リメインズレイダー

番外編 あるオフィスの日常 1

 組織の本拠地は、オフィスビルの一画にあった。
 狭くも広くもないごく普通の事業所で、いくつかの部屋を埋めてしまっている大量の資料や遺物は、新たに開設された新事業所──通称『秘密基地』に移されることが決定している。
 世界中がネットワークで繋がる現代、情報通信機器を利用することで、どんな場所にいても仕事に差しさわりはない。さわりはないが──ゼルガディスは、秘密基地に勤務するのだけは御免だと思っていた。
 まず、あまりにも交通の便が悪い。そして内部にまだ何もない。ゼルガディスは食に対して貪欲ではないものの、ちゃんとしたバリスタの淹れたちゃんとしたコーヒーを飲みたいし、その日の気分で好きに食事を決めたいのだ。
「だが……いつかは、ルナに秘密基地への異動を命じられそうな予感がする……」
『えっ。いいところですよ?』
 パソコンの画面にはシステム・アメリアがワイプ表示されている。音声はスピーカーからだ。
「いくらなんでも遠すぎる」
『往復はヘリでしたらあっという間ですよ。あっ。その噂のヘリで、そろそろルナさんが屋上ヘリポートに到着します』
「そんな堂々と移動して、どこが秘密基地なんだ?」
『だいたいの位置は把握されるかもしれませんが、出入り口のゲートはちょっとやそっとじゃ見つけられませんから』
 それに、アメリアの補助がなければ内部に入るのは容易ではない。あれからリナとアメリアの働きにより、遺跡内部と外とを繋げるゲートが新たに複数設置されている。利便性は徐々に向上してきているのはわかるが、でもしかし──
「あんなところで働いたら、きっと俺は三日と耐えられないだろう」
「……あら、住めば都よ」
 秘密基地から戻ったルナがオフィスに入ってきた。彼女の行き来はもう何回目だろうか。
 ルナはまるでそのあたりを散歩するかのように、フットワーク軽くヘリに乗る。自分が往復してるわけではないが、ゼルガディスは「ちょっと行ってくるわね」と言われるたび、距離感が狂いそうになる。
「秘密基地は広いから大規模実験でも遠慮なくどんどんできるし、訓練にももってこいだわ。あと、ホログラムのアメリアにも会えるわよ?」
『えへへ、さっきもお会いしましたね!』
 インターネットとの接続が可能になったアメリアは、『いつどこにでもいる』存在となっている。しかし、地下遺跡以外では実像させる機器が設置されていないため、このオフィスでのようにモニター画面やスマートウォッチにひょっこり顔を出す程度だった。
『実はですねえ! 体がない私のために、ゼルガディスさんが私の義体を作ってみようかって計画してくれてるんです』
「えっ!? 義体を?」
「──ああ。主に人体の構造を研究していたとき、義体の専門家に話を聞くことがあってな。俺の祖父も身体パーツの実験をしていたし、その研究内容も活かせるかもしれん」
「へえ、アメリアの『容れ物』をね……楽しそうだけれど、それって相当に費用がかさむ計画じゃない? それはどうするの?」
『大丈夫です! 私が調達してきます』
 画面の中のアメリアがにっこり微笑んだ。
「調達って……」
 最初からそう設計されていたのか、アメリアの人格は法令遵守の精神が染みついている。
 ──だがしかし、『法を犯さなければすなわち正義である』という都合のよい意識も持っている。どういった方法で資金調達をするつもりなのか、少しおっかない気持ちもあり、ルナは詳しく聞くのをあえてやめておくことにした。
「……まあ、義体を完成させるのは簡単じゃないだろうけど、仮に完成したとして。あなたにとって、『体』は窮屈なところかもしれないわよ」
 殻に納まると制限もいろいろと生まれるだろう。
 体を得るのは、果たして進化か退化か。
『いいんです。ずっと義体に納まるわけじゃありませんので。時にはデータの海で、はたまたあるときは義体から、みなさんのサポートができたらいいなって思ってます』
「そうね……あなたなら、きっとどんな姿をしていても頼もしいわ」
 ルナは満足げに笑い、モニターに写るアメリアにエールを送った。
 そして自分のデスクへと向かい、歩き出したところで──
「ぴゃっ!?」
 驚きの声を上げて飛び退いた。
 デスクの近く、通路から死角になっていたところで、床に男が転がっていたのだ。
 ゼルガディスはこの組織に来て以来、初めてルナの悲鳴らしきものを聞いたと──しみじみ思いながら、仕事の手は休めないでいる。
「なっ、なにこれ……ガウリイさん……?」
 床でぐったりと寝る男は、地下遺跡出身、自称リナの守護者(ガード)、そしてつい最近、組織の一員となったガウリイだった。
