後宮伝説 16

 メタリオム軍による帝都侵攻が始まる。
 帝都の富豪達はとっくに敵の手の届かぬ田舎まで退去をすませ、残っている貧しい人々は家の中で息を潜めていた。どうやら敵は抵抗をしなければこちらにまで害を及ぼすことはないらしい──。

 初めに賊軍と決めつけたのは誰なんだと文句を言いたくなるぐらい、メタリオム軍は無駄なく統率され、端々の下級兵士や荒くれ者の多い傭兵まで纏め上げられていた。しかし──メタリオム軍を手引きする者たちの協力で早々と帝都の城を包囲し、内部への侵略を始めたところで少々ばらつきが生じる。
 メタリオム女帝腹心の部下、ゼロス率いる軍隊は大多数が外廷の制圧に専念し空の玉座を血で濡らしていった。残った最後の兵士たちによっていくたびか攻撃されるも、それもさしたる成果は上げていない。完全制圧されるのは時間の問題だがなにしろ外廷はとてつもなく広い。「皇帝を見つけたら殺さずに連れてきなさい」と命令し、ゼロス自身も外廷へかかりっきりとなった。

 その一方──外廷には目もくれず後宮攻撃に向かった兵士達がいたのだ。欲望のまま勇み足が過ぎた彼らについては、気の毒としか言いようがない。宮女達は今ごろ後宮の奥で怯えながら震えているだろう、となめてかかったらいきなり砲弾の洗礼を受けたのだから。
 後宮に入るには外廷からの通路もあるが、敵はそんな遠回りはすることは出来ず、手っ取り早くと街から城門をくぐった。もっとも外廷からの門はすでにリナによって破壊された後で、後宮に入るにはその道しかなかったのだが。
 そして後宮へとつながる宮門を喜び勇んで通り抜けようとして──出口に待ち構える黒い物体が、こちらへと向けられた砲門と気付いた時にはもう遅かった。

「──てぇーっ!!」

 リナの良く通る声韻は続いて起こる轟音によってかき消された。
 雷よりも数倍は大きいと思うほどの音と衝撃が起こる。煙塵の晴れた後に残るのはまたしてもリナによって壊された後宮の門の残骸。その瓦礫の下と向こう側には敵兵達の呻き声が満ちていることが予想された。
「さぁ、始まったわよ! 皆配置についている? 準備はぬかりない!?」
 リナが間髪を容れずにてきぱきと指示を下す側で、ゼルガディスは愕然としていた。
「あ、あ、あ……」
「バカみたいに口開けて、どうかした、ゼル?」
「……ぁあのなぁああ! 宮門までぶっこわしたのかお前は!」
「そうよ。だって敵が目前まで来てたんだもん」
 しれっと答えるリナ。ゼルガディスはどうして開戦間近に一瞬でもこいつから目を離してしまったのだろうと激しく後悔した。
「宮門まで壊してしまったら! もう外への道は全て塞がれてしまったんだぞ! ここで篭城していつまでもつっていうんだ!」
「じゃあ! 他に方法があるっていうの!?」
 リナが荒々しく眼を煌かせ、ゼルガディスを見据える。
「敵に内部への侵入を許したら手間のかかる火器は役に立たなくなるわ。距離があってこそ女たちに有益な武器なのよ! 白兵戦になんぞなってみなさい、宮女は簡単に押さえこまれて陵辱されるだけだわ」
「だからといって! 篭城しても俺達には後がないんだぞ! もうどうしようもないじゃないか!」
「簡単に諦めないでよ! これが少しでも生き長らえる最善の方法なのよ。それとも他に方法があるってんなら言ってみなさいよ! ゼルなら、今、どうした!?」
 少しもひるまずにリナはくってかかる。ゼルガディスは反論しようと息を吸ったが──いつもは冴えわたる思考も、あたりに立ち込める土埃のせいででぼやけている視界のように霞んでいた。
「ゼルならどうやった? 他に方法はあったの!?」
「……ない。他に方法は……なかった」
「でしょ」
 宮門を破壊し道を塞いだ今となってはこのようなことを論じていても仕方ない。
 篭城は始まってしまった。門を破壊した瞬間から。
「しかし、弾薬や食料はもって数日だぞ。その後はどうするつもりだ!」
「これから考えるわ」
 再び絶句したゼルガディスに、リナは「ゼルも考えてね」と少々ばつが悪そうに付け加えた。


