「どうした、5班。まだ計測は終わらないのか?」
「あ、はい……もう少しかかりそうです」
「いつも5班は早いのに、今日は調子悪いな」
終了予定間際になり、リーダーのディクリスおっちゃんがあたしたちの進行具合を確認して首を傾げる。
「なんだかついてなくて」
言って、ガウリイが誤魔化しに笑った。
うむむ……確かについてない。
昨日、あたしの変装してない姿をあのバイト生に見られなければ、こうして余分な計測をすることもなかったのに!
口留めとして請け負った計測分をやっと終わらせて、今は自分たちのやるべき計測をこなしているところなのである。
「あたりが暗い場合の計測方法は知っているな?」
「はい。『明かり』で気球に目印を付けて飛ばすんですよね」
「そうだ、よく覚えてるな~偉いぞぼうず~!」
「いでででででで」
もふもふのでかい獣人の手で、これでもかと撫でまわされる。
明日でバイトは終わりなんだし……諦観の境地に至ったあたしは、デュクリスおっちゃんのなすがままにさせておいた。咄嗟のことで慌てふためくガウリイの姿があたしの視界の端に入る。
「首がもげるかと思った」
「獣人の撫で方ってあれが標準なのか?」
広場にあたしとガウリイだけを残し、宿舎側へ去っていくリーダーたちを見送る。遅れている分の計測はあと少しで終わるので、あたしたち5班だけが広場に残り、他の人たちは撤収してしまったのだ。
「あーもう。さっさと終わらせましょ」
あたりはどんどん暗くなるし、みんな帰っちゃうし。でも変装道具のサングラスやマスクはしなくていいので、のびのびできる点はいいかもしれない……。
*****
「──あとこれを飛ばせば終わりよ!」
回収した気球を手に戻ってきたガウリイに声をかけた。
明日は器具の片付けと解散式をするだけなので、観測は今準備しているこの気球を飛ばせば、ぜーんぶ終わりっ!
「これで最後の気球なのか?」
「ええ、そうよ」
「なんだかあっという間の一週間だったなー」
「ほんとね」
始めの頃は一日がとても長く感じられたけれど……二人でとりとめなく話しをしながら準備したり、気球が降りてくるのを待ちながら自由気ままに過ごすうち、気負わずに仕事をこなせるようになっていたように思う。
あたしは誰かとつるむよりは一人でいるのが好きだけど、彼と朝から晩まで、さらには寝る部屋までずっと一緒だったってのに、この一週間──二人でいるのもまあまあ悪くなかった。バイトが終わってしまうのが、ちょっと惜しく感じてしまうくらい。
「リナは……このバイトが終わったら何するんだ?」
「え、あたし?」
ガウリイはなんだかそわそわしながらあたしの回答を待っている。
あたしがこの実入りの良いバイトをやりたかったのは、とある目標があってのことだったりする。
「旅に出るつもりよ」
「へ!? 旅に?」
「図書館にあるためになりそうな本はあらかた読んじゃったし、魔道の勉強にしても見聞を広めるにしても、この街を出て旅したいなーってずっと前から考えてたの。それで、このバイトの給料を旅費の足しにしたくて」
ガウリイは驚いた表情のまま、何度か目をまたたかせる。
「旅って……リナ一人で?」
「そうよ」
「危なくないか?」
「大丈夫よ、あたし呪文使えるし」
自慢じゃないが、腕にはかなり自信がある。盗賊のお宝目当てに近隣のアジトを襲撃し、壊滅させたことだって一度や二度じゃない。荒事が起こったとしても、自分の実力だけで乗り切れるという確信があって一人旅の計画を立てているのだ。
ガウリイはしばらくうーんと考え込んで、そして。
「じゃあ、オレも一緒に行く」
「……えっ……はああ!?」
「女の子の一人旅だなんて、危険だろ! いくら呪文が使えるっていっても、お前さん危なっかしいところあるし」
「でもっ、ガウリイだって自分の仕事があるでしょ?」
「適当な便利屋だぜ? 決まった仕事なんてないし、いつでも街を出られる」
「そんな軽いノリで決めちゃっていいの?」
「いい。決まりだ決まり! 楽しみだな~」
「ええええええ?」
なんか勝手に話を進めてるうえにウキウキし始めてるし。目的地とか期間とか、詳細も聞かずにあっさり同行を決めちゃうって……おかしくない?
「それよりリナ、もう夜になっちまったぞ。早く最後の計測しちまおうぜ」
「あ、ああ……うん」
急かされて、まだ準備途中の気球にあたしは向き直った。
『あたしと一緒に旅に出る』って、どの程度の本気で言ってるんだろう?
ガウリイにきちんと確かめたいけど……暗くなってきたし、とにかく今はこの仕事を終わらせてしまおう
。
*****
屈み込んだあたしは、ガウリイの支えている気球に『明かり』と浮遊の呪文を重ね掛けした。
ぼうっと光る気球がふわりと浮かんで地面を離れる。
目印に月より淡く灯りながら、気球は上昇していく。
「こうして見ると、綺麗だな」
「そうね。光らせるとあんな風に見えるのね」
大きな提灯になっていた気球は、夜空に昇るにつれて遠く、小さくなっていく。
「もう、あんなに……」
あたしは気球を追っていた視線を隣に立つガウリイに向けた。
表情も見えなくなるほど辺りは暗くなっているのに、なぜか彼があたしを見下ろしているのがわかる。そして、その視線があたしに向けられているのも、ぼんやりとわかった。
「ガウリイ?」
「ん?」
「気球、見てなくていいの?」
「まだ降りてくる時間じゃないだろ」
「そうだけど」
ふいに、あたしの体が温かいものにくるまれる。ガウリイが自分のコートの中にあたしを引き入れたのだ。
昼間に観測している時も、ときどきこうしてあっためてくれたけれど──今はなんだか感覚がいつもと違っていた。暗くて視界がきかないぶん、匂いや温度に敏感になっているような気がする。
「……どうした、静かだな」
「そう?」
あたしの声は、平静に聞こえただろうか。
──なぜか、あたしの心臓がうるさいくらいにどくどくと跳ねはじめている。
なんだってこんなに緊張してるんだろ? こうされてるといつもはあったかくて居心地よくて、すごく落ち着けたのに、今はてんでダメ。
「もう、いいから出して」
コートをどけようとするあたしの手を、ガウリイがやんわり押し止める。
「冷えるぞ」
「大丈夫……」
「気球が降りてくるまでこうしてろって」
そんなことを言いながらも、ガウリイは肝心の気球をみじんも気にしてなかった。むしろガウリイの影は、気球を追おうとする視線の邪魔をしてくる。
あたしの顔を覗き込んでくるガウリイの影。
屈んで近付いてきて、彼の大きな手はあたしの頤に添えられる。
なぞる指は唇の位置を確かめている。
「リナ……」
間近に感じるガウリイの呼気が、あたしの唇をくすぐった。
なぜだか逃げる気も起きなくて──ガウリイの匂いと温かさに包まれながら、あたしは目を閉じた。