それでもいいわ 6

 そう広くないベランダに、男の姿が一つ。
 洗濯カゴを傍にしたガウリイはそれからタオルを取り出し皺を伸ばし、ワイヤーに掛けて洗濯バサミで留める。いくつか干したそれらが風にはためいた。

 ──刹那、ベランダの日陰に闇が蠢く。
 するとベランダに立つ男の影が、もう一つ増えていた。
 洗濯物の隙間からぴしりと隙無く黒いスーツを着込んだ男が現れる。

「おー、久しぶりだなゼロス」

「久しぶり、じゃありませんよ!
 こんなにすっかり所帯じみてしまって……」

 よよよ、とわざとらしく嘆くそぶりをするゼロスにガウリイは洗濯物をぽいぽいと投げ渡した。

「ほら、干すの手伝え」

「うわっと……まったく、なんで僕がこんなことまで……しかし、記憶がない、なんて嘘でよくここまで誤魔化せましたね」

 言いながら手早く洗濯物を干していく。堂に入った手つきにガウリイが感心していると、僕もここの生活が長いですから、と嘆息まじりにこぼした。

「──嘘はついたが、オレが『わからない』って答えてたのは本当のことだぞ。
 年齢とかこっちに合わせて換算しなきゃならないだろうし、どこから来たかって訊かれてもどう説明すればいいのか、オレじゃ『わからない』……だろ?」

「だとしてもガウリイさんは鷹揚にかまえすぎです!
 お忍びで視察がしたいというからこっそりご案内したのに、目を離した隙に原住民にほいほいついてっちゃいますし……いなくなった後のフォローにまわる、僕の苦労を考えて欲しいもんです」

「助カッタアリガトウ」

「そんな棒読み……」

 洗濯物のほつれをいじり、ゼロスがうじうじといじける。

「……で、用件はなんだ。
 やっぱりもう時間がないのか?」

「そうです。ここまで大目に見てたんです。
 そろそろお帰りいただかないと本気で困ります」

「なあ……一人、攫っていきたい。ダメか?」

「かまいませんが多数惑星間条約原住民人権規約によりご本人の同意が必要です」

「……よくわからんが、一緒に来てくれってリナを口説けばいいんだな?」

「頑張ってください。
 では、僕はもう一つ仕事が残ってますので」


「ガウリイ、そこに誰かいるの?」

「……いや。テレビじゃないか?」

「そう? なんか話し声がしたから」

 空の洗濯カゴを持って、ガウリイは部屋の中へ入る。
 整然と洗濯物が干されるベランダに他に人影はなかった。


 ■ ■ ■


「じゃあ明日、俺がそっちに持っていく。ああ──すまんな」

 ゼルガディスは受話器を置く。すると、そのタイミングを見計らったようにゼミ室のドアがノックされた。ノックをしてくる礼儀正しい来客は久方ぶりだ。かの学生たちでないことだけは確信し、「どうぞ」と声をかける。

「失礼します」

 入ってきたのは、おかっぱ頭をした黒スーツの男──にこにこと笑んではいるが、捉え所のない雰囲気にゼルガディスは即座に『怪しい奴』という印象を抱いた。

「……何か? 生憎と教授は不在だが」

「いえ、教授ではなくあなたに用がありまして。僕はこういうものです」

 懐からおもむろに名刺を取り出し、両手を添えてゼルガディスに受け渡す。

「──宇宙安全保障局地球支部ぅ?」

「宇宙の平和を守るため、一般宇宙民の方々のご要望を伺って雑務をこなしたり、部下の不始末の尻拭いをしたり、上司にこき使われたりと日々健気に働くしがない中間管理職なんですよ~。
 なお、その名刺は自動的に消滅します」

 ゼロスの言った瞬間に名刺がぶすぶすと白い煙を上げ始める。驚いたゼルガディスが空中に放ると、名刺は小さく炎を上げて爆発、四散した。

「なんだこれは! こんなものを渡すな!」

「こちらの礼儀に従っただけですのに……物的に『我々』のいた証拠を残すことは禁じられてますので、こうするしかないのです」

 愛想よく、そして意味ありげにゼロスが笑う。

「……ガウリイが関係するのか?」

「そうです! 察しがいいですね~。
 ガウリイさんは近日中にこちらを去りますので、痕跡を処分しようかと思いまして」

「なんて、こった……」

 リナの疑念はあながち間違いではなかったということか。
 ゼロスの言うことをまるっきり鵜呑みにすることもできないが、この男がガウリイの正体について手がかりになる者だとは明らかだ。

