痺れ 1

 ギャアギャア、とけたたましい鳴き声が空から響く。
 オレは雨にぬれて重くなった前髪を払い、剣を構え直して、再び来るであろう空からの襲撃に備えた。リナも魔法で応戦してはいるが、激しく打ちつける雨と空を素早い動きで飛びまわる敵に決定打を打てずにいる。
 今日はとことんツイてない。あまり整備されてないうねうねとした街道を通っていたら、分かれ道で間違えてしまった。日暮れまでに目的地に着く為に、近道になる、とうっそうと繁る森を突っ切ろうと歩いたらいきなり豪雨が降ってくる。ぬかるむ地面に足を取られているうちにあたりは一層暗くなってきて、今日中に宿屋に落ちつけるかどうかさえあやうくなってきた。ぶつぶつと不平をたれるリナを宥めすかし、道を急いでいたところで……モンスターの急襲ときた。

 空を切る羽ばたきの音。滑空してくるのは巨大な鳥のようだが、顔は犬とコウモリをまぜたようなモンスター。正面から向かってくるそいつを迎え撃つ。しかし泥がまとわりつく足では踏ん張りがきかず、オレの攻撃は虚しくも奴の足をほんの僅かにかすっただけだった。すれ違いざまに襲い来る鉤爪をぎりぎりでかわした。鳥はまた空へと上がり、旋回しながらオレ達の隙を狙う。
 さっきからこんな応酬の繰り返しだ。攻撃してもわずかに傷をつけるだけで、手負いになったモンスターはさらに興奮するばかり。
 くそっ、せめて天候が良かったらオレもリナもこんな奴どうってことないのに。
「ガウリイっ、大丈夫? 怪我してない!?」
 後方支援に入っているリナが、雨音に打ち消されないよう大声で言う。タイミングが合わなくてまた攻撃の機会は逸してしまったらしい。
「大丈夫だ、どこも怪我はしてない! リナも奴の爪──」
 注意を言いかけたところで、奴が急降下してきた。今度はリナに向かって。
「火炎球っ!」
 とっさにリナが唱えた呪文は頭上に迫った鳥に直撃した。しかし豪雨の所為か、威力がいくぶんか弱い火炎球は鳥にとどめを刺すに至らない!
「リナぁっ! 危ない!」
「きゃあぁっ!」
 翼に炎を纏った鳥が狂ったように暴れ、側にいたリナが奴の足で弾き飛ばされる──!
「リナー!」
 絶叫が咽を突く。オレの全身から血の気が引いた。駆け寄ろうとすると鳥が行く手を遮るようにオレに向かってきた。
「邪魔だぁぁっ!」
 剣を振るい硬い羽を薙いだ。続けて首と身体を狙い血に濡れた剣を一閃させる。どさり、と重い音を立てて地面に落ちた巨鳥はぴくりとも動かなくなった。
「リナっ!」
「なんて声出してんのよ……あたしは無事よ」
 リナは弾き飛ばされてぶつかった木の根元にうずくまっていた。思ったよりも無事なことに少し安堵し、リナの側に行こうとして……硬直した。
 リナは腕に怪我をしていた。鉤爪で引っかかれた、痛々しい傷口。そして、雨で血を赤い糸のように流されながらリナはその傷に片手をあてて治癒をかけていた。
 慌てて駆け寄り、治癒をかけている手をぐいと引き離す。
「痛っ! ガウリイっ?」
 血の量の割にそれほど深い傷ではなかったのか、治癒で傷は治りかけている。まだ血の浮かぶ傷口に口を付けオレは思いきり吸い上げた。
「なななな何すんのよ!?」
 ──何も答えずに、オレは吸い上げた血を地面に吐き捨て、再び傷口を吸い上げる。
「あ、あ……まさかあいつ、毒を持ってるの?」
 オレのなりふりかまわない必死な行動に、リナが蒼白になった。
「……あたし…治癒をかけてしまった……よけいに、毒がまわるような事を……」
 身を震わせ、リナは恐怖に掠れた声を吐き出す。
「大丈夫、死んだりはしない!」
「え?」
「あの爪の毒は麻痺を起こすだけだ。だから、死にはしない」
「そ、そうなんだ……よかったぁ……」
 安堵したリナは、ずるずると木にもたれ掛かって崩れる。
「麗和浄……」
 解毒呪文の詠唱はいつもよりもずっと遅いものだった。
「は……やっぱり、効かないみたい……治癒で活性化しちゃったのかなぁ……」
「おい、大丈夫か?」
「ガウリイ……毒が…回ってきた、みたい……」
 リナの身体がぐらりと傾く。慌てて抱きとめると、くたりとオレにもたれかかる。あまりにも軽いその重さに胸が痛くなった。そしてオレの服につかまる細い指には力が入っていない。
 ──焦りが冷や汗と共に湧き上がる。
「街に急ごう」
「……動け、ないよ……」
 もはや腕も上げられない状態になっているリナの、その顔にかかる髪を払ってやる。リナのマントや服は泥で汚れていたが、これ以上リナが濡れないようにマントで包んで抱え上げた。
「街に行けば医者がいるはずだ」
「ごめん、ガウリイ……」
「お前さんは軽いからな。すぐに連れてってやるよ。それまで──耐えてくれ」

 豪雨の中をリナを抱えたままひたすら走る。どんどん血の気が引き、リナの顔が青白くなっていくのがとてつもなく怖かった。
「すまん! オレが最初から注意していれば……保護者失格だ」
「いい、よ…そんな……ふぅっ……じぶん、の…不注意…だから……ガウ、リイ…はあいつ、が、毒あるって…よく、知って…わね……」
 リナはしゃべるのが辛くなってきたのか、小さな声で囁くように話す。声が聞こえるよう、顔の近くに抱え直した。
「……傭兵をしてた頃、派遣された所にあいつらの巣があったのさ」
「巣、が……?」
「ああ。獲物をまず毒で麻痺させて捕獲する。そして巣に持ち帰るんだ。麻痺している状態だったら食料の保存がきくからな」
 不安を斯き切るように、平静を装って話を続けた。
「あたし、を…え、餌に……? お、美味し……かも、しんない…け、ど……に、肉…は、少な…い、わ…よ……」
「ははっ、確かに。あいつもよっぽど腹が減ってたんじゃないか?」
「ら、らうり、い……を……ぅっ……た、食べた、ら……しょく…あたり、なる…」
 舌まで麻痺してきたのか、呂律が回らなくなっている。
「……大丈夫か?」
「らうりぃ……」
 不安げな表情の中で、赤い瞳の光だけが唯一彼女の生気を感じさせた。
 ──次第に顔色が土気色になり、抱き締めた細い体はがたがたと震え始める。
「リナ、リナ!」
 ひとこと「さむい」と言ったっきり、リナはしゃべることもできなくなった。
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