後宮伝説 19

 目を開けると、見慣れた天井が目に入る。
「リナさん! 大丈夫ですか!?」
 心配顔でそっと覗き込んできたのはシルフィールだった。
「ここは──痛っ!」
 慌てて起き上がったとたんに後頭部が痛んでリナは呻く。どうやらゼロスには斬られずに、気を失うほどひどく殴られたらしい。頭にできた瘤を確認しリナは腹を立てた。
 シルフィールの後ろから仏頂面のゼルガディスが現れる。
「目が覚めたか。気分はどうだ」
「いいわけないじゃない、最悪よ!」
 外からは威勢良く砲撃の音が響いてくる。どうやら後宮軍はいまだ健闘し続けているようだ。
「そうよ、そういえばあの男! よーくーもやってくれたわね! あれからどうなってんの今の状況は!?」
「あんたが気絶している間にまずいことになった」
 ゼルガディスが苦々しく言い放つ。シルフィールが今にも泣き崩れそうなほどに、顔をくしゃりと歪ませてリナの不安を煽った。
「何よ! 外壁に穴でも開けられた?」
「いや。ガウリイが引き換えにと一人で投降した」
「……ええぇっ!? な、なんでどうしてっ!?」
「俺とガウリイが駆けつけた時、あんたが捕まっていた。そしたらあいつが代わりに人質になると自分から投降したのさ。後宮開放の交渉もしてくるとか言ってたが、まともに話をさせてもらったかどうか怪しいもんだな」
 ゼロスの腕の中でぐったりとしているリナを見て、ゼルガディスはガウリイが激怒し直情径行にゼロスに襲いかかるかと思った。しかしガウリイは恐ろしいほどの殺気を押し殺して──ごくゆったりと、皇帝らしい優雅な物腰でゼロスと取引してのけた。
 自分が人質となることで後宮解放の糸口を掴もうと思ったのかもしれない。何よりも、今にも縊り殺されそうなリナのためだったのだろう。
「あのくらげっ! バ、バカにもほどがあるわ! なんで止めなかったのよ!?」
「皇帝が自分で行くって言ってんだ、俺が止められるわけないだろ」
「後ろから殴ってでも止めればよかったのに!」
「皇帝を殴る奴なんてあんたぐらいだっ!」
「もーっ! ガウリイがどこに捕まってるか、わかる!?」
「多分……敵の制圧した外廷にいると思うが」
「そう。んじゃあたし行ってくる」
 軽く言い放つとすっくと立ち上がり、リナは自分の剣を手に取った。
「まさか外廷に行くつもりなのか!?」
「ったりまえでしょ、あのバカをぶん殴らないとあたしの気がすまない! いっつも人に相談なく勝手に行動して! 殴ってやらないときっと一生治らないわ!!」
「リナさんやめてください! 無謀すぎます!」
 シルフィールが悲鳴のように叫び、引き止めようとしたが、憤激しているリナは聞く耳を持たず出口へと向かう。
「やめろ、無駄なことはよせ!」
 慌てたゼルガディスはリナの肩を掴んだ。しかし振りかえったリナの顔を見て息を飲む。彼女は間違いなく怒っている。怒っているが、瞳はこれ以上ないほどに真剣で──切ない色さえ浮かぶ。
「こんな、ガウリイと喧嘩別れしたまま会えなくなるなんて絶対イヤ! それにあたしのせいで捕まったんだもん、あたしが助けに行ってもいいでしょ? 自分で行きたいのよ、どうしても」
 ガウリイにとっては迷惑なだけかもしれないけど、と最後に見た彼を思い出してリナは声を沈めた。
「あいつは……助けなぞ望んでいない。あんたが生き延びることだけ願っていた」
「あたしが?」
「そっけなくされただろう。それはいずれ自分が死ぬことがわかっているからだ。大切だからこそ突き放したのにあんたが助けに行ったら意味がない!」
「……ほんとに、馬鹿なのね、ガウリイは」
 涙をぐっとこらえると鼻の奥がつんと痛み出す。
 でも──リナはこんな自己犠牲心は大嫌いなのだ。それを直接本人に言って、わからせてやらねばならない。
「感謝なんてしてやんないんだから。逆にあたしが助け出して恩着せて、一生こき使ってやる!」
「リナ、あいつの行動を無にするな!」
「嫌よ! 少しでも望みがあるのならあたしは行くわ。絶対に、諦めない!」
 ゼルガディスはリナの決意を知る。言葉を見つけきれずに沈黙すると、今度はシルフィールがリナの手を取りやめてください、と引き止めた。
「ありがとうシルフィール。でも大丈夫だから。あたし一人だったら案外怪しまれないと思うのよ。兵士が侵入してくるよりもずっと油断しちゃうでしょ?」
「リナさん……」
 苦しい言い訳をしながらシルフィールの手をそっと引き剥がす。
「あたし行くわ。ここを放ってくことになるけど、ごめんね。ゼル、あとはお願い」
「──リナ、これから俺の描くのを全部覚えろ!」
「ゼル?」
 リナをまっすぐに見詰め、そしてゼルガディスは卓上の紙に向かい筆を滑らせた。次第に紙に現れてくるのは、広大な宮殿の見取り図。
「ここが玉座の位置。これは儀典を行う宮殿、そしてそれに面した広場。私室に繋がる廊下がここにある。反対側の門を抜けたらまたでかい中庭だ」
 口早に外廷の構造を説明しはじめた。ゼルガディスの意図を斟酌したリナは見取り図にかじり付く。
「宮殿はとてつもなく広い。だからすぐにはあいつを見つけられないかもしれんが、もし上手く行けば一刻以内で宮殿に潜入できるだろう」
「いくらなんでもそんな短時間じゃ難しいわ! 敵兵も多いだろうし外廷にどこから潜り込むのかを……」
「方法がある」
 ゼルガディスが血のように赤黒い朱墨を手早く擦り、見取り図に斜線を引いた。
「ここに隠し地下道がある」
「こんなところに!?」
「ああ。大部分が壊されて、崩れかけてはいるがな。それに万が一の敵の霍乱も考えて分岐や行き止まりが無数にある。──全て覚えきれるか?」
「舐めないで。地図を読むのは得意よ。さぁ早く描いてゼル!」
 リナはきっぱり言うと見取り図へ目を凝らし、ゼルガディスを急かす。
 一つ頷いて、彼はまるで織物の縦糸と横糸を綴るように複雑な線を描いていった。
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