後宮伝説 10

 黒服に身を包んだ大・中・小の三つの影が音も無く廊下を忍び歩く。
 こちらから奇襲があるとは予想もしてなかったのだろう。あっけないほど簡単に侵入することができた。ガウリイ、リナ、ミリーナの三人は宮殿から少し離れた場所に乗って来た馬を繋ぎ、そこからは徒歩で侵入していた。
 ゼルガディスも同行しようとしたが、ガウリイから宦官の見張りとごたごたの後始末を命令され、結局はこの三人で侵入する運びとなった。
 リナが足手まといになりはしないかとガウリイは心配したが、彼女の記憶力と地図の読みは完璧で、少しも迷うことなく目的地へと突き進むことができた。しかも──本人の申告通り、リナは強かった。
「うぐあぁぁっ!!」
 誰だ、と言われるよりも先にリナは見張りの兵士の背後にくるりと回り込み、剣の柄で後頭部を殴打する。倒れこむ兵士をガウリイが受け止め、寝ているかのように壁にもたれかけて座らせた。
「お前さん……どこで剣術とか習ったんだ?」
「故郷のねーちゃんよ。か弱い乙女が一人旅するんだから、これぐらい身に付けておかないと危ないでしょ!」
 か弱い乙女、の部分につっこもうかと思ったがミリーナが目で制してくる。懸命にもガウリイはここでリナにどつかれて下手に騒ぐより、静かに先へ進むことを選んだ。
「ずいぶんと広い宮殿ねー」
「皇太后だからな。他の側女とは比べ物にならないほどの権力があるのさ」
「そういえば、ガウリイのお母さんが生きてたら皇太后になってたはずなのよね」
「……生きていたらな」
 ふとガウリイの表情が曇り、重い口調になる。
「……どしたの、ガウリイ?」
「オレの母親はな、正妃の座を狙われて暗殺された」
「えぇ! ……まさか、今の皇太后に!?」
「多分そうだろう。ただ証拠がないんで咎めることはできないけどな」
「そんな!」
「後宮や皇室なんて華やかなようでも実態はこんなもんさ。ミリーナも巻き込んでしまってすまなかったな」
「いいえ……自分達の油断が招いてしまったこと。権力争いは皇室では必ず起こることでしょうし。リナさんもこれからは覚悟が必要じゃないかしら」
「あたしが?」
「皇帝を──ひいては権力をめぐって宮女達の間で諍いが起こるのが普通だわ。それが表立ったものか、それとも水面下の駆け引きになるかはわからないけれど」
 でもリナさんならライバルも逃げていくかもしれないわ、と冗談なのか本気なのかわからない表情でミリーナは続けて言う。
「……オレはそんなに気は多くない」
 ガウリイが表情をこわばらせ、リナへ言い分けでもするように喋った。実際、気は多くないのだ。むしろ無関心だったぐらいだし今はリナただ一人に気を注いでいる。彼女はどんな反応をしてるのだろうとその顔を盗み見ると──リナは驚くくらいに思いつめた顔で前を見詰めていた。
 皇帝は一人だけのものにはならない。リナがどれだけ想っても、彼には他に千以上の選択肢がある。そしてそれはたくさんの宮女を愛さなければならない皇帝の義務でもあるのだ。そんな後宮では当たり前のことが、今更にリナの胸を締め付けていた。


  ──どうしてガウリイは皇帝なんかに生まれついてしまったんだろう。
  こんなにのほほんとしてて、くらげで、
  あたしのことを子供扱いしてて
  笑うとおひさまみたいで、手がふれるとあったかくって──
  とても皇帝だって思えない。
  でもそのうち、あたしにばかりかまっていられなくなるの?


