後宮伝説 8

 こつこつ、とガウリイは部屋の戸を叩扉する。これは「部屋に入る時は必ず叩扉しなさい!」とリナにしつけられたことだ。従者が側にいれば自分の代わりにしてくれるところだが、リナがガウリイが来るたびに見張られるのを嫌がるため最近は人払いをしている。初めの頃は渋ってなかなか引き下がらない宦官に「そんなに皇帝の房事を覗きたいか」とガウリイがすごむとやっとのことで去っていくというふうだった。その直後には、赤い顔をしたリナから思いっきり殴られたが。

「……………?」
 しばらく待っても中からは何の返答もない。再び叩扉し、じっと待つ。
「……おかしいな」
 誰もいないわけではない。ガウリイは室内にリナ一人の気配を感じ取っていた。夕食後に満腹して眠りこけてるんだろうか、と予想し戸に手をかける。
「リナ、入るぞ?」
 鍵のかかっていない戸を開く。入って正面の卓にはやはりリナはいなかった。ガウリイはそのまま部屋をつっきり、奥の臥所へとまっすぐ向かう。
「寝てるのか?」
 臥所にかかる天幕を退け、小さな声で訊く。リナは毛布もかぶらず倒れこむように横になっていた。彼女がただ寝ているのなら、ガウリイは掛布をしそっとしておいただろう。しかし背を向けて寝ているリナの呼吸や背の動きから違和感を感じる。
「……リナ?」
 落ち着いた呼吸ではない。せわしく肩が上下し、震えている。ガウリイがその肩に触れるとリナはびくっと身体を引き攣らせた。
「どうした? 大丈夫か!?」
 触れた手を慌てて離し、ガウリイはリナの顔を覗き込んだ。
「……ガウ、リ」
「リナ! 熱があるんじゃないか!?」
 こちら側を向いたリナは赤い顔にうっすらと汗を滲ませ、苦しそうな声を出す。熱を測ろうと額に手を当てると、呻くリナにその手は払いのけられた。
「……なんだか、変なのよ……あたし……」
 上気し赤く染まる頬、熱に潤む瞳。やけに色っぽいな、とガウリイは心配しているはずなのに場違いなことを考える。
「熱い」
「は?」
「……おかしい、あたし、変だ!」
「おい、リナどうしたんだ!?」
 混乱し、うわごとを繰り返すリナの両肩を掴むとたったそれだけで彼女はひくん、と反応した。目元を染めて、何かを否定するように頭を振る。
「リナ!?」
「……だから、さっきから……あたしっ……」
 ふうふうと細く息を漏らす唇が、熱に火照って紅を注したように真っ赤に染まり、ガウリイの視線を惹きつけた。明らかに通常ではないリナの様子にひょっとしたら、とあることに思いあたったガウリイは、指先を軽くその細い首に這わせる。
「……ぁっ!」
 リナの過剰な反応に自分の予想が当たっていることを確信する。
 ──そして同時に周囲に気を張り巡らせる。室外に常人ではとても気付かないほどに潜められた気配を捉えると、次にガウリイは覗かれても室内が見えないように燭台に灯る火を消した。月光は雲に隠されており、さらに蝋燭の光を失った部屋は真っ暗になる。
「……ガウリイ……?」
 いぶかしむリナに応えずにガウリイはリナをかかえ起こし、そのまま腕の中に収める。
「やぁっ! ガウリっ、何をす……」
「リナ、聞け」
 耳元に口を寄せ、ガウリイは小声でひそひそと囁く。
「え……?」
「今な、刺客が外にいる」
「……!」
「お前さんの様子といい……暗殺を狙う誰かに薬を盛られたな」
「薬を?」
「そうだ。いつ飲まされたかわかるか?」
「……あぁ、夕食だ。そんな、誰が……わからない、わからないわ……」
「くそっ、誰が……いいか、敵が乗りこんできたらリナは壁際に移動しろ」
「……うぅ」
 ガウリイは大事な話をしているはずなのに、耳元で話しかけるたびにリナの体が震えた。彼女自身も抑えることの出来ない動揺が大きくなっていく。
「うぁっ、ガウリイ、離して!」
「大声を出すな。向こうはこっちの様子を見ている」
「苦しいよっ、ガウリイ!」
「……落ち着け」
 もがくリナをぎゅっと抱いてたしなめると、どくどくと早すぎる鼓動が響いてきてガウリイまで急かされてくる。
「いやっ!」
「リナ、いい子だから」
 力を込めながら、それでも強くなりすぎないよう気を使って押さえ込む。そしてこんな危機的状況にでさえリナに触れることに悦んでいる自分に苦笑した。ガウリイの次第に激しくなる動悸とこの緊張は刺客に対してのものではない。リナを利用した刺客の企みは見事成功しているな、と頭の隅で冷静に考えた。
「やだよっ……お願い、お願い……」
 涙ぐんだ声。リナの抵抗が弱くなっていく。しーっ、と静かにするように宥めながら、ガウリイはリナの背中をぽんぽんと叩いた。
「リナ、静かに──」
「……あぁ、どうしよう……あたし、おかしくなる……」
 密やかに呟いて、リナはガウリイにしがみ付いてきた。腕の中の艶やかな様子を見せる少女に現状を忘れそうになる。

