北へ 1

 ごうごうと風は鳴り、雪を高く舞い上げる。
 俺は毛皮の防寒着を胸元にかき寄せ、ぶるっとひとつ震えた。
 細く開けていた窓の戸板を閉め、粗末な小屋の中を振り返る。暖炉に近寄ると旅の仲間が俺の座るスペースを何も言わずに空けた。目的地に近付くにつれて皆は無口になっていく。俺も余計なことに体力は極力使いたくないし、今はしゃべるのもおっくうだ。
 俺は目だけぐるっと動かして小屋の中を見回した。皆膝を抱え、明日に向けて体力を温存している。ひっそりとして動きのない連中の中で、一人だけ剣を磨いている男がいた。丁寧に丁寧に、一心に布で剣を磨き続けている。ここにくるまで激しい戦いを経ているはずだが、その剣は一拭きするほどに輝きを取り戻していく。よほどいい魔法剣なのだろう、刃こぼれもちっとも見あたらない。
 奴は何のためにここまで来たのか。とぼけた奴でいつもはぐらかされ、ちゃんと聞いたことはなかったな……。ここにいる者は皆、なにかしら目的があって北を目指している。討伐隊の生き残りだとか、金や仕官目当て、ギルドの頭領になる条件、宗教上の理由云々……かくいう俺は、敵討ちだった。
 俺の故郷はいいところだった。田舎で、たいした名産物もなくて、娯楽は少ないが皆のんびりと暮らしていた。世の中が荒れ始め、傭兵を辞めて帰ってきた俺が目にしたのは、見る影もなく無残に破壊された故郷の姿だった。年に一度の楽しいはずの祭りは、親をなくした、子をなくした者たちの悲痛な涙で覆われた。墓場にすらレッサー・デーモンらの爪跡が走り、強襲のすさまじさを物語っていた。俺は両親と兄弟の墓前に立ち尽くし、生き延びた村人からどんなふうにこの村が壊されていったか、という話をどこか遠い世界の物語のように呆然と聞いていた。
 残された俺にできることは……北を目指すことだった。険しく辛い道のりは一人では到底越えられない。相手の素性がわからなくても条件が合って強ければパーティーを組まざるを得ないのだ。剣士、魔法使い、弓使い、神官……ここに来るまでたくさんの出会いと別れがあった。旅の辛さに挫折した者、志し半ばで力尽きた者。敵と、旅を共にした仲間の屍をいくつも越えて、やっと、やっとここまで来た……。

 ──魔王が復活して、世界は一変してしまった。森には瘴気があふれ、昼でも少人数で街道を通るのは危険だ。かの聖王都ですら夜に出歩く者はいないという。誰もが自分の周りを守るだけで精一杯だ。各国の最後の希望、精鋭を集めたゼフィーリアの討伐隊も悪天候と北に進むほど強くなる魔族の反撃に壊滅状態になってしまった。もう、奴らに刃向かうのは、こうして悪あがきする俺たちのような少人数編成のパーティーくらいしかないのだ。無駄なことはやめとけ、と行く先々で何度も忠告された。ここまできちゃ引き下がれないさと強がってきたが、北上するにつれて俺は自分の無力さを知ることになる。
 ……だが、このパーティーならやれるかもしれない。経験から、このパーティーは今までで最強だと確信している。互いに信頼関係は築けてないかもしれないが、戦闘時のバランス配分といい、この小屋に残っている連中は間違いなく反抗勢力で今ナンバーワンに強い奴らだ。この剣を磨いてる無口な奴だって、ふだんはのほほんとしたもんだが戦いになったらそりゃもう頼りになる。先陣突っ切って、そのまま北まで一人で疾走していきそうな勢いで魔族をばっさばっさと斬っていく。
「……なあ」
 冷え切った空気に俺の声が掠れて響く。剣を磨き続ける奴に、話かけた。
「おめえ、なんで北を目指してしてるんだ?
 ちゃんと聞いたことなかったよなあ……」
 磨いていたその手が止まる。奴がうつむいて、長い髪が流れる……奴の髪は金髪だが、暖炉から遠い隅にいるせいで今は灰色に見えた。まあ、外にいたって始終厚くたちこめる雲のせいでくすんだ色に見えるが。奴はうつむいたまま何も言わない。考え込んでいるのか、そのまま寝たフリでもするつもりか。他の連中は何も言わないでいるが、俺たちのやりとりをじっと聞いているのがわかった。この狭い小屋の中じゃいやでも話し声は耳に入ってくるだろう。
「言いたくなけりゃいいけどよ」
「……そく」
「は?」
「約束なんだ」
 言って、武器の手入れを再開する。
 ……それだけじゃわけがわからんのだが。
「どんな約束なんだ?」
「魔王を殺す、って約束」
「……まんまじゃねえか」
「だよな」
 小さく笑みを浮かべる。剣を見つめる視線はどこか遠い。
「大切な……約束だ」
 俺には、『大切な人との約束』と聞こえた。
「……そうか」
 再び防寒着を掻き合わせたが、寒さはちっとも変わらなかった。そのままごろっと横になる。
「さみいなあ」
 言い飽きた言葉を言い、俺は明日の決戦に備えて目を閉じた。
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