灰鎖 2

 なんだ……?
 敵の攪乱に、ってだけのつもりだったのに……
 オレ、足伸ばしすぎて天国まで来ちまったか?


 ぼんやりとした視界に長い髪の少女が見えた。
 戦場にこんな少女がいるはず、ない。自分は今どこにいるのだろうか。

 幻のように少女を見ながら、ガウリイは敵に囚われて尋問を受けていたことを思い出した。尋問というよりはむしろ拷問であったけれど。
 まだあちこち痛んで重い体を動かすと、じゃらりとどこかで鎖が鳴る音がした。

「もう動けるの」

 呆れたような、そして静かな声音で彼女が言う。起き上がろうとしたが、それだけでずきりと痛みが響いて力が入らない。それに、戒められているようで体が自由に動かせない。諦めて大人しくすると彼女は中断した治療を再開させて手をゆっくり動かした。温かな光がガウリイの傷を包み、痛みが次第に薄らいでいく。
 癒しの光に照らされる少女の横顔は無表情だった。栗色の髪、入日色の瞳、呪文を唱えてうっすらと開かれる唇──そのか細い造形は戦場には縁遠すぎる。

「ここは……どこなんだ? 君は誰だ? オレは、どうして治療を受けている? 誰かに助けられたのか?」

 彼女へ手を伸ばそうとすると、両の手に太い枷が嵌められいてるのに気付いた。枷から伸びる鎖を目で追うと、それは地面に突き立てられた杭に繋ぎとめられている。足も腕と同じようにがっちりと嵌められていた。呼吸すると首にも重さを感じる。鎖を巻かれているようだった。

「そんな一度にきかれても答えられないわ」

 言って、手桶を引き寄せると水に浸した布でガウリイの顔をぬぐう。彼女は額、頬と纏わりつく髪を退けながら汚れをふき取り、へえと目を丸くした。

「随分、整った顔をしてるのね」

「──エルメキアの王子様は美丈夫と有名だからな。そしてたぐい無い剣豪であることでも有名だ。油断するなよ、隙を見せたらまずやられるのはあんただぞ」

 天幕の入口から男の声がする。ガウリイがそこへ顔を向けると、怜悧な表情の銀髪の男が佇んでいた。簡易装備ではあるが、その鎧の色、形状からゼフィーリアの指揮官と見てとれた。それから、己の周囲をよく見てみれば、天幕の様式や生活道具など、さまざまなものが見慣れないものであることに気付く。
 どうやら、まだ囚われの身らしい。
 少女がゼル、と男の名を呼んで薄く笑った。

「こんな風に繋がれちゃなにも出来やしないわ」

「どういう気まぐれかは知らないが、あんたが引き取ったのは敵なんだ。武器になるものは周囲に置かないことだな」

「はいはい、ご忠告ありがと」

「それと。なんで治癒してやってる?」

「なんでって……そりゃ、あたしの天幕でうんうんいわれたら邪魔臭いでしょ。
 治して、それからこき使うの」

「なるほどな──」

 男はガウリイを見下ろした。
 ガウリイを哀れんでいるのかどうか、その表情からは伺い知れない。

「食事はあとで持ってこさせる……ああ、そいつの分も必要だな。
 それから次の打ち合わせは明日だ。遅れるなよ」

 手短に言って、入口の垂れ幕をのけて天幕から出ようとする。外の光がさっと差し込み、ガウリイは目を細めた。男は振り返って少女を見ている。

「念のため言っておくが……短慮で殺すなよ」

「わかってるわよ」

 男が去り、また薄暗くなった天幕の中でガウリイは少女をまじまじと見た。

「……軍の人間なんだな」

「そうよ。エルメキアは軍隊に女がいちゃおかしいの?」

「こんな女の子を、戦場に連れ出すなんて、信じられん」

 少女は噴出すように笑う。

「侮る連中は多いけど、女の子扱いしてくれたのは初めてだわ──あたしはね、強いのよ。あんたの率いる部隊を一瞬で無力にできるくらい。だからあたしはここにいる」

「何者なんだ、お前さんは」

「魔道士よ。聞いたことない? ゼフィーリア軍の女魔道士のこと」

 ガウリイは息を飲む。エルメキア領土を狙うゼフィーリアと開戦してこのかた、女魔道士によって大敗を喫したと何度報告を受けただろう。そして、ガウリイの部隊が追い詰められたのも突然の魔法攻撃に退路を断たれたからであった。

「まさか……嘘だろ?」

 彼女の仕業だと──ほんの一瞬で幾多の命を奪う魔法を、このあどけない少女が使っていた?
 信じられず呆然とするガウリイにするどい笑みをみせる。

「あたしはリナ。
 ご主人様、って呼ばせるのは趣味じゃないから、普通に名前で呼んでいいわ」
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