灰鎖 14

『同じ手紙を三通、あなたに送ります。
 人づてに頼むので、一通でもそちらに届くといいのだけど。
 私は思いのほか穏やかに過ごせています。
 私の存在を知っていても、目の前にいる私がそうだとは誰も思わないみたい。
 変な話だけれど自分の悪評に感謝しているところです。』


 リナは宛名も差出人も書かない手紙をしたためる。
 筆を休めてふと窓の外を見ると、今にも雨が降りそうに暗い雲がたちこめていた。指先が冷えてきたので窓を閉めようと立ち上がる。

 深手を負ったが、リナの怪我はもうほとんど治っている。完治といってもいい。ただ頬にだけ治しそびれた傷がうっすらと白く残っていた。
 エルメキアはもう雪が降り始めているだろうか。窓枠に手をかけながらリナは過ぎた日を思い起こす。


 ■ ■ ■


 最初はゆらゆらと大きく揺らぐ感覚だけがあった。意識が浮上するにつれ、刺すような「痛み」がだんだん増してくる。それを一度意識してしまったら全身のあちこちに痛みが走り、リナは大きく呻いた。

「痛いか? 大丈夫か?」

「……ガウリイ」

 眉間をきつく寄せながら薄く目を開けると、眼前に彼がいた。
 ガウリイはリナを抱きかかえるようにしている。この大きな揺れは、自分たちが馬で移動しているかららしい。

「応急処置はしたけど、苦しいよな。早いとこ魔法医に……」

 馬が進むたびに振動が痛く響いてリナは息を荒げた。視界からはガウリイの背後に木ばかりが見える。森の中を移動してるのかもしれない。

「ここ、どこ?」

「帝都の近くだ。あそこを出てまだそんなに……しぃっ」

 ガウリイが声を潜めて馬首を回し、方向を転じると木々の陰に素早く身を隠した。しばらくすると複数の蹄の音が聞こえてくる。どうやら街道がすぐ近くにあるらしい。ガウリイはリナを抱え込むようにして身を小さくし、遠くをじっと見ている。抱えられているリナからは彼の服とその背後の梢ばかりしか見えなかった。しがみ付きながら必死で痛みを堪えていると、全身から脂汗のような嫌な汗がどんどん湧いてくる。頭上からガウリイの呟きが聞こえた。

「あいつだ……」

 さわさわと人の話す声が聞こえる。一人が何かを命令したようで、集団は散って遠ざかる。そのあとに単騎がこちらに向かってやってくる気配がした。ある程度近づいてきたら、やっとリナにもそれがゼルガディスだとわかった。
 ゼルガディスが小さく呼びかけてくる。

「──いるんだろ?」

「ああ」

 潜んでいることはすでにわかっていたらしい。ガウリイもあえて完璧に気配を隠そうとは思っていなかったのだろう。隠れていた茂みから動き出すとリナはまた痛みに呻いてしまった。意識がまだはっきりせず、朦朧としながら二人の淡々とした会話を聞く。

「連れて行くのか?」

「ああそうだ。もうこいつはオレのもんだ」

 ゼルガディスの苦笑のあとに、背中に痛みの和らぐ温かな熱を感じてリナはひくりと身動きした。

「『治癒』は少しだけだ。体力を消耗してしまうし、これから長距離の移動になるんだろ」

 ゼルガディスが治癒を施してくれたらしい。背中からじわじわと広がる熱で痛みがほんの少しだが楽になり、ほっと息をついた。

「のんびりしてる暇はない。残党狩りはもう四方八方に広がっているぞ。これを持ってさっさと逃げろ」

「斬妖剣!」

 ガウリイが驚きの声を上げる。ゼルガディスが取り出したのはリナとの戦いの最中に手放してしまった剣だった。

「いいのか? ゼルがこれを失くしたってなったら……」

「かまわん。どさくさまぎれだ、なんとでもなる」

 ぶっきらぼうな言い方が彼らしくてリナは小さく笑った。

「まだ手薄な南方からセイルーンに抜けろ。あの国なら優秀な神官や巫女が大勢いるし、怪我人の治療を無下に断ることもないだろう」

「……ゼル」

 リナは体を捻ってゼルガディスを振り返った。
 掠れた声で続けようとしたら、遮って制止される。

「礼は無事生き延びてからにするんだな。ほら、早く行け。また部下が戻ってくる」

「ひとつだけ教えてくれ。リナの生死はゼフィーリア側ではどうなってる?」

「……エルメキアの捕虜から、リナは矢で射られて斃れたという情報を得ている。火災が多かったせいで遺体こそ発見されてないが、ゼフィーリアの大魔道士はあの戦いで死んだそうだ」


 ■ ■ ■


 それから、出奔した二人はセイルーンへ身を隠した。
 いろいろ不安はあったが予想以上にことは上手く運び、今、リナはこうして落ち着いて療養できている。『恐ろしい魔道士』の噂や先行するイメージのおかげで、運び込まれた少女のリナをそうと思う者はいないし、エルメキアからの難民が多いせいか身分を細かく追求されることも今のところない。