 刺客め、狙ってるんならさっさと早く出てこないかとガウリイは痛切に願った。先ほどから刺客の気配は感じるが入り込んでくる瞬間を計っているのか動きはない。

「どうしよう」
「静かに……」
「ガウ、リイ……あたし……っ」
 もぞ、とリナが顔を上げる。
 暗闇で見えないはずなのに、リナの赤い瞳が煌いたように感じた。間近な吐息に眩暈にも似た高揚感を覚える。ガウリイは言葉を失ったまま、恐る恐る、唇を近づけた。何故か暗闇でも互いの目は開いてると分かる。
 ──そしてじっと見詰め合ったまま、二人の唇の距離がせばまった。

 その刹那、物音と共に窓が打ち破られ、人影が飛び込んできた。
「わぁっ、ガウリイっ!!」
 闖入者は一人。ガウリイはリナを抱えたまま身を起す。黒い服に身を包んだ刺客が天幕を引き裂く間に抜刀し、二人めがけて襲いくる刃を剣で迎え打った。思いのほか軽い一太刀を退けて間合いを取り、ガウリイは自分の背中にリナを押しやった。しかしリナは力が入らないのかへたりと床に座り込む。
 戦闘をリナから遠ざける為に、あえてこちらから押し踏み入る。刺客がガウリイの剣を受け、ぎゃりっと刃のせめぎあう嫌な音がしたが、一瞬の後刺客の刃は引かれた。
 暗闇の中、僅かな月光を受けて二つの白刃が線を描く。しなる鞭のように伸ばされる剣をガウリイは素早く身を屈めてかわした。避けられても刺客は動きを緩めずくるりとそのまま身を回し、演武のようにかろやかにガウリイの首を狙う。
 幾度か剣を合わせ、跳ね除けるが、絶え間無い斬撃にガウリイはじりじりとあとずさっていた。後ろにはリナがいる。これ以上は後退できない。
 ガウリイはだん、と大きく踏み出し、剣と剣の鍔を重ね合わせてそのままひね上げる。刺客の剣を絡め取ると、ガウリイは己の剣もろともそれを弾き飛ばした。二本の剣が床に落ちて音を立てる前に、刺客は素早く懐から短剣を取り出す。
 そして、身構えて皇帝を狙おうとしたが──刺客の眼前のガウリイはわけなくその刃を避けて。
 一瞬も置かずそして躊躇も無く、ガウリイは刺客の腹に拳を叩き込んだ。

 低く呻いて、ずるりと刺客は倒れ伏した。
「やれやれ、手を焼かせる。男にしては小柄な奴だな。これは多分……」
 ガウリイが拾い上げた剣先で覆面の結び目を斬ると、顔を覆っていた黒い布が落ちる。流れ出た銀髪にリナが息を呑んだ。
「ミ、ミリーナ!」
「知ってるのか?」
「う、うん……友達、よ……」
「多分リナに薬を盛ったのもこいつだな」
「そんな……ミリーナが刺客!?」
「事情は彼女が目を覚ましてからたっぷり聞けばいいさ……それに、もう一人事情を教えてくれそうな奴がいるしな」
「え?」
 ガウリイはリナの脇を走り抜け、ミリーナが侵入してきたのとは反対側の窓を開け放つといきなり宮舎の廊下へ飛び出した。慌てて逃げ出そうとする人物の襟首を捕まえて引き倒し、首裏を叩いて昏倒させる。
 ぐったりとのびた宦官を引き摺りながら、ガウリイはなんて夜だと息を吐いた。
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