サマー・ヴァンパイア 1

 夏の陽は長い――こんな時間でもまだ明るいのかと、ガウリイは大学校舎内から外を眺めた。そろそろ約束の時間で、意外に几帳面な彼の待ち人は遅刻しないように訪れてくるはず。
 はたして予想通り、時間をきっちりと守って彼女は現れた。
「ガウリイ~待った?」
「いいや」
 椅子から立ち上がりガウリイは小柄な彼女――リナを見下ろし、微笑む。リナの服装は活動的なジーンズに襟口の大きく開いたTシャツ。その下に着ているキャミソールの紐が、首から肩の華奢なラインを強調するように頼りなく存在している。
(うまそう……とは思わないよな。舐めてみたい、くらいは思うけど)
 会って早々の邪念をガウリイは視線を反らしつつ追い払った。

 いけない。自分は「無害な友人」でいなければ。
 今の居心地のいい関係を続けながらじわじわと、リナが気付かないほどのゆっくりとした速度で距離を縮めていくのが望ましい。男女の恋愛感情にどうも疎いリナには、正攻法でいくよりも「お友達の関係」から仲を進展させていくほうがいいとガウリイは判断していた。
 はじめ、リナからぐいぐいと来られたときには自分を誘ってるのかとも思ったが――彼女にそういったつもりはみじんもなかった。単純にただガウリイに興味があり、かつ、破天荒な自分の行動にもついてくることのできる、心身ともにタフなガウリイを稀有な友人として重宝しているようだ。
 試しにこちらから一歩押してみると、臆病な小鳥のようにぴゃっと逃げてしまう。なんて難しい女の子。だがそこも含めてリナが好きなのだ。結局、惚れたほうの負けなんだなと思いつつ、ガウリイはこの関係を楽しんでいる。


「じゃ、うち行こっか! ちゃんとDVDは持ってきた?」
「おう。カバンに入ってる」
 ガウリイはリナと連れ立って校舎から出た。
 リナとは学年も学部も違うものの同じ大学だ。最初のころはどうやって知り合ったのかと外野から問われることがうるさかったが、この頃はリナにいいように引き摺り回されるガウリイの姿を周囲は見慣れてきたようで、そういった質問はなくなっていた。「付き合ってるの?」という質問をリナは「まさかあ。馬が合うだけよ」と笑い飛ばすが、その背後で意味深な笑みを浮かべるガウリイの様子に二人の状況を察知できない者はいない。いろんな意味で、二人は目立つコンビとして学内で認知されていた。

 リナから「何を借りてきたの?」と聞かれてガウリイはアクション映画のタイトルを告げた。観てみようかなと思いつつ、ずっと先延ばしにしていた映画だ。
「吸血鬼ものでも借りればよかったのに」
「んなの観ても面白くねえよ……」
「吸血鬼の伝説はもう聞き飽きたって感じ?」
「そういうわけじゃないけど」
 単に、興味がさほどないだけである。皆無と言ってもいいかもしれない。

 実家の両親はガウリイが小さいころから「我々のご先祖様は伝説にも残る高貴な生まれ」だとか「表立つことはないものの絶やすことなく後世まで残すべき素晴らしき血筋」うんぬんと口やかましく、自分たちがいかに優れた生命体であるかということをことあるごとに言ってきたが、ガウリイは残念ながらこれっぽっちも興味を持つことができなかった。したがって両親からいろいろ吸血鬼伝説は教えられたものの、まったく覚えていない。

 ――大学ではリナのみが知っている事実なのだが、実はガウリイは由緒正しい吸血鬼なのである。

 リナに正体を知られてしまったのは、ガウリイが大学に部屋の鍵を忘れてしまったことが原因だった。
 この大学の敷地は広く、門から目的のロッカーの場所に行くまでは長い道のりがある。増築を繰り返している複数の校舎の間をうねうねと歩き、中央広場を斜めに突っ切り、校舎に入ってからもぐるっと廊下を大回りして裏側まで回らなければいけない。めんどくさくなってしまったガウリイは、もう夜だし目立たないだろうとコウモリに変化してぱたぱたとロッカールーム近くのドアまで飛んでいった。
 そしてあともう少しで到着――というところで、突然捕らえられてしまったのだった。
 全方向を網で囲まれ、じたばたとしても逃れることができない。
(これは……タモ網!? なんで釣り道具が?)
 ガウリイはふと「大学敷地内の川で外来種を釣りまくっている謎の人物がいる」という噂を思い出した。
 そうして、網の中でもがく『コウモリガウリイ』を覗き込むようにぬうっと顔を見せたのは、どんぐり眼が印象的な少女だった。
(……女の子?)
 高校生、いや、中学生にも見える幼い面持ち。なぜこのような場所に、しかも網を持っているのかと疑問に思ったが、まずは少女の隙を狙って逃げるしかない。
 ガウリイが暴れたり大人しくしたりしながら機を伺っていると、少女はぽつりと独り言をつぶやいた。
「コウモリって……おいしいのかしら?」
 冗談ではない。命の危機を感じ戦慄したガウリイは、絞められる前にと慌てて変化を解いた結果、少女に正体を晒す羽目になったのだった。