 ゼルガディスがやれやれと息を吐く。
「最初はデスクに伏せて寝てたんだが……だんだんずり落ちていって、その体勢になった」
 顔は土気色、息は浅くか細く、時折「ううう」と低く唸っている
「なにがどうしてこんなことに……おおよその生命力というものが感じられないわ……まるで屍のよう……」
 おそるおそるヒールの爪先でつついてみるが、ぐったりとしたままで反応はない。
「具合が悪いなら仮眠室に行けばいいのに!」
『仮眠室はリナさんが使うからって、ガウリイさんは追い出されたんです』
 リナならやりかねないとルナは納得したものの。
「だからって床で寝なくても……なんなのこれ、二日酔い?」
 問いにゼルガディスは答えようとして―言いよどむ。
 そして彼の目配せを受けたモニターのアメリアが、説明を請け負った。
『これはですね。あの日、です』
 室内がしいんと静まり返った。
「……あの日って……なにが?」
 ゼルガディスが咳払いをひとつ。
「アメリア、ルナに説明してくれ」
『わかりました──地下遺跡の始動と同時に召喚されたガウリイさんの活動源は、地脈からの魔力でした。地下都市は魔力不足でしたので、セーフモードで起動することでガウリイさんも簡素化して呼び出され、対応していました』
「簡素化して骸骨……」
 そんな省略の仕方ってあるか? と思ったが、ゼルガディスはとりあえず黙る。
『しかしリナさんがガウリイさんを呼び出した二度目は、活動源をリナさんの魔力としており、《あの日》の魔力不足に対して柔軟な対応ができず──ガウリイさんは深刻な魔力不足に陥り、ひいては生命力が枯渇し、このようにグロッキーな状態になってしまったのです!』
「はああ?」
 ルナは呆れと驚きの混じった声を上げる。
 話題のガウリイが床で寝たままごそりと身動きし、貧弱な声を上げた。
「ぎぼぢ悪い……」
「バケツでも持ってくるか?」
 ゼルガディスがゾンビを見る視線で床を見下ろす。
「こうなるって……彼を召喚したときに考えなかったの?」
『なにぶん、急いでましたので』
「こんな欠点があったら、円滑に運用できないじゃない」
──運用。シビアな表現にゼルガディスはガウリイにわずかに同情した。
『地下都市に紐付けされてる状態だったら、問題はなかったんです。しかしデーモンとの戦闘によりガウリイさんだけ《落ちた》状態になってしまったので……』
「そのあと、なぜリナに紐付けしたんだ?」
『そのほうが手っ取り早いのがまず一つ。あと、都市に守護者を紐付けしたままですと、住人不在では彼の存在意義が失われてしまいます』
 地下都市は、その存続よりも住民の有無を重要視しているらしい。
『あの時点でリナさんは守護者をご所望されており、また地上に戻りたいともおっしゃっていたので、リナさん自身に紐付けしたほうがよいだろうと判断したのです』
 ゼルガディスの操作なしに、彼のモニターにはアメリアによる説明図が表示された。
「リナが地上に戻ったあとのことをどう考えてたんだ?」
『手段はいろいろあります。ガウリイさんの強制終了後、紐付けを再設定して召喚する、などです。構成の見直し時期にきているんじゃないでしょうか。まさにいま。』
「見直し、ねえ……」
 ルナはうなされるガウリイを見下ろす。今までの会話が聞こえてたかどうか分からないが、か細い唸り声がノイズになって地味に響く。


「あ~よく寝たっ」
 元気よくドアを開けてオフィスに訪れたのは──仮眠室を独り占めしていたリナだった。
『あっリナさん。もう大丈夫ですか?』
「だいじょぶだいじょぶ! 薬がばっちり効いて……あれっ、ガウリイそんなとこで寝ちゃってるの? だらしないわね~」
「うううう……」
 横たわるガウリイの目じりに、涙が光っている気がする。
 ルナとゼルガディス、そして画面のアメリアのなんとも言えない視線がリナに向けられた。
「……なによ?」
「少しはいたわってやったほうがいいんじゃないか」
『リナさんの体調が影響しているせいですし』
「リナ……生理で苦しんでる人に、そういう言い方はないわー」
「は!? あの、ちょっと、どうしてあたしが責められる流れになってるわけ!?」
 困惑顔のリナに、「かけてやれ」とゼルガディスからブランケットが手渡される。
「まったく……なんであたしよりもあなたのほうが具合悪そうなのよ……」
 そのままにしとくのもなんだしと、ガウリイは近くにあったソファに寝かされた。
 足や体や髪がソファからはみ出しているが、床の上よりましだろう。体の上には申し訳程度のブランケット、そしてぞんざいにバケツを持たされている。
「うううう」
 困ったわねと、ルナが息をつく。
「これ……どうにかしてあげたほうがいいんじゃないの?」
