後宮伝説 14

「もっと正確な情報はないのか!?」
 どん、と卓が割れんばかりに叩いて使いの兵士が怯えるほど激怒しているのは、他ならぬゼルガディスであった。使いの兵士は一時も休まずに戦地から飛んできたせいでだいぶんくたびれていたし、彼を責めてもこれ以上の情報が得られるはずもない。それがわかってても怒鳴りつけずにはいられないほどゼルガディスは苛ついていた。
「落ち着け。ゼルガディス」
 自分の後ろに座る皇帝にたしなめられる。
「こんな時にまでお前はのほほんとしてられるのか!?」
「そんなわけないだろ」
「だったら──」
 背後を振り返り、ゼルガディスは己の思慮が足りなかったことを知った。腕を組み椅子に深く腰掛けるガウリイの声色は落ち着いたものだが、その目はまるで猛禽のように鋭く前方を見据え、そしてぎらぎらと光りながら怒りに満ちていた。
 ──ゼルガディスはガウリイに気圧される形で押し黙る。
「順を追って説明してくれ。まずは将はどうなったんだ? なぜあれだけの策士がついていながら敗走した?」
 声を荒げずに──それでいて瞳は鋭いまま、兵士に問いかける。
「将は……陣中にて殺されました」
「っなんだと? 敵が陣地内へ侵入するのをおめおめと許したっていうのか!?」
「いえ……いいえ! 将は、警護についていた味方のはずの兵士に暗殺されたのです!」
 使いの兵士は叫ぶように言うとがっくりと膝を折った。その内容にガウリイは絶句し、綺麗な眉根を歪めた。ゼルガディスがぽつりと後を続ける。
「大臣の側に……取り込まれた者だったらしい」 「──前々から将に仕えていた者だったのに、仲間を裏切ったのです。そして将を暗殺した後、陣中に敵を手引きして将官達も一気に……殺され……」
 最初に将を、それから手際良く次々と将官達を殺害されて指揮系統を奪われた軍は大混乱となってしまい、残った兵士達だけで統率を組むことは無理であった。名将と謳われた将をあっさりと失い、にわか仕立ての指揮官を立てても統御が取れるはずもない。内部に裏切り者がいただけで勝敗は決していた。
「大臣派の者が敵を手引きした? 賊軍と大臣は繋がっているのか?」
 低く唸りながら喋る皇帝の言葉が重しになっていくように使いの兵士は深く低頭し、恐れ憚りながらも答えた。
「は……い。敵軍と連中は繋がってました。でも……でも、裏切り者も敵の正体がメタリオム軍とは知らなかったようでした……」
「──なに!?」
 体制を整える間も無くなし崩し的に戦が始まった時、兵士も敵側に寝返った者も皆一様に驚いたのだ──北関の風にはためくメタリオムの軍旗を見て。
「山麓になだれ込んできた敵軍は聞いていたよりもはるかに大勢でした。相手の地の利もあって……我が軍は一日で……!」
 兵士はとうとう話すことができなくなる。くぐもった嗚咽のその哀れな響きにガウリイとゼルガディスは自軍が負けたという現実を眼前につきつけられた気がした。
 聞けば聞くほどに散々な状況だ。大臣を取り込み、内部に手をまわす狡猾な手口。恐ろしいほどの手際の良さ。こちらは敵数を把握することさえできていないのだ──情報戦でも全てが後手にまわっている。
 気付くのが、遅すぎた。メタリオムの根はすでに深く広く張り巡らされている。





「わらわはあの忌々しい今上を弑し、我が子を天子に就けたかったのみぞ! なにゆえ賊軍を帝都にまではびこらせるのじゃ! 邪魔な者を戦に紛れて一掃するだけではなかったのか!?」
 皇太后の宮殿の一室。豪奢な服に包まれた宮殿の主はその美しい相貌が崩れるのにも関わらず、顔を真っ赤に激昂していた。
「邪魔な者を一掃する、というところは当たってますね。 でも帝都に攻め入らないとは僕は一言も言ってませんよ」
 飄々と答える男。真っ黒い神官服はいまや喪服を連想させるものでしかない。場違いな柔和な笑みを浮かべるが、その心の読めない紫の瞳に皇太后は戦慄した。今まで気にもしなかったが、この男はなんと深く暗い瞳の色をしているのだろうか!
 男──ゼロス──は大臣と結託をした際に現れた。思えば大臣もゼロスの話に乗せられて皇太后に持ちかけてきたのだろう。これまでに幾度も皇帝暗殺に失敗していた彼女にとってはこの上ない良い話だったのだ。
「帝都に攻め入り、どうするつもりなのじゃおぬしは!」
「……まだわからないのですか? 僕はメタリオムの者なのですよ」
「な、なんじゃと!」
「メタリオム皇帝、ゼラス様の密命を受けて敵地に潜入してきたまで。今頃に言われてやっと気付くなんて平和ボケもいいところですねえ」
 言葉とは裏腹に侮蔑の表情はない。ただただ楽しむように目が細められる。いや、彼は心底楽しんでいるのだろう。青白く顔色を変えていく皇太后にゆったりと微笑みかけて言葉を続けた。
「大臣殿とあなたの権力を利用して、地道ぃ~にこつこつと僕の息のかかった者で占めさせてもらいました。まあ、あわよくば皇帝を、と後宮に刺客を送った暗殺計画は失敗しちゃいましたけどね」
 あっはっは、と平然と笑ってみせる。それを見る皇太后は──己のしてしまった事に気付いてからは扇を持つ手ががたがたと震え出し、止めることができない。
「おかげさまで滞り無く事が運びそうです。今回の侵略戦争は大成功ですよ。ゼラス様もさぞかしお喜びになるに違いありません」
 ありがとうございます、とわざとらしく礼を言う。これも全て皇太后の反応を楽しむ為に言っているに決まっている。
 皇太后は喋ろうと口を開く。乾いた唇から出た言葉は掠れていた。
「そんな……では……では、大臣もおぬしに騙されていたのか?」
「そうです。彼もあなたのように目先の利益に目がくらんだのですよ。とても簡単に僕の策略に引っかかってくれました。まあ、僕の正体に気付くとすぐに都を落ちられたようですがね」
 最初の頃、欲に溺れる者達に彼を侮らせていた笑みは今や恐怖の対象でしかない。虚栄が剥がれ落ち、ただ震えるしかない皇太后は縋る者も頼る者も思いつかず、国が滅んだ後の身の振りなんぞ己には残されてないことに考え至る。
「僕達は待っていたのですよ。新皇帝が即位し不安定な時期に、貴方達のような仲間をやすやすと裏切ってくれるような人々が現れるのを」
「あ……あ、あ、ああぁぁ……」
 手から扇が滑り落ちる。
「残念ですが、皇太后様。ここで今生のお別れです」
 ゼロスはメタリオム式ではなく、しらじらしくもこの国の様式で礼をした。
 一分の間違いもない正確な礼。ゼロスが顔を上げる。
「貴方がたがもう少し賢かったら、この国もこんなふうにあっさりとは滅ばなかったでしょうにねえ」
 優雅な笑みを振りまいてゼロスは身をひるがえす。ぱたんと閉じられた扉の内側からは絶望の悲鳴が長く続いた。
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