後宮伝説 15

 北師営軍が敗退したという知らせがあってからほんの数日しかたっていないというのにあれからメタリオム軍は正規軍をも打ち破り、帝都を目前としている。敵軍の数は先の戦よりも膨張していた。メタリオム本国からの追加派兵もあるし、投降した自軍の兵士が次々と合流しているのも原因のひとつだ。
 長い物には巻かれよ──弱い者には当然の道理でもある。負け戦で哀れにも敗走しなければならなくなった下級の兵士達には、よく知りもしない新皇帝に命をかけるほどの忠義はないのだ。まずは生きるため。兵士へ支給される食料を目当てに降兵はメタリオム軍へと合流していった。
 日ごと数増す敵に正規軍すら臆病風に吹かれていた。腰が引けた兵士達など、使い物になるはずもない。負け戦が続くと「もう帝都を蹂躙されるのも時間の問題」と宮廷ではまことしやかに囁かれるようになっていた。さっさと見切りをつけた家臣は大臣を筆頭とし、すでに帝都から姿を消している。
 だからといってこちらもただ負け戦に甘んじているわけではなく──精鋭を集め、敵の幹部を狙った襲撃部隊を編成させた。が、しかしこれもどこからか情報が洩れていた。襲撃を敢行するもこちらの行動は全て読まれており、結果として兵士のほとんどが命を落とし生き残った者もほうほうの体で逃げ帰ってくる有り様だった。打つ手は、もはやまったく残されていなかった。

 ガウリイはこのごろ病み衰えたような表情で現れる。窮地を切りぬけようとゼルガディスと共に数々の案を考え実行しているが、日々状態は悪化するばかりだ。自分の手の及ぶ範囲でもと奔走して──後宮には時間の合間を縫ってたまに現れるが、疲れきった彼からは笑顔が消えていた。
「くそっ……もう全てが手遅れというのか!」
 今やメタリオム軍は城をわずか手前の距離としたところで野営をしている。膠着状態、という程度のものではない。獲物を目の前に悠々と休みを取っているといったほうが正しい。
「ガウリイ……」
 苦悶するガウリイを慰める言葉もなく、リナは沈黙する。乱のことは小耳に挟んではいたがここまで切羽詰った状況とは思いもしなかった。
「城を落としたあかつきには、まず、後宮を犯すと言っているらしい」
 ──事実である。千人ものそうそうたる美女が集められているという後宮を敵が見逃すはずがない。美女達と快楽に戯れる様を想像し、敵軍の兵士達は涎を垂らさんばかりだった。
「ちょ、ちょっとおぉ!? いつのまにそんなとんでもない話になってんのよ!」
「わっ、リ、リナ!」
 皇帝の首をがしいっと掴み、がくがくと容赦なく揺さぶる。
「そーなる! 前に! どーにかできなかったのあんたらは! 仮にも皇帝なんでしょ! だらしないわねっ!」
「……く、るしっ……げほっ、げほっ! オレ達に出来ることはやってるし、これからもするさ! しかし敵が一枚上手なんだよ。やることなすこと、全て読まれて……」
「地方の諸侯は!? 彼らも挙兵するのが当然でしょ!」
「連絡網を断たれている。帝都の現状は噂で伝え聞いているかもしれんが──」
 襟を正しながら言葉を続ける。
「いかんせん、時間がなさすぎる。帝都への侵攻が始まるまでには間に合わないだろう」
「そんな……」
「最悪の場合には、お前さんたちはここを落ち延びねばならん」
「だったら。あたし達が奴らを追い払えばいいわ!」
「……は!?」
 何冗談を言っているんだ、とガウリイは笑い飛ばそうとしたが。リナはこのうえなく本気だった。
「戦いもしないで諦めるなんてできないわ! それにじっと敵の出方を待ってろっていうの!? あたしはそんなのごめんよ」
「リナ、無茶を言うな……」
 ただの宮女達がどうやって敵軍に対抗するというのだ。そんな方法なぞ考え及びもしない。破天荒で突飛なことばかりしでかすリナだが、今度ばかりはどう足掻こうと無理だとガウリイは頭を振った。


