後宮伝説 9

 寝入りっぱなを叩き起こされて不機嫌にならないわけがない。しかも妙な土産付きときたもんだから、ゼルガディスはあからさまな仏頂面で、それでもしぶしぶと自分の部屋に皇帝を迎えた。
 数名の従者が黒い服を着た女性と宦官を運んでくる。二人とも意識が無い様子だった。手足の縛られた二人を置いて去るように命じたガウリイ自身は、大事そうに小柄な宮女を抱え運んでいた。
 こいつが噂のリナ=インバースか、とゼルガディスはぴんとくる。しかし稀代の跳ねっ返りと言われているはずの彼女はガウリイに運ばれながら具合悪そうに身じろぎをしているばかりだった。
「どうした? 怪我でもしているのか?」
「リナは大丈夫だ。怪我じゃないから近寄るな!」
 その様子を見ようとしたゼルガディスの視界からリナを隠し、ガウリイは剣呑な目で睨みつけてくる。
「……何なんだ。人が心配してやってるのに」
「心配してくれてありがとうよ。とにかくゼルは気付け薬を持ってきてくれ! あるだろう?」
 いきなり人の部屋に乗り込んで来た奴にこき使われ、ゼルガディスの不運は続くが相手が自分の主人ならそれもしょうがない。棚から薬を出し、冷ました湯を準備して持ってきた。ガウリイは壁際の椅子に座らせたリナに湯呑に手を添えて薬を飲ませる。
「どうだ? 大丈夫か?」
「うん……」
「良かった」
 優しい笑みを浮かべてリナを見つめると、彼女は何を思い出したのか顔をがっと赤くしてぷいっと横を向いた。ガウリイはぽんぽんと頭を撫でて立ち上がり「そのまま休んでろ」とゼルガディスと刺客のいるところまでへ歩いてくる。
「おい、ガウリイ。あのリナ=インバースって……」
「なんだ?」
「……子供じゃないじゃあないか」
「………………」
 確かにまだまだ子供っぽいかもしれない。だけれども紅潮した頬や潤んだ伏目にそれを補うものがあり、ゼルガディスは首を傾げた。
「……今はな。でもいつもはもっと子供っぽくてだなぁ」
 もごもごと歯切れ悪い説明を始めるガウリイに、ははぁさては、とゼルガディスは口を歪めて笑った。
「ハハッ、刺客に夜薬でも盛られたか? そりゃ都合がいい。どこまでいった?」
「ちっとも都合良くねぇよ! 刺客がいるのわかっててできるかっ!!」
「根性無しめ。変なところで遠慮してるからいざって時にお預けくらうんだ」
「余計なお世話だ!」
 ガウリイが声を張り上げたところで、呻きとともにミリーナがかすかに蠢いた。息を呑んだリナがミリーナの名前を小さく呼び、心配そうにガウリイを見る。
「ガウリイ、ミリーナに……」
「大丈夫、心配するなって」
 ミリーナがゆっくりと上半身だけ起き上がり、意識を覚醒させるように頭を振る。その側でゼルガディスが前もって警告をした。
「あんたが必要な話さえしてくれれば手荒な真似はしない」
「──今は何時? あれからどれくらい経ったの?」
 ミリーナは目が覚めるや否や、自分の保身についてではなく時間を訊いてきたのだった。
「あれから一刻も経ってないな」
「一刻……」
「なぜ時間を訊いてくる?」
「暗殺に失敗したからよ」
 ミリーナがきっぱりと答え、その涼やかな瞳の色を変えずにガウリイを見上げた。言葉や態度に怯えなどはこれっぽっちも見られない。憎悪や殺意すら感じさせない冷静な様子は先ほど戦いをしたことが嘘のようにさえ思わせる。そして彼女が後ろに回された腕を動かすとぎりっと縄がきしむ音がした。
「お前さん、なかなか強かったんで縛らせてもらった」
「油断を誘って攻め込んだつもりなのに……皇帝がここまで強いとは思わなかったわ。私の失敗はもう皆に知られている?」
「いんや。今んとこ知ってるのはオレとリナとこのゼル、あんたらをここまで運んだ従者と……あとそこに転がってる宦官だな」