「じゃあ、リナの言っていた『願い通りにしてくれる』ってのは……あんたらの能力なのか?」

 言いながらわずかによろめいて、ゼルガディスはデスクに手をついた。指先にビニールの袋が触れる。リナにDNA鑑定をしてくれと頼まれたガウリイの髪の毛だ。

「あれはあの種族特有の能力です。
 あ、言っておきますが僕はガウリイさんと違うんですよ──あの種族は元から勘が鋭いのですが、求愛対象には能力が本領発揮されるみたいですねえ」

 腕を組み、人差し指をぴこぴこと振りながらゼロスが解説を始める。

「勘、だと? 突然現れたりケーキを出したりするのが勘だというのか!?」

「何と言いますか……例えばあなた方だって好きになった相手の喜ぶ顔を見たい、ひいては喜ばせたいと思うのでしょう?」

「あ、ああ」

「ガウリイさんもそれを願っているだけなのです。想い人を喜ばせたいがために、無意識に心の中を読みそして世の中の因果まで操作してしまう──それがガウリイさんの能力です。使いようによっては恐ろしい力なのですが、本人たちは至ってのほほんとされてるので、脅威になり得ないのが残念なところです」

 からからと笑って、ゼロスは手を差し出した。
 それの意図するところを察し、ゼルガディスも何も言わずにあの小さなビニール袋を手渡す。ゼロスがそれに視線を下ろすと、前触れもなく燃え上がって灰になった。手の中の灰が次第に空気中に溶け消えていく。

「……リナはどうなる?」

「あの入れ込みようといったら──彼女も大変な人に想われてしまったものです。ガウリイさんには『彼女と離れる』という選択肢はないようですので、もう覚悟を決めていただくしかないですね。
 ……思い返せば、こちらに来たいとガウリイさんが言い出したのも、彼女に逢うために働いた勘だったのかもしれません」

「『運命の人』、か……」

 この男の言うことをまず信じるとして──リナはガウリイと共にここを去るのだろうか。もしそうだったら、人物はさておき学業優秀な学生がゼミから一人減るな、とゼルガディスは現実的なことを考える。
 ちらりと見れば、ゼロスはにこにこと笑みながらまだ立ち尽くし、帰るそぶりがない。

「……もう俺への用は済んだろう?
 茶でも出して世間話をして欲しいのか」

「いいえ。まだ用が残ってまして──」

 体が急に重くなる。
 ゼルガディスは咄嗟に側の椅子に手を伸ばしたが、重しがついたように自由がきかず、どうしても腕を上げることができない。重さに床に膝をつき、とうとうくずおれる。

「な、にを……」

 かつこつと響くゼロスの靴音が、ゼルガディスの横を通り過ぎた。
 そして、デスクの引き出しを開ける音がする。

「ガウリイさんの髪の毛を無くされても大丈夫なように、小分けにしていたんでしょう?
 あなた、しっかりしてますね」

 ゼロスは引き出しから小さな封筒を取り出す。
 それにはボールペンで、ただ『G』と書かれていた。
 ゼルガディスは舌打ちしたが、岩を背負ったように重い体の所為でそれ以上は何もすることができなかった。
 やがて、物が焼ける嫌な臭いが鼻をつく。

「証拠も無しに『我々』のことを語る愚行はしなさそうですし、あなたの記憶は残しておきましょう。
 では、お邪魔しました──」

 言い終わると同時にゼルガディスの体が軽くなる。
 飛び起きてすぐゼミ室を見渡してみたが、ドアから出る音も居た痕跡もなく、ゼロスは忽然と消え失せていた。


 ■ ■ ■


「……どしたの、その格好」

 リナは目をぱちくりと瞬かせる。ガウリイが何かごそごそやってるなと思ったら、あの初めて会った日のスーツを着ていたらしい。

「見ろよ、リナ。もう一人で着られるようになった!」

 シャツのボタンを掛け違えてないことに一人感激しているガウリイにリナは溜息をついた。幼児向け番組の、子供が一人でパジャマを着るのを見ていてじれったくなるあのコーナーを思い出す。

「でもネクタイの結び方がわからん……」

 はいはい、とリナはガウリイに寄って、首に掛けられたネクタイの両端を取るが──

「……リナもわからないのか?」

「……よくよく考えたらあたしがネクタイの結び方なんて知ってるはずないじゃないの!」

 リナもよくわからないままネクタイを結んだり捻ったり試行錯誤していると、ガウリイがぐえ、と声を漏らす。

「……げほっ……これは、もうこのままでいい……」

「そう? ──で、どうしたの。スーツなんか着ちゃって」

 言われて本来の目的を思い出したガウリイが、ぽむと手を鳴らした。そして、リナの手を両手でぎゅっと握り締めてくる。真剣な目をして迫ってくるのでリナはつい一歩引いてしまったが、ガウリイのただならぬ様子に心が騒ぐ。

