後宮伝説 18

「ガウリイのバカっ……信じらんない、あんなこと……」
 ずしずしと床を踏み鳴らしリナは悪態をつく。互いに信頼しあっていると思っていた。先の見えない不安な戦いだが、自分にできることを精一杯にやっているつもりだった。自分のため、ガウリイのために。だというのに……彼の嘲る言葉が耳によみがえる。
 胸がつきりと痛んだ。微かな光を燈す月を見上げると涙で視界が歪む。
 そこで不意に──遠くから宮女たちのかすかな悲鳴が聞こえてきた。大砲を置いている広場からだ。
「──!?」
 リナは涙の浮かぶ目をこすりながら駆け出した。裾が長くて邪魔になる正装はもうしていない。飛ぶように走り、角を曲がれば広場というところに来るとリナの耳に宮女達の怯えたような悲鳴がはっきりと聞こえてきた。
「何事なの!?」
「リナ正妃様! 侵入者が……!」
 広場に出たところで一番近くにいた宮女の肩を掴む。彼女の言葉を最後まで聞かずに、リナは舌打ちをして再び走り出した。
「シルフィール! みんな無事なの!? 侵入者って……」
 火砲の側に付く彼女達の視線の先には──真っ黒い服の男がただ一人立っていた。黒衣は夜の暗さにまぎれてしまい、場違いに柔和な笑みを浮かべる顔だけが異様に白く浮かび上がる。ときおり射す月光が、その黒衣が血に濡れていることを照らしあばいていた。そしてその足元に、ぴくりとも動かない宦官達が横たわっている。
「……たった一人なの!?」
 シルフィールが男から視線を外さずにこくりとうなずき、リナが言葉を失う。侵入者を塀側から追い詰めるように宦官が拳銃を構えたが、男が絶妙なタイミングで声をかけた。
「──そこから僕を撃つつもりなんですか? 言っておきますが、危ないですよ。そこから僕の背後の山積みの火薬に引火したらここら一体が大爆発ですからね」
「……銃を引きなさい」
 リナはぎりっと男を睨みつけ──腰の剣に触れてその存在を確認し、前に進み出る。
「正妃様! おやめください!!」
「だめ、黙って!!」
 声を上げた宮女をシルフィールが慌てて諌めたが、既に遅く。
 侵入者はリナへと視線を向け、驚いた顔をしてみせた。
「ほう、あなたがあの噂の正妃様なのですか! これはまた随分と可愛らしいお方ですね。僕の名はゼロス。お見知りおきを」
 にこにこと挨拶をする。人当たり良さそうに微笑みながら、その場の人間を全て射竦めるような眼光にリナはぞっとした。
「……よくここまで侵入できたわね」
「僕は取引に参りました。このまま膠着状態でいるのは、お互い賢くないでしょう?」
「取引ですって?」
「僕としてはこんな手間取る後宮、躊躇せず一気に制圧したいところなのです。火をかけて全軍突入すればなんてことないんですが、どうしても傷つけずに手に入れたいという困った要望が多くてですね。それで仕方なくご提案させていただこうかと」
「何なの! さっさと言ってみなさいよ!」
「大人しく抵抗を止め、投降してください。そうすれば命は助けましょう。しかしこのまま逆らうというのなら、もう容赦しません。遠慮せずに叩き潰します。女性だからと甘く見ていましたが一人残らず殺します。選択肢は二つです。投降か、死か。どちらかお選びください」
 傍若無人な内容の選択肢を話しながら、ゼロスの柔和な笑みは変わらない。これのどこが取引になるのだろうか。リナは柳眉を吊り上げる。
「そんなのどっちもお断りよ!」
「勇ましい人ですね」
 リナが鞘から剣をしゃらりと引き抜き、身構えた。一呼吸の後、地面を蹴ってゼロスへ駆ける。その切っ先がゼロスに到達する寸前──ゼロスの剣がリナの剣をはねのける。リナはほんの短い距離で剣を引き、そのまま取って返し再び切りつける。が、ゼロスも最小限の動きでリナの攻撃を避けていく。
「リナ様!」
「邪魔しないで! 誰か──ゼルを呼んで!」
 ガウリイと言いそうになったが、皇帝をこの場に呼んではいけないと思い直した。何よりもいまさらあいつに頼るものかとリナは唇を噛む。
「気を散じている場合じゃないですよ?」
「!」
 甘んじて攻撃を受け続けていたゼロスの動きが変わる。滑らかにリナの剣を受け流し、軽く腕を伸ばすと刃がすぐリナへと迫る。すぐに避けたがそれはリナの腕を浅く切り裂いた。ゼロスは息を少しも乱さずに剣を振るう──戦っているとは思えない、造作ない動きは確実にリナの隙を狙っていた。
「あなたのような可憐な方が血にまみれ倒れていく姿は、さぞかし美しいでしょうね」
「ふざけんじゃないわよ!」
 ゼロスに剣を振り下ろすが、簡単に避けられた後に二倍の斬撃で返される。たたらを踏みながらリナは辛うじて剣先から逃れた。
 誰が見てもリナが不利なことは明白になっていた。助けたくとも今ここにはリナよりも剣の腕が立つ者はいない。剣を交える二人のうち、ゼロスだけを狙って銃で撃つことは難しいし背後の火薬も忘れてはならない。シルフィールたちは手をきつく握り合わせながら、ただ傍観することしかできなかった。
「まだ頑張りますか?」
「…………」
 リナは答えずに手の中の柄を握り直す。

  ──人を舐めたその態度が油断を生むのよ!

 息を整え、剣をゼロスへ構える。じゃりっと足元の土が鳴った。リナは起死回生を狙い、相打ちも辞さない間合いでゼロスへ飛び込む。避けようとするゼロスの動きも読みの内。絶対の狙いで剣を突き出した。
 ──だが、リナの剣はなんとゼロスの掌底で弾かれたのだった。
 驚き、動きの鈍った瞬間にゼロスはリナの脇を回り込む。
 声を出す間もない刹那にリナの身体を衝撃が襲う。
 どこを斬られたのだろうか……いや、斬られたのか殴られたのかすら分からない。
 一瞬にしてリナの意識が底に沈んでいく。

 ──もしかして、もう二度とガウリイとは会えなくなる?

 口の中で彼の名前をつぶやく。それから自分が抱きとめられるのを感じる。
 そのままリナは昏倒した。
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