誰のために咲いたの 2

2020年にゆばさんサバ缶さんが発行されたガウリナ合同誌「glhf-jirejire-」に寄稿した話です

 貴賓館から銀の木の葉亭の自室に戻ったリナは、さっそくクリームを手足に塗り込んでいた。
「アメリアも大変よねー。新呪文の研究したり、主導して経済活動を展開させたり」
 まだ若いというのに、為政者として十分な手腕を発揮している。それに化粧品の分野なら、確かにフィルさんよりもアメリアのほうが如才なく手配ができそうだ。
「正義のために・国民のために尽力するってのは、性格的にもアメリアに向いているんでしょうね」
「……花みたいな匂いがする」
安全確認の報告にとリナの部屋を訪れていたガウリイが鼻をひくひくさせる。
「アメリアから貰ったボディークリームの匂いよ。仕事中はこういうのダメだけど、とりあえずごたごたも終わったようだし、今ならいいでしょ」
「そーだな、いい匂いだけどいつもはつけられねーな」
 敵を追ってるとき、または追われているとき──強い『におい』を放つものは厳禁である。
 街道の移動中も何が起こるかはわからないので、匂いを楽しめるのは、こうして宿で寛いでいるほんのひとときだけのことだろう。
 リナは、諦め混じりの息を軽く吐く。
「……まったく、色気のない話ね」
 それが自分たちらしいといえばらしいが。
「このほうが特別感あっていいんじゃねーか?」
「そうね、そうだわ」
 こうしてたまにしかない貴重な時間を、匂いと一緒にリラックスしながら満喫できると思えばいい。
「でも、なんで女はそういうの付けたがるんだ?」
「これは保湿よ。あなただって冬には乾燥して肌ががさがさになっちゃったりするでしょ? こうして保湿することで肌を健康に、綺麗に保つの」
「へえ。たいして変わったようには見えないぞ」
 クリームの塗り終わったリナを不躾に見て、不思議そうな顔をするガウリイにリナは「んべっ」と舌を出してからかった。
「一瞬で変わるわけがないでしょ。メイクをしたら、ぱあっと変わることもあるかもしれないけど」
「そうか──じゃあアメリアが前よりも綺麗な感じに見えるのは、メイクをしてるからなのか?」
 リナは目を丸くした。この、ぽややんとして数日前のことも覚えてなさそうなガウリイが、なんとアメリアの変化には気付いていたらしい。
「やっぱりアメリア綺麗になってるわよね! メイクのおかげもあるだろうけど、毎日のお手入れと、アメリア本人が綺麗に成長したってのも大きいと思うわ」
 にしても『アメリアが綺麗』というガウリイの発言が意外すぎる。この天然男にめざといところもあったのかと驚きながら、リナはおそるおそる彼に聞いてみた。
「ね、アメリアみたいに……あたしも前に比べたら少しは変わってる?」
「わからん」
「おいっ!」
 間髪入れぬ即答に思わず声を荒げる。
「だってアメリアとは久しぶりに会ったんだぜ? 毎日顔を会わせてるリナがどんなふうに変わったかなんて、オレにわかるわけないだろ」
 むくれ顔のリナの正面にきて、ガウリイは改めてリナをじいっと見詰め──
「そもそも、リナって美人なほうなのか? リナは自分で『美少女』って言ってるけど、最近わからなくなってきたんだよな」
「ちょっとお! それひどすぎない!?」
「自分よりもよく見てる顔だぜ? 見慣れすぎて普通なのかそうじゃないのかもわからん。リナは『リナ』で、どう変わってもオレは『リナだな』ってしか思えない。たぶん、これからもずっとそうなんだろうなー」
 確かに自分の顔を見るよりも高い頻度で毎日顔を合わせている間柄だ。だけども。
「そんな見飽きた風景みたいに言わないでよ!」
 リナはふとした拍子に「やっぱガウリイってハンサムだわ」と内心で評価しているのに、ガウリイからの評価はこの程度なのかと落胆した。
「……少しはメイクもしたほうが、変化がついていいのかしら」
「それはなんだ?」
「口紅よ」
 リナがふと手にした平たく丸い容器の蓋を開けると、中には口紅と小筆が入っている。
「へえ、塗ってみろよ」
「今?」
「ああ」
 メイクをしたら少しは綺麗と言ってくれるだろうか。
 アメリアを誉めたみたいに──