 後宮は周囲を高い城壁で囲まれ、出入り口はリナの破壊した2ヶ所以外には存在しない。その城壁も各々の時代で増改築され、ところどころにはいびつな起伏があり一種奇妙な造形を成している。それは外部からの侵入と内部からの脱出を阻んで造られたものだ。篭城を始めた今、リナたちは歴代皇帝の独占欲に感謝をしなければならない。
 瓦礫の積み重なる門の部分には大砲を据え置き、城壁が低く登られやすいところには小型の火砲や小銃を置いて射撃させた。図らぬ場所からの侵入にも備えて宦官には拳銃を持たせ、どこへでも急行できるようにする。首尾は完璧であった。弾薬がある限りは。
 その肝心の弾薬が尽きてしまった時には後宮はどのような悲惨な目にあってしまうのだろうか?
 現在の後宮は、そんな未来をまったく予想させないほど──楽しそうだった。

 宮女たちは簡単な流れ作業にも慣れ、すっかり操作を身に付けている。
 ひいひい言いながらやっとのことで城壁を登ってくる敵に向かって弾を撃つと、当たらずとも転げ落ちていく。射撃をしながらきゃっきゃっと歓声を上げ、若い乙女たちが遊び戯れる実にのどけき光景が繰り広げられていた。とりわけリナは楽しそうに火砲を撃ちまくっている。側で見ていたガウリイは呆れはて、出る幕はないと頭を振って宮舎へと引っ込んだ。
「……外の様子はどうだ」
 臨時に設けられた司令室──本当に形ばっかりなのだが──には、ちょうど休憩らしいゼルガディスがいる。
「リナが楽しそうだ」
 男二人は揃ってはあぁと脱力する。ここに来てガウリイは出番がない。砲撃を手伝おうとすると「皇帝陛下に何かがあっては一大事」と追い払われるし、リナはすっかり熱中してかかりっきりになっている。
「──ゼル、ここはあとどのくらい持つかわかるか?」
「さあな、わからん。が、なんにせよ遅かれ早かれ抵抗の手段はなくなるぞ。脱出の方法を考えねば……」
「オレ、小さい頃、城から外へ抜ける地下道があると聞いたことがあるぞ」
「あると言うよりもあった、のほうが正しい。数代前に内乱が起こった時、外への脱出路は壊されたそうだ。以前調査してみたが確かにほとんど使えない状態だったな。一部外廷と後宮が通じているかどうか、という程度だ」
「詳しいな」
「仕事だ、これも! お前も幼い頃ちゃんと聞かされたはずだぞ!」
「……いや……あんまり覚えてない」
「だろうな……」
 ともかく、脱出の案が一つは消えてしまったわけだ。二人は再び思案に暮れる。
 外からは相変わらず号砲と歓声が上がっていた。このように威勢よく抵抗していられるのもきっとあと数日かと思うと、ガウリイはやりきれない思いにかられる。
「まったく、あのお転婆にかかると命懸けの攻防がまるで遊戯みたいだ。お前の人を見る目もたいしたもんだよ」
「『女を見る目』って言えよ。せめて」
「ガウリイ……聞いていいか?」
「なんだ?」
「リナはもう抱いたのか?」
「いいや」
「だろうな。リナの姿はとても抱かれた女のようには見えん」
「……今、オレがリナを抱くことに何の意味がある?」
 その堅い声にゼルガディスは怪訝な顔をした。
「いずれにしても国は滅亡する。だとしたら後継を作る意味もないじゃないか。良かったな、ゼルガディス。お前の悩みのタネは国と一緒に消滅する」
「お前っ……お前は義務でリナを好きになったわけじゃないんだろ! だったら後継とかは関係ないじゃないか! そんな、ひねた風にしか女を愛せないのか!?」
「──リナは、できることならここから逃がしてやりたい。でもオレの運命はこの国と共にある。死ぬ男の、一方的な気持ちのせいであいつにしがらみとか与えたくない。自由なままの、何にも縛られないリナでいて欲しい」
 滅亡は決定したとガウリイは考えている。
 それは──自分の死を意味していた。
「リナだけは死なせたくない! どうにかして脱出させる方法はないのか……?」
 拳を握り締め、ガウリイは天に懇願する。しかし、それが難しい願いであることをゼルガディスもガウリイ本人も、痛いほどによくわかっていた。


 敵兵は「しょせん女どもの悪あがき、せいぜい数日限りの抵抗だ」と甘く見ていたが、意外な手強さに歯軋りしていた。目前の好物をお預けにされればされるほど血眼になって後宮攻めに狂奔するも、道は開けない。
 外廷はすっかりメタリオムに制圧され、静まり返っている──ときおり銃声と歓声が後宮から響いてきた。大して重要でもなし、後宮攻撃は好きなようにさせておこうとそれまで放っておいたゼロスは驚く。
「なぜ後宮程度にてこずっているんです。そこにいるのは兵士ではなく宮女なんでしょう?」
「じ、実は西方の火器を持ちこんでいるうえに篭城されて……まだ落とせないのです」
「ふむ……兵火器ですか。なかなかやっかいですね」
Page Top