「オレ、そろそろ故郷に帰らなくちゃならん」

「……へ?」

「しばらくしたら迎えが来る。
 それでだな、リナにお願いが……」

「ちょ、ちょっと待って!
 帰るって……記憶は? 身元はわかったの!?」

 ガウリイの口を手で覆って、さらに言つのろうとするのを押し止めた。その、ガウリイの口元に持っていった自分の手が震えている。ガウリイはリナの手をそっと外すと、包み込むようにやわらかく抱きしめてきた。

「すまん──オレ、嘘をついてたんだ。記憶がないって」

「え……」

「嘘ついてでも、リナと一緒にいたかった」

 抱きしめられたまま静かに言われ、リナの髪が揺れた。身動き出来せずにただ言葉の続きを待つリナは──思うよりも大きな動揺はなかった。このくらげに嘘をつかれていたというのに、だ。少しは予想していたせいだろうか。

「あの日、オレは何かに惹かれるようにしてあの公園にたどり着いた。
 あてもなく歩いてたら女の子の大声がして、声の主を探してきょろきょろしてたら、突然空から缶が降ってきた」

「か、缶……」

「あの缶、蹴ったのリナだろ?」

「あれは事故よっ! だいいちぼけっとしてるほうにも責任、が……」

 責めるでもなく、ガウリイは楽しそうにリナを見てくすくすと忍び笑いを漏らす。

「ありがとう、リナ」

「はえ?」

「リナがあそこでオレに缶を当てなきゃ、オレたち、会えなかったかも」

 こつん、とガウリイが額を合わせてきて、リナは思わず涙ぐむ。
 あの日からリナの生活は一変した。怒ったり笑ったり、ガウリイが側にいると毎日が目まぐるしく過ぎてきらきらとしてて、これまでになく楽しかった。

「会った瞬間からリナにすごく惹かれた。でもオレの正体をばらしたらそれっきりになっちまうってわかってた。だから、オレはリナに嘘をついた……怒るか?」

 リナはふるふると首を横に振る。
 嘘は嫌いだけど──彼の側にいられるためなら、許せる。

 ガウリイがこうして自らの正体について話し出したということは、二人の物語に結末が近づいているのだろうか? 三文小説な結末にはなって欲しくないが、別れに怯えるリナの声は掠れていた。

「ガウリイ帰っちゃうの?」

「ああ」

「どこに?」

「……遠いとこ」

 いつ?
 どのくらい遠い?
 どうやって帰る?
 あんたは何者なの?
 訊きたいことは山ほどあった。
 でも、一番重要で一番訊きたいことは──

「もう一緒にいれないの……?」

 腰に回されたガウリイの腕にぐっと力が込められ、きつく抱きすくめられた。鼻先が触れるほどの距離で見つめあった後に、軽くついばむようにキスされる。

「話は途中だったんだぞ、リナ。
 オレは故郷に帰る──だから、一緒に来てくれないか?」

「…………!」

 返事をするいとまも無く、再び唇が重ねられた。甘い、慣れてきた感覚が指先まで痺れて広がっていく。
 ──ガウリイと離れるなんて考えられない。もう、一緒に過ごした日々を忘れてることはできないのだから。過ごした時は麻薬のようにリナの神経の末端まで染み渡り、支配している。
 答えはただ一つ。
 吐息まじりにリナは言う。

「……連れてって」

「本当か! 本当にいいのか?
 オレ嘘ついてリナを騙してたんだぞ?」

「そりゃ騙されてたのは腹立つけど、優しい嘘なら、許してあげるわ」

「あとオレな、実は──」

 リナにこっそりと耳打ちする。

 でもそれもうすうす気付いていたことだ。アメリアに相談して奮闘したことを思い出し、リナはふと笑う。
 だから彼には見栄も飾った言葉も必要がなかったのだ。リナが天邪鬼に振舞っても笑って受け止めて、全て望むままに応えてくれる。こんなこと、普通の男には出来ない真似。
 今は、ガウリイがガウリイならば正体が何だろうと構わない。
 ガウリイの顔をまっすぐに見詰め、リナはきっぱりと言った。

「それでもいいわ」

 刹那──全てが静寂に包まれる。
 表通りを走る車の音や、ざわめく葉の音、近所の人の声、生活の音、全てが途絶えた。何もかも、時すら沈黙する無音の世界。
 次に強いオレンジの光があたりを照らし、リナは目を閉じた。それでも瞼を貫くほどの閃光で、軽く眩暈を覚える──他に感じるのは、自分を抱きしめるガウリイの温かさだけ。

「リナを攫っていく」

 満足げに宣言するガウリイに、リナも腕を伸ばして抱きついた。
 額や頬に繰り返される口づけがこそばゆい。唇に、と願うとやはり言わずともガウリイは唇を重ねてきた。やわらかな熱に安堵して全てを委ねる。

 どこへでも行ってあげようじゃないの。
 ガウリイと一緒にいられることが、唯一の願いなのだから。


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