後宮伝説 5

 話が後宮から離れてしまうが、ちょうど皇帝がリナの部屋に通い始めたこの時期に北部で乱が勃発している。
 特に民衆は苦しんでいるわけでもなし、情勢は不安定ではあったがそれは先帝の時代より変わったことでもない。新皇帝が即位したからと言って、すぐに落ち着くわけではないのは仕方ない事。それに暮らし向きはそうそう悪くなかった。なのに何故突如として乱が起こったのか原因が不明で、地方の役人たちはこの始末の悪い乱をどうやって納めるか頭を悩ませた。
 これはまだ宮廷の耳には入ってない話である。帝都に伝達するほどでもない些細な出来事と誰もがそう思っていたのだ。従って、後宮ではいつものように穏やかな時間が流れていた。


 こんな良い茶葉は実家でもなかなか手に入らなかったわねと思いながら、お茶が入れられたこれまた見事な茶杯にリナは口をつけた。口に含んで、鼻孔に広がっていく豊かな香りと繊細な味を楽しむ。こくりと飲み下し、ぷはぁと息をついた。
「っあ~! 甘いものと一緒に飲むお茶はまた格別ね」
 卓の上には空になった蒸篭(せいろ)が山積にされ、そして同席者の2人が呆れた表情で茶杯を持つ手もそのままにリナを見ていた。
「リナさん……よくお食べになりますわね」
「どこに入っていったのか、不思議だわ」
 一人はまっすぐな黒髪の綺麗な女性。またもう一人は長い銀髪を一つに結わえ、そして透き通った涼やかな瞳が印象的な美人だ。それぞれシルフィールとミリーナという。
 リナを含めた三人は入宮した時期が同じ宮女で、また部屋も近かったことからいつのまにか連れ立って行動するようになっていた。シルフィールもミリーナも初めのうちはあまりにも恐れを知らないリナの行動に度肝を抜かれたものだが、今ではだんだんと慣れてきている。
 慣れてきているとはいっても、リナの食べっぷりには毎度驚かされるのだが。しかしそういったリナの行動が、かえって彼女らを毎日退屈させないでいる。
「こんなの、食べたうちに入らないわよ。ひとつひとつが小さいんだからこれぐらい普通よ!」
「驚異的な食欲ね……」
「あれだけ昼ご飯を食べていてもこれだけ食べられるなんて。リナさんの胃はどういった構造をしているのでしょう?」
 シルフィールが頬に手をあてて首をかしげる。この山積の蒸篭のうちシルフィールとミリーナが手をつけたのはほんの数個にすぎない。タダなんだから遠慮はしないという根拠のもと、リナの食欲は底を知らなかった。リナにつられて二人も食べ過ぎた感がしたが、甘いものへの食欲がすっかり満たされてしまうと女性達の他愛もない話に花が咲きはじめる。世間話や噂話をひととおりした後で、ふとミリーナがリナに話かけた。
「そういえば、もうそろそろ陛下のいらっしゃる時間では?」
「……ゔっ……」
 今は昼過ぎである。皇帝は夜にやってくるものだが、最近は昼夜問わずぶらりとリナのもとに訪れる。最初昼間に訪ねてこられた時は「昼間でも刺客に狙われてゆっくりできないのね」と思ったが、こう毎日来られると同情も薄れる。しかも昼間は何かと人目につきやすく、リナのもとに皇帝が足しげく通っているということがもう後宮中に知れ渡ってしまったのだった。
「リナさん、自室に戻ったほうがいいですわ……」
「い、いいのよあんな奴。多少ほっといても!」
 シルフィールが至極悲しそうな顔をしてリナに言うが、つっぱねられる。
「ほっとくだなんて。それは職務怠慢ではないの?」
「ミリーナまで!そんな言い方しないでよ」
「そんな言い方って?」
「かまってやんないとガウリイも『義務だろ』みたく言ってくるのよ!」
 茶杯をぐぐっと握り締め顔を真っ赤にして叫んだ後、卓に突っ伏した。
 リナとしては夜に話し相手となってやるだけのつもりが、こうして他の者からガウリイについて諌められるようになるとなんだか恥ずかしくて仕方が無いのだ。何もないのに、他の人々に『男女の仲』と誤解されているかと思うと自然顔が赤くなる。
