痺れ 2

 これ以上雨の中を進むのはリナにとって危険だ。
 一刻も早く医者に診せなきゃならんが、このままじゃリナの体力が持たなくなっちまう。豪雨をしのぐ場所を探してしばらく走ると、運良く暗緑の中に洞穴を発見した。リナを抱えて身を滑り込ませ、暗い中を伺う。
 それほど深くない洞穴。先客も特にいないことに安心し手近な場所を探索した。幸運なことに、吹き溜まりに一晩くらい持ちそうな枯葉や枝がある。
 とにかく、身体を温めないと。
 暖を取る為に焚き火を起こす。そして横たえたリナの側に寄った。
「リナ、大丈夫か?」
 答えられるはずもなく。リナは視線だけオレに向けてわずかに唇を動かしただけだった。苦しそうに眉根を歪め、不規則に薄く息が洩れる。
「装備取るぞ?」
 マントとショルダーガードの金具を外す。腕や腰の装備も取り、側に積み上げた。
 ブーツも邪魔だろうな……。
 片足ずつ抱え、脱がしにくいブーツを引っ張ってなんとか脱がせた。逆さにすると水がだばだばとこぼれてくる。そのまま焚き火に近付けて置いた。
 リナは雨から逃れても更に震えていた。いつもはふっくらと桜色に光る唇が紫になっている。
 このままじゃ……いやでもしかし……。
「………………」
 ずぶ濡れの服は脱がせたほうがいい。それはわかるが……着替えは?
 旅の道中のオレ達がそんなのを持っているわけがない。荷物には服の代わりになりそうなものがまったくなかった。
 ということはだ。
 人肌……しかないか?
 頭を抱えて逡巡する──。
 湿気を含んだ枝のはぜる音が、オレに早く決心しろと急かしているように聞こえた。

 その時、焚き火の音よりも小さく。震えているリナが歯の根が合わずにかちかちと立てる音が聞こえた。
 こういう時は……不可抗力だよな。悩んでいる場合じゃない。

 リナを横抱きに抱えた。
「リナ、このままじゃお前さんの身体が冷えきってしまう」
 雨垂れに濡れる睫毛が幾度か瞬きをするのをじっと見る。
「お前さんが元気になったら、ドラスレでもなんでもくらうから」
 そして、オレはリナの上着の裾を掴む。
「……ぅぁ……っ」
 オレが何をしようとしているのかリナは悟ったのだろう。麻痺で動けない体で、わずかに抵抗した。
「許せ、リナ」
 服をそっと捲った時に、リナの肌に触れた指先がぴりっと痺れるような気がした。
「……っぁ」
 水を吸って肌に張り付く服をそろそろとたくし上げていく。その肌に触れるだけで……オレの腕と手の神経が過敏に反応し、じんじんと痺れた。こんなにも緊張してしまう自分が不思議でしょうがない。リナがぎゅっと硬く目を瞑り、目じりに雨ではない水滴が浮かぶ。
 胸の下まで捲り──少し悩んだが、そのまま上に上げた。まろび出る、女らしい隆起。
 ──息が、詰まる……!
 血が逆流するようにオレの頭はかあっと熱くなる。
 これじゃ、まるで童貞のガキじゃねぇかっ……。
 弾けそうな動悸を抑えながら服をそのまま上に脱がせた。片手ずつ服から脱がせ、力ない腕をゆっくりと降ろす。そうしてやっと上着を脱がせたところで、大きく息をつく。呼吸を忘れていたように息を詰まらせていたオレは、肺に湿った空気を送った。
 確かにオレはリナが好きだ。まだ言葉にしたことはないが、愛してる。でもそれにしても好きな女の裸を見るだけで、眩暈さえ感じるほどに──こんなに緊張するかよ?普通。
「リナ……」
 リナの目じりにたまった涙が、零れ落ちていった。自分の承諾も無く、どさくさに紛れた形でオレに脱がされていく状況を悲しんでいるのだろう。
「リナ。泣くな。今日あったことは、オレは明日には全部忘れるから。約束する」
 閉じられていた瞼が、震えながら開かれる。
「だから、悪い夢でも見たと思ってくれ」
 そっとリナのズボンに手を掛けた。ぴく、と一瞬その身体が動く。上着よりも更に纏わりつくズボンを、少しずつ脱がせていった。

 折れそうなほどに細い肢体。それでもリナの裸体は女らしい、緩やかで柔らかい曲線を描いていた。揺らめく炎が真っ白いリナの肌を赤く照らし上げ、ちろちろとなめるように陰影を作る。ごく、とオレの唾を飲む音がやけに大きく聞こえる。
 これまでいろんな女の裸を見てきたが……ここまで恐ろしく美しく、蠱惑的と感じたことはない。
 心臓が頭の中にあるように、鼓動がガンガンと響いた。