 一度決めたら即行動に移す。まずリナは止める婢女の手を振り切って部屋を飛び出し、賛同者を集めるべく後宮内すべての人々を説得しはじめた。侵入者たちと戦う抵抗勢力を組織する。守ってくれる、頼りになる者はもう誰もいないのだ──自分達以外には、と。
 もちろん反応はかんばしくない。
 宮女のほとんどが怯えて「戦などとんでもない」といった顔をした。こんな反応など予想の範疇だが、リナは「んじゃ手をこまねいて見てろっての!?」と詰め寄りさらなる説得を展開させた。中には物好きにも「リナ正妃様のお手伝いをします」と進んで言う宮女もいる。シルフィールもその中におり、リナは手を取って喜んだ。
「私も出来るかぎりのことをしますわ。どこまでお役に立てるかわかりませんが……手分けして説得してまわりましょう!」
「ありがとう、シルフィール!」
 婢女や忠義者の宦官達の賛同とリナの強引な説得の成果もあり、こうして辛うじて抵抗に足るだけの人々が集まっていったのだった。


「お、お前さん本気だったのか!?」
「誰がいつ冗談って言ったのよ」
 リナの起こした軍事活動を聞き付け、慌てて止めに来たガウリイは目を丸くする。
「本当に戦うつもりなのか! 死ぬかもしれないんだぞ!」
「死ぬつもりなんかこれっぽっちもないわ。あたし死にたくないもの。ただじっとしてらんないだけ」
「……つくづく、変な奴だよな、リナって」
「失礼ね! 変とはなによ!」
 むくれるリナに、ふいにガウリイの手が伸ばされる。リナは身をすくめて目を閉じてしまったが、彼の手はやさしくくしゃりと頭を撫でただけだった。
「お前さんが言うとまだ諦めちゃいけないって気になるから不思議だよな」
 目を開くとその穏やかな表情がまるで幻のように儚げで、リナは手を払いのけられなくなってしまった。動かずにじっと彼のさせたいようにしていれば、頭を撫で続ける大きな手が心地いい。
「……こうなってしまったのはあんたのせいじゃないわよ」
「かもしれん。だが今起こっている事のすべてはいずれ皇帝に収束してくる」
「だったら! なおさら諦めちゃダメよ!」
 頬を紅潮させるリナの瞳には炎が宿っているようだ。
「あたしは全力で戦うつもりよ。……武器が少ないのが問題だけど」
「武器か……」
「宮女でも使えそうな武器って残ってないかしら?」
「そうだ──手間はかかるがうってつけの物がある」


 外廷は大半の家臣が遁走し閑散としている。残っている者もいはするが、息をひそめて自室にこもり、次の主人が玉座に落ち着くまではと傍観を決め込んでいた。遁走のどさくさに紛れて内部の宝物は持ち出され、飾りを失った外廷はすっかり色褪せ寒々としている。その中をゼルガディスを含めた三人で武器庫へと向かう。
「ろくでなしどもめ!」
 忘恩の徒を罵りながら歩むゼルガディスの手には鍵が握り締められていた。外廷の奥にある武器庫の鍵だ。解錠し、軋んだ音を立てながら重い扉が開かれる。「火薬があるから気を付けろ」と二人に注意しながらゼルガディスが燭台に火を灯すとリナは歓声を上げた。
「すごいじゃない、西方の武器ばかりこんなにたくさん!」
「これはオレの父が趣味で集めさせた物なんだ」
「まさかこうして使う機会がくるとはな……」
 先帝は武器収集を趣味とし、わざわざ西方の商人から最新の武器を買い求めていた。数人がかりでないと使えないほどに大きな大砲が五門、携帯用の火砲は火縄式、火打石式の小銃とそろっている。拳銃、投石器、弩、さらに壁には槍、長剣、短剣などがところ狭しと飾られていた。
「これだけあれば十分戦えるわ! ……だけど、火器になると使い方がわかんないわね。誰か知っている人はいないの?」
「ゼル、お前使い方知ってるって言ってなかったか?」
「……とはいっても本を読みかじったぐらいだぞ」
「知ってるの、ゼル! じゃ都合いいじゃない、あんたが将軍やんなさい」
「はぁあっ!?」
 目を丸くする男二人を置いて、リナは並べられた武器の側に行くと物色を始めた。
「ちょっと待てリナ! 俺に将軍をやれだと!」
「まずは武器が使えないと話になんないでしょ。指導よろしく。まかせたわよ」
「馬鹿を言うな! 第一、後宮にはこいつ以外の男は入れないんだぞ!」
「こいつの許可があればいいんでしょ。ね、ガウリイ♪」
 振り返ったリナはガウリイに可愛らしく片目を閉じてみせる。その手に小型の投石器がなければ彼も素直に微笑み返しただろう。
「……許す」
「ほら~後宮に入れるわよ! よかったわね~ゼルちゃん」
「きさまらー! 俺に白粉くさい女がうじゃうじゃいるところに行けっていうのか!?」
「今から火薬くさくなるわよ。女に纏わりつかれるのが嫌なら宦官のフリでもしていけば?」
「お前なあ……!」
「自分の貞操は自分で守ってね」
 ゼルガディスの唸りを無視し、リナは後宮へ武器をどのように搬入させようかと思案するのだった。