 今まで意識したこともなかった感情がリナの心を暗く染めていく。
 これは嫉妬なのだろうか? リナにはまだよくわからない。ただガウリイが皇帝であるという足掻いても覆せない現実が重く圧しかかってくる。
「リナ、おいリナ……」
「……あ、うん」
「次はどこに?」
 行く手正面には壁があり、三叉路となっている。リナは思考を引き戻し、記憶の地図を呼び起こした。
「……ここは左だわ」
 左へと曲がるとすぐに堅牢な扉が出迎える。ガウリイが剣を一閃させると錠がごとりと落ちた。地下へと降りる階段を駆け下り、広い廊下へと抜けると見張りの兵士が二人いる。兵士はいきなり現れた三人に驚くが、ミリーナは声を上げる暇も与えず出会い頭に一人を切り伏せた。残るもう一人はガウリイの蹴りをまともに受け、煉瓦が崩れそうな勢いで壁に叩きつけられた後ばったりと床に落ちた。
「この奥にいるはずよ!」
 かなり長い廊下の奥へ向かい、三人は走る。同じ扉をどんどん通り過ぎ、奥へ行くほどに明りは減り薄暗くなっていく。
「ルーク! いるのなら返事をして!」
 奥へ辿り着き、ミリーナが呼びかけたが返事はなかった。ガウリイが壁の松明を取りリナに持たせる。その勘で部屋内部の気配を感じ、ガウリイはある部屋の前で目にもとまらぬ速さで剣を横にはらった。その鍵を壊し扉を蹴破ると──暗がりに人が転がっている。
「ルーク!」
 人影は床の上で必死にもがいている。明りを寄せると縄でぐるぐると簀巻にされている人質──ルーク──だと確認できた。ミリーナがしゃがみ込み、その縄を切る。手が動くようになると、ルークは自分で噛まされていた猿轡を剥ぎ取った。
「ぷぁっ……! ミリーナああぁぁぁぁぁっ! 無事だったかああぁぁっ!?」
「それはこっちの台詞です」
 口を開くやいなやミリーナに向かって叫ぶ。
 ──ミリーナの態度は冷静だが、その言葉と態度に明らかな安堵の感情が含まれているのを感じ、ルークは拳を握り締めて感動する。
「くううぅぅっっ! ミリーナが! 俺を心配してくれたなんてっ! そんなにも俺は愛されていたんだな、ミリーナああぁぁぁぁぁっっ!」
「違うわ。見捨てて死なれたら夢見が悪くなるからよ」
「ミリーナああぁぁぁー!」
 あっさりとあしらわれ、ルークはだばだばと涙を流す。
「いや……でも俺には分かる! ミリーナの愛を! ひしひしと! この身に感じるぞっ!」
「たわ言を言ってる場合じゃないわ。早くここから脱出しましょう」
「……たわ言……」
 ミリーナは準備してきた剣をめそめそしているルークに押し付け、立ち上がって脱出を促す。その時になってやっとルークは扉近くにいる二人に気付いた。
「……ところでミリーナ。こいつら誰だ?」
 ルークが顎でガウリイとリナを指し、リナはそのぞんざいな口のきき方に額にぴきっと青筋を立てた。
「あのねぇ……あんたを助けにわざわざ来てやったのにその言い草はなによ」
「俺は別に助けてくれなんてあんたらに頼んじゃいないぜ」
「ガウリイ。もっかいこいつに猿轡してやって」
「んだとぉっ!?」
「ルーク。彼らの協力がなければあなたを助けることは出来なかったわ」
 ミリーナが静かな口調でルークに言い聞かせた。しばし言い渋った後──ルークはぽりぽりと頭を掻きながら礼を言ったのだった。