 ぱちん。

 ふいに、大きく枝が爆ぜる。
 ……惑う心を抑えて、リナの側から離れた。
 脱がせた服を掴み、焚き火の側に張ったロープに干す。自分の服も脱いで同じように干しておいた。
 再びリナの元に戻り様子を見る。薄く呼吸をしながら静かに横たわるリナが、魔物への供物のように見えた。相変わらず顔色は悪く、微かに震えている。時々零れる涙が耳まで伝っていった。穢れを知らない、無垢な身体に踏み入る罪悪感でいっぱいになるが。決意を固めると、側に座り込んでリナを両脇から抱え上げ膝の上で後ろからすっぽりと包み込むように抱き締めた。
「……っ」
 リナが呻く。触れた肌はしっとりとして冷たい。オレは自分の胸とリナの背中がぴったりと張りつくように、更に強く抱き締める。
 ──は、こんな体勢じゃオレの激しい動悸もリナに伝わっているのだろう。
「明日には服が乾くから、雨が降っても止んでも街に行こうな?」
 穏やかな口調で話しかけるが、それとはうらはらにオレの身体は熱を増していく。そのままでいられたのはリナの涙がオレの理性を保ち続けさせたから。
 リナの濡れる髪を手で梳いた。
 ずっと、ずっと。
 リナが泣き止んで安らかな寝息を立てても。



 清潔なシーツに温かい部屋。
 ベッドの上のリナはいつものバラ色の頬をしていた。
「まったく、一時はどうなる事かと思ったわよ!」
 あれから一夜明けると雨はすっかり止んだ。
 オレはリナを抱えて街に向かい、急いで医者へ駆け込んだのだった。毒が体内から消え去ったリナはしばらく安静に、とベッドに寝かされてはいるが、すっかり回復しているようだ。
「あの変なトリの所為で! またあんな奴に遭ったら今度は問答無用でぶっとばしてやるっ!」
 覇気を取り戻したリナを見ていると、夕べの彼女がまるで夢だったようにすら思える。
「なぁリナ、腹は減ってないか? 先生に頼みに行くが。もし他に欲しいのがあったら外に買いに行くぞ?」
「ん、も~お腹ぺこぺこよっ。すぐに準備してもらってちょーだい。でもあたし病み上がりだから……三人前くらいでいいわ」
「はいはい」
 リナにくるりと背を向けて、ドアのノブを握った時。
「……忘れたんだよね?」
 ぽつりと。
 これまでとは全く違った口調で、小さく確認をするようにリナが聞いてきた。
「………………」
 そのまま、聞こえないようなわざとらしいふりをして部屋を出て行けば良かったのだろう。そうすればこれまで通りで。いつもの二人、いつもの保護者と被保護者でいられる。
 ──それがわかっていて、オレの手はノブをまわすことが出来なかった。
「……ガウリイ」
 再び問うてきたリナにオレは振り返った。
 ベッドの上に上半身だけ起こし、彼女は落ちつかない表情でオレを見ている。昨日はそのリナに……見て、触れて、感じた。
 忘れられるか? それが。
 ……多分一生忘れられないだろう。
 むしろもう一度、いや、もっとリナを見たい。触りたい。
「………………」
「ちょっと! わ、忘れるって約束だったでしょっ! なに沈黙して顔赤くしてんのよっ!」
「──すまん。しっかり覚えてる」
「ガ、ガウリイ!?」
「いや……すっげぇ綺麗な裸だったから」
「!」
 これ以上はないというほどに、耳朶まで赤く染めてリナはうろたえた。
「だから忘れるって約束な……守れない」
 ドアから離れ、ベッドに近寄った。
「……くらげなのに、こういうことは忘れないの?」
「絶対に忘れられない。脳裏に張りついて消えそうにないよ」
「エロくらげ! 動けなかったあたしを無理矢理脱がせといて……卑怯よ、あれは!」
「不可抗力だ。仕方ないだろ? オレは役得だったけどな」
「お、乙女をひん剥いといてその言い草は何よっ?」
 リナがオレの髪を掴み、ぐい、と自分に向けて引っ張る。いて、とよろけると顔にリナの手が伸ばされた。
「でも……あ、ありがとね」
 オレがそっとその肩を引き寄せると、リナが上を向いたまま目を閉じる。二人の唇が近付く。
 ドキドキと。胸は高鳴り。
 リナと初めて交わしたキスは、痺れるほど甘かった。


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