「……! こいつまで捕まえてくれたのね」
「お前の仲間じゃないのか?」
「違うわ。私はそいつらに脅されているのよ」
「なんだって!」
「連れが……人質になっているの。……頼みがあるわ。もう襲ったりしない。だから私を逃がして頂戴」
 気を失ったままの痩せぎすな宦官を忌々しげに見たあと、ミリーナは二人をまっすぐに見据えて自らの解放を求めた。冷静なその顔に焦りがあるように見えるのはきっと気のせいではないだろう。
「皇帝を襲った刺客の頼みを聞くと思うか?」
「まぁ、待てよゼル」
 ゼルガディスを制し、ガウリイはミリーナの正面に座り込む。そして気が抜けるほどにのほほんとした表情で質問を始めた。
「まずは、その人質をとってあんたを脅してるっていうのは一体誰だ?」
「罠に嵌ってから、私はすぐに後宮に送り込まれた……連中の実態がどういったものかはわからない。ただ言えるのは──私の連れが連れていかれたのは皇太后の宮殿よ」
「……やはりな」
 ゼルガディスとガウリイは目を合わせて互いに頷く。ではミリーナは皇太后と大臣の策略に利用されているということか。
「連れと私は諸国を回る旅の傭兵よ。さっきあなたには負けたけれど、私達は傭兵として決して弱くはないと自覚している……」
「確かに、あんたは強いよ」
 ガウリイが頷いた。ミリーナは話を続ける。
「それに連れは私よりも腕が立つ。なのに……どこかに隙はあったのかもしれないけれど、それでもあっさり私達は連中の罠に嵌ってしまった」
「それで、人質を殺されたくなかったらガウリイを暗殺しろ、と言われたのか」
「失敗が奴らに知られたら、連れが殺されてしまうわ」
「この宦官はあんたとの連絡役で、こいつも捕まっているってことは連中にはまだ失敗が伝わってないってことなんだな」
「そうよ。気付かれる前に助けに行かなくては……!」
 ミリーナが言葉を硬くして視線を落とすが、ゼルガディスは疑わしげな態度を崩さずにミリーナへ「だがな」と続けた。
「今のがあんたのつくり話でないという証拠がない。刺客の言うことをすぐに信用することはできないな」
「……証拠はないけれど、私は嘘はついていないわ」
 ミリーナが鋭い視線で睨み返してくる。ゼルガディスは捕まっているのにも関わらず落ち着き払っている彼女の態度に疑惑を持っているのだが、いつものミリーナを知る者ならば彼女が感情を明らかに表に出していることに驚くだろう。
 二人が睨み合っているところで、唐突に良く通る声が部屋の張りつめた空気を打ち破った。
「そんなの、そこに寝てる宦官に聞けばいいことじゃない」
「──リナ!」
「それにこんなに必死なミリーナって、あたし見たことないわ。いつもはあんなに冷静なのにね」
 椅子に座っていたリナは、足取りもしっかりと歩いてくる。まだ顔がほのかに赤いが、それを省けばすっかりいつもの状態にまで回復しているようだ。だがガウリイは心配して、リナを支えようと彼女に手を伸ばしてきた。
「リナ、大丈夫か!?」
「あーもうだいじょぶだいじょぶったら!」
 リナは照れながらガウリイの腕を押しのける。誤魔化すように軽く咳をし、宦官の側にすたすたと近寄ると、手に持った湯呑の水を勢い良くその顔にぶちまけた。
「……うっ、うわあぁーっ!?」
「さあてと。あなたに質問があるんだけど」
 目を覚ました宦官は、自分を取り囲む皇帝とその側近、そして縛られているミリーナを発見してさっと顔色を変えた。現在自分の置かれている窮地を知るには、これで充分すぎるだろう。
「まずはミリーナの連れが囚われている場所ね。彼はどこにいるの?」


 リナのような可愛らしい少女の尋問ではいささか迫力に欠けるところだが、その側にはこの国において絶対的権力を持つ皇帝が控えている。自ら手引きした刺客も捕らえられ、どうにも逃れ様がないことを悟った宦官は諦めが早かった。