「いや、あたしに言われても」
 自分が原因といわれても、自分でもどうしようもない現象なのだ。ピルでは根本的な解決にはならないだろう。リナはお手上げだと肩を竦める。
「ほっといても、数日すりゃ元通りになるわよ」
「そうだけど。彼には薬も効かないし数日は使い物にならない。そしてまた一か月後には同じ状態になっちゃうんでしょ?」
「そうなのよねえ……」
 二人仲良く生理休暇でも取るべきなのだろうか。
「召喚し直せばいい。アメリアができると言っていたじゃないか」
『できますよ~』
「ううう……オレは嫌だ……」
 地獄からもたらされる怨嗟のような呻き声に、一同の視線が集まった。
 ガウリイが、ソファに寝ながら会議の輪に無理矢理参加する。
「オレは……もう眠るのは、嫌だ……それに、リナとの絆が、なくなるみたいで……」
 一同は困惑の表情で顔を見合わせた。
 呻きながら紡がれる言葉には、深い悲しみと懇願が含まれている──ように聞こえる。ただガウリイの具合が悪いだけかもしれないが。
「絆って。召喚するときには必ず魔道士が必要だから、またあたしがガウリイを呼び出すのよ。だから、あたしとの縁がそれっきり切れるってわけじゃないわ」
「うう……眠らされて、また次に起きた時に……何百年も経っていたらって思ったら……怖いんだ、オレ……」
 ガウリイが『リナの守護者』という立場をいたく気に入っているのは、周知の事実となっている。時を経て手に入れた居場所を──せっかくの絆を、一時でも手放したくはないらしい。
「そんな心配しなくていいわよ。あたしがちゃんと呼び出してあげるから」
「そうよ。うち、常に人手不足なんだし」
 そんな理由かよと思ったが、ゼルガディスは何も言うまいと口をつぐむ。
「……嫌なんだよ……他の方法は、ないのか?」
 《睡眠は短い死である》とは誰の言葉だったろう。
 駄々をこねるガウリイは、入眠を泣いて拒む子供のようだった。
「でもな、ガウリイの旦那。あんたがそんな調子じゃ肝心なガードができないぜ。いざという時にリナと二人揃って『体調不良です』だなんて洒落にならん」
『確かにそうですね。呪文の使えないリナさんにろくに動けないガウリイさん』
「話にならないわ」
「う、うう……」
 ブランケットを頭までひっかぶって唸るガウリイに、どうしたものかとリナが溜息をついた。
 ゼルガディスがアメリアにふと話しかける。
「もし再召喚する場合は、ガウリイはここらの地脈から魔力を得るようにするのか?」
『ええ、そうです』
「地下都市は地脈の変動で魔力不足になったんだろ。地脈の位置が重要なら、ガウリイも契約した土地から離れられないじゃないか」
『ガウリイさんの場合、契約した地点から半径百キロくらいだったら問題ないですよ』
「百キロ!? 国境越えられないじゃない!」
 リナが驚きの声を上げた。地下遺跡を出てここへ移動してくるときは、魔力源のリナが同行していたため、ガウリイの活動に問題がなかったのだった。
『百キロ以上に遠出する場合は、リナさんが目的地についたときに地脈探知をして、ガウリイさんを再召喚してください。地球上、どこにでも地脈の流れは存在しますので』
「なにそれ……めんどくさい……」
「じゃあ百キロ以上に遠出する時は置いていくとか」
 ぼやくリナにゼルガディスが提案したが、ガウリイが弱々しい声で拒否する。
「オレ……リナと、あっちこっち一緒に行こうなって……約束うう……」
「あーうん、そうだったわね」
 そもそも、置いていけばリナの守護者をしている意味がない。
 『地付き』か『人付き』にするべきか悩ましい──と一同が考え込んだところで、ルナが口を開いた。
「……ちょっと思い出したんだけど」
 一同がルナに注目する。ガウリイもブランケットから顔を出して、ルナを見上げた。
「あれを使えばいけると思うのよ。この件、ちょっとわたしに任せてくれないかしら?」
 皆に確認を取るが、ルナの提案に逆らう者なんていない。
「姉ちゃん、『あれ』ってなに?」
「しまいっぱなしの遺物が使えそうなのよね。探してみるからリナも手伝ってちょうだい」
「はーい」
 会話しながら部屋からさっさと出ていく姉妹を視線だけで見送り、ゼルガディスは再び自分のデスクに向き直った。彼のモニターを占拠していたアメリアも、小さいワイプ表示に戻る。
『ルナさんは何を思いついたんでしょう?』
「さあな。ま、うちの倉庫には得体の知れない遺物や魔道具が大量にあるから、なんとかなるんじゃないか?」
 ソファにぽつんと残されたガウリイは心細げに時折呻く。
 それをBGMにして、ゼルガディスは黙々と仕事に取り組むのだった。
Page Top