 最初は当然腰を抜かすほどに驚いていたものの、少女は眼前での出来事を信じないわけにはいかなかったようで、ガウリイが思っていたよりもよほどすんなりとその事実を受け入れた。
 どうして自分を捕らえたのか? とガウリイが質問したところ、たまたま空を飛んでいるコウモリを見つけたので捕まえてみただけ、とのことだった。
「だって、コウモリがわき目もふらずぴゅーって一直線に校舎に飛んでいくんだもん。目的地を予測して狙ったら簡単に捕まえられたの」
 コウモリに変化できるもののその行動パターンなんて知らない。ガウリイはコウモリの生態を学んでおく必要性を感じた。
 あっさりとガウリイの非現実的な存在を受容した少女――リナは、それを二人の秘密にしてくれた。「ガウリイの構成を調べたら面白そうね」などと恐ろしいことも言うが、調べたって発表なぞできない内容だろうし、ガウリイに迷惑がかかることをリナはわかっている。結局はたまに吸血鬼ネタでからかってくるだけで、リナはガウリイを恐れもせずごく普通に友人として接している。

 リナが警戒もせずガウリイとつるんでくれるのにはもう一つ理由がある。
 ガウリイが「否吸血主義者」と知っているのである。
 血を吸わなくても生きていけるし、吸血なんぞしたら事件になって犯罪者になってしまう。だからそんな無意味なことはする必要がないのだとガウリイはリナに宣言していた。なので、リナは安心しきって友人付き合いを続けている。

 ただ、吸血そのものに興味はないものの、ガウリイはリナの側にいると彼女から立ちのぼる「かおり」が存在することには気が付いていた。リナの強い生気とオーラは常人を超えたものがある。そして穢れのない、なんともいえないほど瑞々しい彼女自身の芳香。彼女の血を吸いたいとは思わないが、もっと側に近付きたいという欲求は常にある。食欲ではなく、ただの男性として普通にある性欲なのかもしれない。
(血が欲しいんじゃない。リナが欲しいんだ)
 この渇望が吸血鬼の本能だとはガウリイは思いたくなかった。だから、例えどんな状況になろうともリナの血は吸わないと決めていた。そんな場面になることは決してないだろうけども。


 夕暮れの時間は一瞬で、気付けばすぐにグレーのとばりが下りてくる。二人並んで歩道をゆっくり歩き、陽の光のない心地良さにガウリイは一息ついたがリナはまだ暑そうにしていた。
「もう! 最近は夜でも蒸し暑いわね」
「そうだなー」
「海に行きたーい」
「え、今からか!?」
「違うわよ、晴れてる日に泳ぎに行きたいの!」
「オレ……いちおう吸血鬼なんだけど……」
 日常であまりにも普通に接してくれるので、ガウリイが吸血鬼であるということをリナは忘れていやしないかと時々思ってしまう。リナはガウリイを見て唇を尖らせた。
「でもガウリイって昼間も外を歩いてるじゃない」
「歩けるけど、まったく平気ってわけじゃないんだぜ」
「強い日光を浴びすぎたらダメとか?」
「日光を浴びるとな――当たったところが赤くなってすごくひりひりする」
「それって普通の日焼けじゃないの?」
「いや、日焼け止め塗ってもすぐ赤くなるんだ!」
「……なんだか重要度がよく分かんないんだけど、それやっぱり日焼けよね」
「いや、違うんだって!」
「へえ……でもそんぐらいだったら日焼け対策ばっちりにして海に行けばいいじゃない!」
 名案とリナはくすくす笑った。
 人ごとだと思って簡単に言ってくれる……。
 しかしリナの水着姿が見られるのなら無理を押しても海水浴はいいかもしれない――なんてことを思い、ガウリイは目尻を下げた。

 リナはガウリイが「血の薄い吸血鬼」だから日光を浴びても平気と思っているようだが、実は違う。むしろ、ガウリイは始祖に近い原種の流れにあった。
 圧倒的霊力により、そこらにいる「通常」の吸血鬼よりも弱点が少ないのである。変化ができるし、使い魔も作ろうと思えば作れる。十字架なんてものを見てもびびることはないし、日光を浴びても灰にならない。元からの霊力が強いので吸血に頼る必要もほぼない。
 食屍鬼といった下等な連中は吸血しないとすぐに霊力が枯渇し死んでしまうので、狂ったように人肉や血を求めるそうだが、ガウリイは血が欲しいと思ったことがまったくなかった。それなしで生きていけるというのに、どうして危険を冒してまで吸血をする必要があろうか。
「吸血はいいぞ~! ハイな気分になれるうえに体の奥から力が湧いてくる!」などとガウリイに言ってくる親戚もいるが、現代では吸血に伴うリスクが大きすぎる。正体が世間に知られたら、この日常生活が崩壊するだろう。パック入りの血液を入手するにしても、まともなルートではないのだ。(そもそも鮮度の落ちるパック血液はそれほどおいしくないらしい)

 それに、吸血を好む仲間たちはみな口をそろえて「やめられなくなる」と言う。
 一度その味を知ってしまうと虜になってやめられなくなる――それではまるで麻薬ではないか。いや、他人から血を奪うという傷害罪を伴うぶん、麻薬のほうがまだマシだ。吸血ダメ、絶対。

 そんなわけで、ガウリイは吸血の必要性をまったく感じず、重要にも思えず、そこらの人間と違いもなく日々をまったり過ごす「ゆとり吸血鬼」としてごく普通に学生生活を満喫しているのだった。
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