 しかし、部屋をぐるりと見回して、リナはここに鏡がないことに気付いた。鏡というものはそれなりに貴重品で、宿屋の部屋に置かれてないことはよくある。鍛冶の盛んなアテッサでもそれに変わりはないらしい。
「……鏡がないから、塗れないわ」
 諦めて蓋を閉めようとしたリナの手を抑え、ガウリイがひょいと口紅の容器を手に取った。
「じゃあオレが塗る」
「は? ガウリイが? あたしに!?」
「塗ったらどんな感じになるのか見てみたい」
「本気? できるの?」
「唇のふちからはみ出さなければいいんだろ?」
「そうだけど、そうなんだけど!」
「ほれ、変なふうに塗られたくなかったら黙ってろ」
 いつもは剣を握る武骨な指が、口紅用の小筆をそっと摘まんで持つ。紅の上で何往復かさせて筆に取り、リナの口元に手を寄せた。
「う、うう」
「じっとしてろよー」
 観念したリナは口をつぐみ、むう、と唇を突き出す。
「お、塗りやすい」
 唇に小筆が触れた。ガウリイに直に触れられてるわけでもないのに頬が熱くなる。
(近い! 近すぎる!)
 リナがたまに見惚れてしまう顔が、リナの唇を凝視しながらこれまでにない距離にある。いっそのこと目を閉じてしまいたいが、キスをするわけでもないし、なんだか違う気がする。
 ゆっくりゆっくり、小筆が丁寧に輪郭をなぞって往復し、リナの唇に色をつけていった。
(ガウリイが、あたしの唇だけ見てる)
 この近距離で目が合ったら、もっと茹蛸のようになってしまうだろう。
「リナ、少し口を開いてくれ」
「……ん」
 素直に薄く口を開いた。
 真剣なまなざしは刺さるよう。
 リナは間近なガウリイの睫毛を観察しながら、浅く息をする。触れられてくすぐったいのは唇なのに、硬直しながらも全身がむずむずとした。
(息が詰まって苦しい!)
 もう限界──暴れ出して終わらせたいと思ったそのとき、ガウリイがふっと身を離した。小筆を容器に置く。
「……は、はあっ」
 詰めていた呼吸を戻すが、酸欠でくらくらした。
 ガウリイはじろじろと──リナを矯めつ眇めつ眺めて思案顔になり、一言。
「……似合わないな……」
「おいいっ!」
「なんか……違う。なんでだ?」
 リナが欲しいのは誉め言葉だったのに、よりによってそんな感想が出てくるとは。
「はあ……なんだか散々だわ」
 綺麗になるためのメイクすら相応しくないということだろうか。ガウリイは嘘を言わない男である。がっかりしたリナは口紅を拭う布を手に取った。
「いや、ちょっと待て」
「なによ?」
「これってアメリアの口紅か?」
「そうよ。アメリアの私物から貰ったんだもの」
「色はこれしかないのか?」
「うん。荷物になるから、たくさんは貰えないわ」
「わかったぞ! これはアメリアに合わせた色だから、リナにはしっくりこなかったんだ」
 伸ばされた手が頬に触れて、リナは身を竦める。
「アメリアとは髪の色も肌の色も違うだろ」
「え、ええ……」
「そうだ、今度化粧品を売ってる店があったら、もっとリナに似合う色の口紅がないか探してみよーぜ、な?」
 戸惑うリナに、名案だとガウリイが微笑む。
「それって意味ある? 口紅の色を変えたくらいじゃ、見違えて綺麗にはならないわよ」
 リナはぷいとそっぽを向いた。
 ガウリイの『似合わない』の一言が、しこりになって胸につかえている。
「オレはもう見慣れすぎて、リナが美人かどうかはわからんが──」
 なだめたいのか、ぽんぽんとリナの頭を撫でた。
「オレはリナの顔、好きだぞ」
「……ほんと?」
「お前さんって見てて全然飽きないもんなー」
 誉めてるのかどうかは微妙だが、最初からそう言ってくれればいいものを。『好き』という言葉に多少気を取り直したリナは、ガウリイに問うてみた。
「あたしに似合うのってどんな色?」
「それはわからん……一緒に探してみよう」
 これまでにお宝や魔法剣を探したことはあるが、似合う色の口紅を探すだなんて初めてだ。それがなぜだか嬉しくて、リナははにかんだ笑みを浮かべてうんと頷く。
 口紅を塗られていたときと同じくらいに、リナのどこかがむず痒くてくすぐったかった。




じれじれになってますかね
こう、日常のなかに潜むじれじれ…みたいな…ものをですね……
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