置されているよりは状況は好転したのだろうが、囚われの身であることに変わりはない。現在のわが身を少しは嘆いてもよさそうなのに、彼はさして困る様子も悩む様子もなく──リナには平然としているように見えた。これは、彼は度量が広く何か考えがあってなのか、それともただの馬鹿なのだろうか。

「ねえ、敵に捕まってるって自覚してる?
 あたしはあんたを引き取っただけで助けたわけじゃないんだけど」

「わかってるぞ。だから、こうして食べれるときに食べてる」

「あんた、奴隷になったのよ。賓客でも捕虜でもない。だから、もう帰れない」

「そうなのか。まあ……どうにかなるんじゃないか?」

 呆れて嘲笑も出てこなかった。
 リナは軽く息を吐いた。これは、ただの馬鹿ではないだろうか。

「どうにかって……能天気ね。
 故国に見捨てられて、誰も助けにこないし、救いもない。あんたはそんな状況なのよ」

「助けか……そうだよなあ、こないだろうな」

 自分の顎を撫でようとして枷に片手を引っ張られ、ガウリイは手を再び膝に置いた。
 常にのほほんとしていて真剣に考えているようには見えず、リナは少し苛立つ。これが彼の性格なのかもしれないが、その鷹揚としたさまは囚われの者には相応しくない。捕まったときからこの様子だったのなら、きっと尋問した者もさぞかし苛立ったろう。

「こないだろうって、あんた一応王子様なんでしょ?
 こんなふうにあっけなく見捨てられるなんて一体何したのよ」

「うーん。跡継ぎは兄がいるからオレは予備みたいなもんだし。あと出兵するときに父と殴り合いの喧嘩したから、怒ってるのかもしれん」

「……は?」

 耳を疑ったリナはまじまじと彼を見る。苦笑を浮かべ、ガウリイは続けて話した。

「オレ、父と仲悪いんだ。
 父──王は、オレだけじゃなくて、国のためだとか作戦だっつってすぐ兵士を見捨てようとするからむかついて、な。兵士がコマだってのはわかるが、それでも使い捨てにされるために地道に訓練して出兵して戦ってるわけじゃない。こっちは命がけで頑張ってんのに、城の中でぬくぬくしてる奴に死ねって言われたら腹立つだろ?」

 リナは敵軍の捨て身の防衛を思い出す。
 時間かせぎにもならない愚策な編成をいくつか見た。中には、リナが出るまでもない圧倒的な戦力差の戦いもあった。それほどエルメキアは追い詰められているということなのだろう。この数ヶ月で既に三つの州を落としている。じわじわと確実に前線を進め、エルメキアの帝都はもう目前だ。

「それで、反抗的なあんたは最前線に出陣させられたってわけ?」

「ああ。戦場で死ぬか敵に捕まって死ぬか。どっちでもかまわないって思われてる」

 それで、とリナは納得した。王族が防衛前線の指揮を取るなんて普通はありえない。よっぽど人手が足りないのか、もしくは味方を鼓舞するための作戦かと思ったが、単にガウリイが捨て駒として扱われていたからなのだ。

「王族が前線にいるなんておかしいと思ったわ」

「そうか? オレは魔道士が前線にいることのほうが意外だ」

「……エルメキアは魔道士の重用をしてないからでしょ」

 リナのように戦闘と魔道、両方に秀でている者というのは稀にしかいない。そして大きな魔法を使える魔道士がいるかどうか──それは、ゼフィーリアの開戦の判断基準にもされる事項だった。
 そのために、リナはこうして特別扱いを許されている。

「魔道士が戦場にいても後方支援がせいぜいだと思ってた。オレがエルメキアで見た魔道士ってのは──みんな学者みたいなもんだったぞ」

「……戦場での魔道士が重要視されない国だったらそうなるかもしれないわね。魔道士の本分は『真理の探究』にあるといわれているし」

 リナも、最初は魔道の学びやで大勢の学徒とともに勉強していただけだった。いつからこんなふうに一人になったのだろう。

「魔道士がこんなに手ごわいもんとは思わなかったが、だからってお前さんみたいな子を主力として使うなんてなあ……」

 いたいけな子供を見ているかのような、ガウリイの視線が気に入らない。
 リナは唇の端を吊り上げて笑った。手元の鎖を引くと、ガウリイの首に回された鎖が緩やかに締まりだす。

「なに? 負け惜しみ? あたしみたいな子供に撃破されて、悔しいの?」

「強いからって、ゼフィーリアの連中は前線でお前さんに……人殺しさせるのか?」

「力ある者が戦ってなにがおかしいの。あたしがしかできないことなら、あたしは一番前で戦う」

 鎖を強く引かれて、ガウリイは小さく声を漏らした。ただ、目線はしっかりとリナを見ている。

「ゼフィーリアがエルメキアに勝つまで。あたしは戦い続けるわ」

「お前さんの真理とやらは戦場にあるのか?」

「うるさい!」

 リナはいらいらと頭を振った。幾度か深呼吸する。
 動揺を狙って彼はこんなことを言ってきたのだろうか。
 いや、そこまで考え深いのならこんなふうに囚われの身になることはなかっただろう。この男はただ正直なのだ。

「……あんまり怒らせないで。
 ここには道義も礼儀もない。問われるのは力だけ。あたしが若い女だってのは戦いに関係ないのよ。わかってるでしょ!」

「でも。お前さんは苦しそうじゃないか」

 リナは目を見開く。人をさんざん苦しめてきた自分が苦しんでるだなんて、これまでかけらも考えたことがなかった。
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