 書き終えた三通の手紙に封をしたところで、扉がノックされた。

「リナー?」

 ひょっこりとドアから顔を出すのは、ガウリイ。
 かざらない笑顔も、青い瞳も何も変わらない。ただ、前と違って長い髪をばっさりと切り、その金髪は短くなっている。

「ゼルへの手紙か?」

「うん」

 二人でセイルーンにたどり着いて当初、ガウリイは服を変える程度で変装などといったこともせずにいた。しかしやはりそのままでは同郷の難民にガウリイだと気付かれる恐れがあったし、決定的だったのは偶然療養所に視察に来たセイルーンの姫に正体がすぐばれてしまったことだった。
 以前、各国の国賓が集まった式典でガウリイを見かけたときのことを姫は覚えていたらしい。ガウリイはまったく覚えていなかったが。

 金髪長身で目立つのだから、変えられる髪形くらいどうにかしたほうがいいんじゃないですか? とは姫の談だ。ガウリイの正体を知ったからといって責めたり取引を持ちかけたりするわけでもなく、まるで旧友のように会話し、二人の希望に沿うように対応してくれる。療養のためにと空き家の一室まで手配してくれた。
 「なぜ信用してくれるのか」と訊いたら「わたしの勘です」の一言。姫は誰にでも気さくで、ある意味では豪胆な傑物だった。

 結局ガウリイは姫の意見に従い、髪を短くした。顔を知っている人間が見ればあまり意味はないかもしれないが、何もしないよりは多少ましだろう。



「髪の短いガウリイってまだ見慣れないわ。
 短くなってすっかり軽そうねー。つられて頭の中身まで軽石になってないといいんだけど」

「なんだとっ」

 後ろから抱えてきたガウリイにぐしゃぐしゃに髪を掻き回され、リナは悲鳴を上げながら笑った。
 リナの笑い声は小さくなり、次第に沈み込む。ガウリイがリナの肩を抱いて顔をそっと覗き込んだら、赤い瞳はぼんやりと遠くを見るように気力なくガウリイを見返した。添えられた彼の手に頬を寄せる。

「一日に何度もね、夢じゃないかって思うの。無我夢中で戦ってたはずなのに、どうしてここにいるんだろうって。現実とあたしの心が乖離してる」

 荒んだ灰色の日々が嘘のように遠い。天幕から一歩踏み出せばリナを待ち構えていたあの果てない戦場はどこに行ったのだろう。ここでは窓の外を見れば穏やかな生活の風景が広がっている。子供たちの歓声、露店のおばちゃんたちの尽きない笑い声、食事どきのいい匂い──炎も悲鳴も、どこにもない。
 戦場を思い出すたびに、今の日々のほうが幻ではないかとどきりとする。

「あたしがここにいていいのかしら」

 周囲からずっと蛇蠍のように嫌われ、自分すら自分を恐れていた。そんな自分にはこの生活が相応しくないように思えた。

「いーじゃないか」

 あまりに軽いその言い方にリナは半ばむっとしながらガウリイを見る。

「真面目に考えてる?」

「考えてるよ。今までと違う環境に戸惑ってるんだろ?
 オレだって『これでいいんだろうか?』って思う時がある……慌てて逃げてきたからな、捨ててきたものが気にならないって言ったら嘘になる」

 リナははっとして、苦笑を浮かべるガウリイを見た。彼はいつものほほんとして苦悩を見せないが、故国を蹂躙されたガウリイこそ心残りが多いだろう。
 自分ばかりが苦しいような顔をしていた。俯くリナの髪をガウリイは撫でてくる。

「でもあのとき決断したからリナが側にいる。
 オレやリナはずっと国と戦いのために生きてきた。でももうやめだ、そんなの。これからは自分のために生きればいい。リナはそれが難しいってんだったら、オレのために生きればいい」

「……随分大雑把な理屈ね」

 ガウリイの言葉にリナはゆっくり破顔した。
 もう拘束も隷属も強いてないのに彼が側にいて、自分を必要としてくれるのが嬉しい。
 自分の過去としたことは消えないし、それに居直ってもリナの生んだ多くの憎しみと悲しみは永劫残ってしまうものだろう。でも、ガウリイがいればまっすぐ前を向くことができる。

「──さて、手紙を手配しなくちゃ」

 部屋を出ようとするリナの手を自然にガウリイが引いて繋ぐ。
 もう孤独じゃない。それだけでリナは強くなれる気がした。

「夫婦そろって元気です、てちゃんと書いといたか?」

「書くわけないでしょ!」

 言葉を荒げて手を振り上げようとするが、その手は指が絡んで緩まない。もつれて彼の胸に倒れこんで、笑った。暖かい鎖に繋がれているようだった。

■ 終 ■
ゼルガディスが微妙なところにいますが
彼はまずリナのプライドを尊重した対応をするのでどうしても距離ができ、
リナもゼルと話すのは楽だけれど、プライドのせいで甘えることはできない…という感じの設定なのです。

あと
自分で話を書きながら
「切ったガウリイの髪の毛欲しいぃぃ!」とか思ってしまった。
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