狭い部屋には二段ベッドしかなく、もちろんトイレも風呂もついてない。
なのであたしはこのアルバイト期間中、人目を気にしながらこそこそと夜半にシャワールームを使い、それからまた部屋に戻るという生活をしているのである。
息苦しいではあるが、ガウリイに見張ってもらっているおかげか他の誰かに出くわすということもなく、この数日を快適に過ごせている。
シャワールームは湯舟もなく、ただシャワーがいくつか並んでいるだけのなので体を温めるには物足りない。でも観測のために日中は野外で過ごしているし、シャワーだけでも体の汚れや疲れを洗い流してさっぱりいい気分になれるので、毎日きちんと使えるのは本当にありがたい。
シャワー後に戻った部屋で、あたしが自分の髪をタオルで拭いていると──
「というか、お前さん男のふりしてここにきて、風呂はどうするつもりだったんだ?」
見張りとしてあたしのシャワータイムに毎晩付き合わされているガウリイが、呆れ半分にきいてきた。
「ん~、こんなぼろっちい宿舎と思ってなかったのよね……部屋にシャワーくらいついてるかと……。それに、冬だったら数日お風呂に入らなくてもなんとかなるかなーって。どうしても入りたくなったら夜に抜け出して翔封界で街に行って、自分ちでお風呂入ってまた戻ればいいし」
「呪文でこっそり家に行くだあ!?」
目角を立てたガウリイがあたしの肩を掴んできた。
そ、そこまで咎められるほど非常識な案だったろうか?
「お前さんなあ……こんな寒いんだぞ! 風呂入った後にまた外に出たら体が冷えて風邪ひいちまうだろうが!」
「ああ……批判ポイントはそこなのね」
「とにかく、バイトもあと二日で終わるんだし、変な無茶はするなよ?」
「はあい。助かってまーす」
そんなやりとりをするうち、ふと気付けばガウリイはタオルを手にしてあたしの髪を拭き始めていた。むむ、素早い。いつの間にあたしのタオルを取ったんだろ。
「お前さん、寒がりなんだから髪はしっかり乾かさないと……つーか、こんな長い髪をいつもどうやって隠してるんだ? 昼間は帽子を取っても短い髪にしか見えないよな?」
「呪文よ、呪文。原理はよくわかんないけど、精霊の力を借りて髪を一時的に短くしてるの」
「へえ、呪文でそんなことまでできるのか……」
「わりといろんなアレンジできるわよ」
髪の一部分をどこに消して短く見せているのか──精霊の働きはよくわからないが便利な呪文である。しかし一時的にしか効かないし、水で濡れると精霊の力が乱れるのか効果がなくなってしまうため、使う場面を選ぶ呪文だ。
「こんな綺麗な髪、変装のために切るのはもったいないもんなー」
乾かすガウリイの手があたしの耳の後ろをくすぐりながら髪を掬い上げて、背中からぞわぞわっとする。
「ちょっ……と、もういいわ、あとは自分で乾かすから!」
「そうかあ?」
ガウリイからタオルを取り戻したとき、彼の長い金髪が目に入った。
──あたしはふと妙案を思いつき、口の端をにやりと歪める。
「自分以外にこの呪文を使ったことはまだないんだけど……ガウリイも試してみない? アフロ、姫カット、縦ロール、どんな髪型が好き?」
「なっ……何言ってんだ!? オレは別に髪型変える必要ないだろっ」
自分の頭を守ろうとするガウリイに手をかざして狙いを定め、あたしはわざとらしく呪文を唱え始めた。
「おいリナ、マジでやめろって!」
「ふふん、冗談よ。本気でやるわけ──」
そのとき、突然ガウリイががつっとあたしの両腕を掴む。
強い力で引っ張られるとあたしは何も抵抗できずによろめいた。
「がう……?」
ちらりと見上げると、ガウリイは焦ったような真剣な顔をしていて。
腰をさらうように抱え、背後にあったベッドにあたしをむりやり押し込んだ。
「んにゃーっ!? なななにすんのよ!?」
「リナっ、じっとしてろ……!」
起き上がろうとするあたしをすごい力でベッドに押し付けて、上から毛布をばさりとかぶせてきた。
「もがっ!?」
いきなり視界が暗くなり、あたしは毛布の中でじたばたと暴れる。
起き上がろうとしても、どこをどう押さえられているのかどうしてもベッドから抜け出ることができない。ぎゅうぎゅうと揉み合ってるうち、どさくさに紛れて胸を掴まれたしっ!
「や、やめ……っ! い、いきなり、なんなのよっ!?」
やっとで毛布を跳ね上げ、がばあっ! とあたしが顔を出すと──あたしの視界に開いたドアが目に入る。そこには、固まって立ちつくす他の班のバイト生がいた。
もう誤魔化しようもなく、ばっちり目が合う。
あたしを毛布に隠そうとのしかかっていたガウリイが、ひとこと「みられた」とつぶやく。
「あ……これ、明日の連絡事項! んじゃっ!」
紙をぽいっと横に置いて、こわばった顔をしたバイト生はそそくさと部屋を出ていってしまった……。あたしにのしかかっていたガウリイが素早く起き上がる。
「あいつと話をしてくる。リナは待ってろ」
それだけ言うと、ガウリイはあのバイト生を追って部屋を出て行った。
「どうしよ……髪が長いところ、見られた……女ってばれちゃった……」
乾きかけの長い髪を、落ち着きなく撫でつける。
部屋着だし、サングラスもマスクもしていない。この状態で「女じゃありません」なんて言っても、誰も信じてくれないだろう。
──あと二日で全日程が終わるというのに、クビになってしまうのだろうか。
バイト代はどうなる? 日割り? 男だと偽って働いていたから、給料は払えませんとか言われたらどうしよう。
女と知っていて黙っていたガウリイも、あたしの巻き添えにペナルティーがついてしまったら……どう詫びよう。
ガウリイは何を話しに行ったのだろう?
まさか秘密を洩らさないように口封じ?
……いやいや、まさか。ガウリイはそんなキャラじゃない。
ガウリイが部屋に戻ってくるまでの長くない時間で、ぐるぐるといろんな展開を考えては不安に押しつぶされそうになる。
しかし、帰ってきたガウリイはやれやれとあたしに苦笑いをしただけだった。
「で、どうなったの!?」
「あー……明日の計測をな、オレらがいくつか代わりにやってくれれば、女を連れ込んだのは黙ってやるってさ」
「……へ?」
「あいつ、お前さんだと気付いてないぞ」
「……え?」
「女の子をどうやってここまで連れて来たんだ? って不思議がってた」
つまり、あのバイト生は昼間の『リーナス=インバース』と、髪の長いあたしが同一人物だと気付いてないのだ。
ガウリイが部外者の女の子を部屋に連れ込んだと思い込み、口留めとして明日の仕事をいくつかあたしたちの班が肩代わりする取り引きをしたらしい。
「なあんだ……心配して損した……っていうか! それってあたしも計測を余分にしなくちゃいけないってことじゃない!」
「まあそうだな」
「ああ~!」
仕事が増えてしまったことに呻くものの──あたしは、内心ほっとしていた。
これで最終日まで、ガウリイとまだ一緒にいられる。
──しかしながら、この『こっそり連れ込み騒動』の話は裏では広がっていたようで、後年「街から遠く、しかも宿舎の部屋には鍵もないのに女の子とイチャイチャがしたくて連れ込んだ猛者がいる」とガウリイは伝説のバイト生として語り継がれているらしい。
んでもって、これがバイト募集の規約に「異性を連れ込まないこと」の一文が追加されるきっかけになったんだとか……。