「ひ、人質は、皇太后の宮殿ですっ! その地下にいます! これは皇太后様の命令で……私は仕方なく従っただけなんです!」
 ぺらぺらとこちらが聞いてないことまで話し出す。宦官特有の甲高い声で喚きながらあっさりと白状してしまうと、次には自分を弁護し「私は悪くありません!」と命乞い始めた。嘆願を聞き流しながら、リナはミリーナを縛っている縄を外そうとする。
「……リナさん、あなたは私を信じるの?」
「人質がいるってそいつも言ってるしね。それに早くしないと人質の命も危ないんでしょ?」
 固い結び目に苦労していると、ガウリイが短剣で縄を切るのを手伝ってくれる。
「なぁリナ。なんで人質が『彼』って……男ってわかったんだ?」
「ミリーナは『自分よりも腕が立つ』って言ってたわ。それなら刺客には強い奴のほうが適してるじゃない? なのにミリーナを潜入させたってことはそいつが後宮には入れない男だからよ」
 縄を切り終えると、ミリーナは手首をさすって立ち上がった。宦官の白状を聞いてから奥の部屋に行っていたゼルガディスが手に紙を持ってやってくる。
「なんだそれ?」
「これは密偵に調べさせた皇太后の宮殿の見取り図だ」
 怯える宦官の首根っこをひっつかみ、「さて、説明してもらおうか」と広げられた図まで引っ張った。宦官はまだ調べられてない部分まで宮殿の構造を話しながら、人質の場所を説明する。ゼルガディスが図にその部分を書き加え、人質のいる目標の場所を定めた。場所を特定したとたん、ミリーナがくるっと身を翻し入り口に向かう。
「ミリーナ!」
「止めないで。今すぐに行かねばならないの」
「止めないわよ。でも一人だけで行くのは危険だわ」
 リナが片目を閉じ「少しでも仲間が多いほうがいんじゃない?」と言い出す。
「えーと、ゼルガディス、だっけ? あたしが使えそうな軽い剣とかここにないかしら」
「ないわけじゃないが……まさかあんたもそいつと一緒に人質救出に行くつもりなのか!?」
「リナ! そんな無茶するんじゃない!」
「リナさんの気持ちはありがたいけれど……私一人で十分です」
「もー! みんな揃いも揃って反対してくれるわね。敵だらけの宮殿なら味方が多いにこしたこたないじゃない。それにあたしこう見えても結構強いのよ? だいたいね、事情を聞いてしまったのに『はいそうですか』ってミリーナ一人を放り出して終わらせるわけにはいかないわ」
 リナの瞳は強く輝き、誰が何を言おうとも聞き入れない色をしていたが、それでもガウリイは彼女を押しとどめようとした。
「……じゃ、リナの代わりにオレが行く」
「止めても無駄! あたしだって行くわよ」
「オレが行けば間に合うことじゃないか!」
「あんた方向オンチでしょ! いまだに後宮で迷ったりしてるのに、どうやって敵の宮殿で人質を探すっていうの」
「うっ……」
「というわけで、ミリーナよろしく」
 強引に話を進め、敵地に潜入するにもどこか楽しそうなリナの様子にゼルガディスが呆れた顔をした。
「ガウリイ、どうする。お前もついていくか?」
「こうなったらしょうがないさ……ほら、オレ前にも言っただろ、『リナから目が離せない』ってさ」
 ガウリイはリナの頭をわしゃわしゃと撫でて、苦笑を浮かべる。リナはまだ薬が残ってるんじゃないかと思わせるくらいに顔を赤くして、「やめてよ」とガウリイの手を退けさせた。撫でられた髪を整え直しながら、ミリーナに聞きたかったことを質問する。
「ねぇ…その連れってのはやっぱりミリーナの恋人だったりするの?」
「違います」
 きっぱり否定されてしまったが、ミリーナの表情からは頑さが取れて、あの一緒に茶を飲んでいた時のような空気が戻ってきたことにリナは笑顔を浮かべた。
Page Top