次に目覚めた時、ガウリイは城のベッドに寝かされていました。手当てに訪れる女中や医者の様子から判断するに、ガウリイは『姫にぶちのめされた可哀想な遭難者』と思われているらしいです。説明しようにもしゃべることができませんので、ガウリイは質問されることに曖昧に頷くだけでした。
そうしてしばらくして部屋にやってきたのは、待ち人のリナ姫でした。姫は何を思い出したのか頬を赤くしながらしゃべりだしました。
「ぶっとばして悪かったわね。でも急に出てきて驚かせたあんたも悪いのよ! お互い様ってことよね……え? しゃべれないの? 潮風にやられちゃったのかしら。
──ねえ、あんた、あたしとどこかで会ったことあったっけ?」
ガウリイは首を傾げて微笑みました。
数日が過ぎ地上に慣れた頃にもなると、ガウリイはリナ姫の後をついてまわるようになりました。最初は鬱陶しがっていたリナ姫ですが、めげずにどこまでもついてくる健気なガウリイに「しょうがないわねえ」ととうとう折れ、そして「くらげ(仮)」と名付けて一緒にあちこち行くようになっていました。
リナ姫はたいそうなお転婆で、頻繁に城を抜け出しては盗賊いぢめやお宝探しやうまいものめぐりツアーや秘境めぐり幻の温泉発見の旅などをしてまわります。大海原をあちこち泳ぎ回ったガウリイですが、地上の見知らぬものの数々に驚くばかりでした。そしてなによりも、こうしてリナ姫のそばにいられるだけで毎日が楽しく、嬉しいのでした。
会話こそできませんが、言葉はそれほど必要ありませんでした。どうしてかリナ姫はガウリイの言いたいことをすぐにわかってくれるのです。その証拠に、ガウリイが想いをこめてリナ姫を見つめると彼女はそっと顔を赤らめます。それだけでガウリイは充分でした。
泡になる話なんて忘れかけていたある日、城に来客がありました。
ガウリイがいつものようにリナ姫に会いに行こうとすると、従者たちに引きとめられます。そして驚くことを聞かされました。
「リナさまに会いにこられたのは、隣国の王子様なんだよ。ご結婚の話があるんだから、あんたは邪魔しちゃいけない」
あの嵐の日、浜辺で倒れているリナ姫を見つけた男は隣国の王子だったのです。彼がリナ姫の命の恩人ということになり、それから縁談が持ち上がり、とんとん拍子に話が進んでいるというのです。
ガウリイは愕然としました。リナ姫を助けたのは他ならぬ自分です。そう伝えたいのにしゃべることができません。そして今は姫に近寄ることも許されません。
城では王子を歓迎するパーティーが毎夜開かれました。ガウリイはなすすべもなくただ遠くからリナ姫を悲しげに見つめるだけでした。
リナ姫は隣国の王子と楽しげに会話をしています。彼の話しに耳を傾け、ときおり零れんばかりの笑みを見せます。彼女が他の誰かのものになってしまうと考えたらガウリイの胸は張り裂けそうに痛みました。そして、ゼロスの言葉を思い出したのです。『姫の心臓の血を浴びれば、また海に帰ることができる』というあの言葉を。
その夜、ガウリイはこっそりリナ姫の寝所を訪れました。鬱屈した気持ちを抱えながらベッドに横たわるリナ姫の顔を覗き込みます。何も知らない彼女はすやすやと安らかな寝息をたてていました。
ガウリイはリナ姫の寝顔を見つめて、首を横に振りました。
もしリナ姫を殺してしまったら──彼女はもう笑えないし、歌えないし、あの瞳でガウリイを見てくれることもないのです。自分が助かるためにでも、そんなこと絶対できるはずもありません。
そっとお別れのキスをして立ち去ると、ガウリイはそのまま海へと向かいました。彼女のそばにいられないのなら、泡となって海に帰ろうと決心したのです。
あたりはまだ薄暗く、遠く水平線に昇ろうとする朝日が見えました。昔ガウリイにいろんな表情をみせた海は、今はただ黒く、静かな波音を立てるだけです。何も怖くはありません。もといた場所に、海に帰るだけです……。
次第に色を取り戻そうとする海をぼーっと見ていたそのとき、いきなりどんと後ろからものすごい衝撃がかかり、ガウリイはどばしゃあっ! ともんどりうつようにして海中に転倒しました。
「がぼぐぼぐげぼっ!?」
動転して水を掻く手を、誰かが掴んで引き起こそうとします。それを助けになんとか起き上がると、朝日のさあっとした光の中に、ガウリイと同じようにずぶぬれになってしまったリナ姫の泣き顔が見えました。
「バカっ! この、くらげっ! なにしてんのよっ」
ぜえはあと息を荒くしながらリナ姫はガウリイに怒鳴ります。リナ姫は海に入ろうとするガウリイを走って追いかけ、タックルして引きとめたのです。ガウリイはむせながら、なぜリナ姫がここにいるのかと目を丸くしました。
「なにびっくりしてんのよ。起きないわけないでしょ!
嬉しかったのに、そのまま行っちゃうんだもん。
……あたしが結婚するって思ってたの? バカね!」
泣きながら怒るリナ姫を抱え、ガウリイは自分が切望していたものをもはや得ていて、海水を飲んで痛む喉は声を失う前と同じになっていることに気付きました。そうです、ガウリイは姫の愛を得て人間になることができたのです。
リナ姫の頤を静かに引き上げます。二人ともびしょぬれで長い髪や服がまとわりつきますが、かまわずに唇を重ねました。キスは涙か海水か、しょっぱい味がします。
「……リナ」
やっとで、ガウリイは彼女の名前を呼ぶことができました。次は自分の名前を教えなければなりません。ガウリイの声を聞いて驚いているリナにガウリイは微笑みました。
終