 武器、弾薬をすべて後宮へと運ぶのは大事であった。なにしろ車輪がついていても大砲の重さは並みではない。宮女が数人がかりで力いっぱいに押すとやっと動き出すほどだし、携帯用とは言え小銃も一人で運ぶには重すぎる代物だ。リナは自ら作業に加わりながらへこたれる宦官や宮女達を叱咤し、後宮内へ武器を運ばせたのだった。
 武器の搬入が終わればゼルガディスが兵火器の使い方について皆に説明をする。発射の手順はどの兵火器も似たようなものだが、手間がかかり何かと面倒であった。それが非力な女性達にとっては唯一残された抵抗手段なのだ。
 ゼルガディスの一通りの説明の後、リナはおもむろに立ち上がる。
「だいたいはわかったわ。ゼル、試射するわよ」
「はぁっ!? どこを!?」
 リナは言うやいなや宮女達に命令し火薬と弾丸を準備させる。小銃などをそれぞれの班にあてがって装填をまかせ、さらに大砲を一門ひいて砲口を門に向けさせた。
「まず、あの門を撃ってみましょう」
「な、何を言う! あの門を破壊したら外廷との行き来が出来なくなるぞ!」
「もうたいした人の行き交いはないでしょ。それに敵が真っ先に侵入するのは外廷からよ。だったらここと外廷との道は塞いでおいたほうがいいわ。あーそこ。手順間違ってる! 火薬を詰めるのが先!」
「無茶はよせ!」
「準備はいい?」
 銃口、砲口をまっすぐ門に向けさせた。
 火縄に火が灯り着火の用意が整う。
「おい、ちょっとは俺の話も聞け! 俺が将軍なら意見を尊重しろ!」
「うっさいわね! 今やるべき優先順位があるのよ!」
「あ、あの、リナ正妃様」
「何よ!?」
「門から陛下がおいでになります」
「あー、あいつまだ外廷でうろうろしてたの!? とろいわね!」
 こちらに慌てて走ってくるガウリイに手招きをする。
「ガウリイぃ~! 早く来ないとぶっ放すわよ~!」
 中止する気はさらさらないらしい。ガウリイに言うだけ言うと、皆に銃を構えさせる。
「よーし、狙えー!」
「お、おいリナ! ガウリイがもっとこっちに来るまで待て!」
「大丈夫よ。照準はあいつじゃなくて門なんだから」
 それぞれの砲門を一瞥し、リナは号令をかけた。
「──てぇーっ!!」

 火縄から道火薬に火が移る、しゅしゅっという音があちこちから起こる。そして、音というよりも凄まじい衝撃波に襲われて、皆後方に吹っ飛んだ。大砲を扱った宮女の中には気を失った者までいる。あまりの轟音にリナは耳がいかれたかと思ったが、土埃の向こうに目をこらすと見事、門は粉砕されていた。粉塵をかいくぐり、豪華な金髪も煤けさせた皇帝がむせながら現れる。かつて門であった破片はぱらぱらと皇帝の頭上にも遠慮なく降りかかっていた。
「リ、リナ! オレを殺す気かーっ!?」
「殺すつもりならちゃんと狙って撃つわよ」
 試射の成功にうきうきと声を弾ませ、リナはにっこりと笑った。
 こうして危急存亡のさなかに世にも珍妙な「後宮軍」が設立されたのである。
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