 ──それを見ているほうはノロケとしか受け取れないのだが。
「はぁ……そんなリナさんが心底羨ましいです」
 シルフィールは静かな口調で、それでいてどこか艶を含んだ鋭い視線でリナを見て言った。彼女は皇帝を見知っていた。シルフィールの父親は祭事に関わる神官職についており、見習いとして父親に同伴して幾度か宮廷に上がったことがある。そのときに出会ったガウリイにすっかり惚れこんでしまったシルフィールは、周囲を説得し入宮の試験を受けこうして後宮までやってきたのだ。しかし肝心の皇帝には謁見すらさせてもらえず、いつの間に知り合ったのか同期のリナとねんごろになっている様子。
「陛下にお仕えするため、こうして後宮まで来ましたのに……」
 自分の袖の裾を持ち、そっと目を拭う。
「計算違いでしたわ。陛下は胸の控えめな女性がお好みだったなんて!」
「ってそれどういう意味!?」
 リナのつっこみを無視し、シルフィールはさらに続ける。
「陛下の嗜好はリナさんのような童女体型……それじゃあ私はずっと報われないままなのかしら……」
 そして、よよよと崩れ泣く。リナは殺気を拳に握り込み、危険な声色を発した。
「シルフィール、あなたいい性格してるわね。でもね、ガウリイはあたしが好みだから来るわけじゃないのよ! あいつはただ……」
 リナは続けて「刺客から身を隠すため」と言おうとしたが、ここでそのことを言ってしまうのが憚られて、はっと言いよどむ。
「ただ?」
「ただ……えとその……あうあう~……た、ただ暇つぶしに来るだけなの!」
「でも『ただの暇つぶし』にしても陛下はリナさんの部屋にしかいらっしゃらないわね。他に千人も待っている女性がいるというのに」
 ミリーナが冷静に言った。まるでひとごとのように話しているが、彼女も皇帝を待つ宮女の一人のはずである。リナよりも彼女の入宮動機がよほど謎だ。
「やっぱりリナさんは陛下のお気に入りじゃないですかぁ~」
 うるっとシルフィールの目が潤み、リナの手をがしっと捕まえる。
「あぁっすごくくやしいですわ! リナさんのこの手に……陛下が触れるのですね。陛下は、陛下は毎夜どのように慈しんでくださるのですか!?」
 捕らえたその手を、おそらく皇帝が毎夜触れているであろうその肌を同じようにいとおしみたいという欲からか、シルフィールは優しく撫でてくる。
「ななな何言ってんのよおぉぉっ! あたしはまだ処女よっ!!」
 慌ててシルフィールの手を振り払い、リナが椅子ごと退いた。そのリナの叫びを聞いてシルフィールは目を剥いて驚き、冷静に茶をすすっていたはずのミリーナでさえ茶杯を落としそうになる。
「──ええええっ!? 嘘っ!?」
「嘘じゃないわ! あたしたち何もないのよっ! へ、変な誤解しないでよね!」
 顔を赤くしてリナは言う。
「……それは、本当なのですか?」
「本当よ! こんなこと嘘ついてどうなるのよっ!」
「でも、そんな……陛下は毎夜いらして何を……」
「言ったでしょ! あいつは暇つぶしに来るんだって。お茶飲んでおしゃべりして、ぐーすか寝て朝帰るだけなの!」
 リナはここ数日続くありのままの状況を言うが、二人は未だ疑わしげな目をしていた。
「……嘘だと思うなら、あたしの部屋をあいつがいる時に覗けばいいわ!」
 顔の火照りを抑えて二人を見据えると、彼女らはやっとリナの言葉を信じたようだった。
「そうなのですか……では、私はまだ期待してて良いのでしょうかっ? ああっ、陛下~!」
 シルフィールが両手を顔の前で組んであらぬ方向を見、皇帝へ届かぬ問いを投げかけた。彼女の嫉妬から逃れ、リナは胸をなでおろす。
「……でもそれは、リナさんにとっては不憫なことね……」
 ミリーナがぽつりとこぼした。
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