後宮伝説 6

「お~い、リナぁ~」
 下からガウリイの呼ぶ声がする。もう見つかってしまったのかとリナは軽く舌打ちした。持ち込んだ本にしおりを挟み、ぱたんと閉じた。木の葉の隙間からはリナの名を呼びながら手を振るガウリイが見える。
 リナがいる場所は実は庭に生える木の上だったりする。樹齢百年以上、枝振りも立派で丁寧に手入れがされている。何代か前の皇后が愛でて歌を読んだという逸話の残る木だが、リナは格好の読書場と枝の上に落ち着いていた。庭師が見たらさぞ驚くことだろう。
「──何であんたはいつもそうやってあたしを探すのよ!」
「部屋にも書庫にもいなかったら、そりゃ探すだろ~」
 どうしてほうっておいてくれないの、とリナは困った顔をした。ガウリイと一緒にいる時間が楽しくないわけじゃない。退屈な後宮の中では彼がそばにいると時間が驚くほど早く過ぎ去る。でも、何かが──
 リナが思案していると、木が僅かに揺れた。下のガウリイが木に手をかけて登り始めている。
「ちょ、ちょっと! あんたここに来る気!?」
 止める間もなくひょいひょいとガウリイは側までやって来た。幹に手をかけて身体を支え、枝に座るリナは見下ろされる。
「よくその服で登れたなぁ」
「あんたも同じようなもんでしょ!」
「ん、そりゃそうだが。女も木登りするものとは知らなかった」
 嫌味ではなく、本当に感心している様子でガウリイが言う。
 リナは軽く笑い、ぴっと指を立てた。
「無知ねぇ。こんなに読書や昼寝に適した場所はないのよ」
「確かに……気持ち良いなぁ」
 爽やかな風が吹き抜け、リナの肩掛けの薄い衣を揺らめかせる。彼女は眼前でさらさらと流れる金髪を水面の光のようだと見蕩れていると、ガウリイがくすりと小さく笑い出した。
「何笑ってるの?」
「いや、こうして見てるとまるで桃の木の精みたいだ。リナ」
「……そう」
 屈託なく述べられる感想に、何故かリナは頬を染めてしまう。


  ああ、これじゃまるで逢引してるみたい。
  ── 逢引!?あたしたちはそんなんじゃないわ!
  ガウリイはただ身を隠す為の理由にあたしを利用しているだけなのよ。
  あいつはこの国の皇帝で、あたしはただの宮女にしかすぎなくて。
  あたしのことを「気に入った」って言ってはいたけれど
  それは「好み」とは違う意味なのよ、シルフィール。


 自分は所詮利用されているだけなのだから変に自惚れるな、とリナは自制する。だけれども、ほっといて欲しいのか、それとももっとかまって欲しいのか。相反する感情が渦巻いてリナは心がまとまらない。そしてふとミリーナの「不憫なことね」という言葉を思い出した。

「リナ、どうした?」
 穏やかな表情のガウリイが屈んでリナを覗き込む。
「あ、何でもないの」


  ──ま、いいや。今はこのままで。


 そう思いながらも、どことなく物足りない気持ちを抱えて、リナは風にはためく衣を手で押さえた。


 その木の上の二人を、宮舎の廊下で見詰める宮女がいる。廊下を歩く宦官がすれ違いざまに彼女に何かを呟くと、彼女は「わかっているわ」と形の良い唇を動かした。
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