 一行は潜入してきた道を引き返す。素早い行動のおかげか未だ潜入を気付かれている様子はない。ところどころに転がっている兵士を尻目に、四人は敏捷に静かにひた走る。
「なぁミリーナ。後宮に入らされたって聞いたが……皇帝とかに変なことされなかったか!?」
 ルークが走りながらミリーナに問いかけた。ミリーナがちらっとガウリイとリナを見ると、二人とも気まずそうに視線をそらすという反応をしている。
「……あなたの考えているようなことはされてないわ。逆に私が襲撃して迷惑をかけたぐらいだし──ガウリイさんリナさん、さっきはごめんなさいね」
「は? こいつらが何なんだ?」
「……リナは宮女で、オレはこの国の皇帝……だ。一応な」
「なあっんがぐぐっ!」
 驚いて声を上げるルークの口を慌ててミリーナが塞ぐ。
 ──周囲の気配を探るが、深夜の宮殿でルークの声を聞きつけた者はいなかった。
「大きな声を出さないで」
「お、おう……悪かった。しかしあんたが皇帝? 何だってこんなところにまで……」
「オレだって何が何だか。リナに付き合ってここまで来ちまった、ってところだな」
「巻き込んで悪かったわね! でも勝手についてきたのはあんたでしょ」
 リナが憮然とした表情でガウリイに言う。ルークは皇帝にいいように言っている宮女に呆れかえった表情をした。
「……ところでルーク。私が後宮に入らされたことは奴らから聞かされたの?」
「ああそうだ。それがなぁ、捕まった頃に男が牢にやってきて──多分そいつが罠を仕掛けた張本人だと思うんだが──とにかくそいつがむかつく奴で『あなたのミリーナさんは今頃後宮で皇帝とよろしくしてるかもしれませんね』ってにっこにこしながら言いやがったんだああぁぁ!!」
「静かにして頂戴」
「……はい」
 ミリーナの注意にルークがぴたっと沈黙した。ガウリイはルークが見たという男について考察する。
「男……大臣か? ……う~ん、誰だろう?」
「多分違うぜ。あいつは大臣じゃない」
「なぜそう言える?」
「流暢に喋ってはいたが、奴はメタリオムの訛りが入ってたからな」
「──なんだと?」
 ガウリイの顔色がさっと変わる。
 メタリオム──この国から山脈を越えた北部に位置する軍事大国である。広大な極寒の地に構えているが、山脈が災いしこの国との交易は乏しく──皆無に近い。
「俺達はメタリオムに何度か行ったことがある。間違いない」
 ルークとミリーナはメタリオムに傭兵として行ったことがある、と語った。メタリオムは戦争を繰り返し、着実に領土を広げていた。戦争が多い国では当然傭兵の需要も多い。そう、物流がなくともこの国と傭兵の行き交いはあるのだ。

 ──傭兵、戦い、乱、北部の反乱──

 ガウリイの頭の中でいくつかの符号が不吉な形をもって一致し始める。もし、ミリーナ達を巻き込んだこの策略が単なる皇太后と大臣の皇帝暗殺計画だけで終わるものではないとしたら。あの乱はただの内乱ではなく、メタリオムが関与しているものならば。恐ろしい予想にガウリイはぞっとする。このところ数十年、他国との戦争もないこの国の軍事力はメタリオムと比較しようもない。内乱を鎮圧する程度ならばどうということもない。しかし侵略に耐えうる力は──
「ガウリイ!大丈夫?」
 リナの呼びかけにはっとして振り向く。心配しているリナを見てガウリイの顰めていた顔がゆっくりと元に戻る。それからリナの頭を撫でて大丈夫、と小さく呟いた。
「とにかくメタリオムのことは、一旦戻ってからゼルガディスと調べてみる」
「そうしたほうがいいわ。考え込むなんてガウリイには似合わないんだから」
「ああ」
 リナの言葉に笑うが、覇気のないものとなってしまいガウリイは唇を噛んだ。



 遠く、地平線が白む。夜明けまではまだ時間があるようだ。
 リナはガウリイと二人で馬の背に乗る。背中にガウリイの体温を感じながら、ルークとミリーナの二人に言った。
「その武器だけで大丈夫? 無事に逃げきれる?」
「心配いらねぇよ! 油断は絶対しない。もうミリーナと離れ離れになるのは御免だからな。なんてったって俺らは二人で一人、なんだから」
「勝手に決めないで」
「……しくしくしく……」
「ガウリイさん、本当に馬をもらっていいの?」
「二頭ぐらい餞別にくれてやるさ」
「──ありがとう」
 ミリーナが涼やかに笑う。手綱を引いてルークが馬の鼻先を地平線へと向けた。
「さて、ミリーナ行くぞ。愛の逃避行だ!」
「愛は付きません」
「ミリーナああぁぁぁぁ!!」
 ミリーナが馬に拍車を入れて、慌ててルークが追う。ルークの叫びもその姿も、ミリーナと一緒に次第に小さくなっていく。疾走する馬に乗った二人は薄闇にまぎれ、霞みがかっていった。

「リナ。戻ろうか」
「うん……」
 リナはつがいのように去っていく二人を、見えなくなるまで見送った。
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