うれしいレシピ

 とある魔道士協会からの依頼はめずらしい内容で――創立百周年記念に『魔道言語大全』を作成することになったので、ぜひリナに編纂委員に参加して欲しい、とのことだった。
「ん~、興味はあるけれど……」
 かなりの時間と労力を必要とするであろうその仕事内容にリナが考え込んでいると、魔道士協会側は住居や生活費なども補助させていただきますから、と懐柔策を提示してきた。リナはちらりと自分の後ろに立つガウリイを見遣る。
「彼はこの依頼には参加しないけど、それでも生活費は二人分くれるのかしら?」

 魔道士協会の手配した住居は小さな空家で、もらった鍵で中に入った二人はまず家じゅうの窓や戸を開けて換気し、掃除することから始めた。
「蜘蛛の巣いっぱいだなあ……ぶえっくし!!」
 箒で床を掃き、舞い上がった埃にガウリイは大きなくしゃみをする。
「ほらあ。だから手ぬぐいで口、覆っておきなさいって言ったのに」
「鼻がむずむずする……どのくらい空家だったんだ?」
「一年くらいらしいわ。人の手入れがないと家ってすぐ汚れちゃうのね。でも大きい家具は残されてるし戸棚に使えそうな食器もいっぱいあったの! いろいろ買わなくてすむのは有難いわね」
 言って、リナは顔を覆う手ぬぐいから覗く目でぱちりとウインクをした。

 掃除がひと段落ついたところで二人は連れ立って市場に繰り出し、生活用品、薪、そして大量の食糧を買い込んだ。帰り道、店から借りた荷車を引きつつガウリイは思案顔になる。
「……これ、買いすぎじゃないか?」
「なーに言ってんの! あたしとあんたの三食分だったらこの程度の食料なんて、一週間ももたないわよ?」
「そ、そうなのか? というかリナ、三食全部作るつもりなのか?」
「もちろん! 外食よりも作ったほうが安上がりなんだから。せっかく台所があるんだし」
「でも魔道士協会が生活費を見てくれるんだろ? だったらそんなに節約しなくてもいいじゃないか」
「はーっ!? ダメよそんな経済観念! いくら報酬が良くても無駄な贅沢は慎むべきよ! あんたも『生活費出してもらえるんだから』って悠長にしてないで、ちゃんと仕事探すのよ!」
「お、おう……」

 これまでの食事は街にいるときは食堂、人里離れた場所で野営するにしても簡単な保存食などですませていたし、ろくに料理をしてこなかったのに一日に三度も作るなんてできるのだろうか……とガウリイは不安に思ったが――台所に立つリナの姿はとても楽しそうだった。
「つくるのってめんどくさくないか? 食堂だったら注文すれば待ってるだけで出てくるんだもんなあ」
「実は結構好きなのよ、料理」
 リナは手際良く動いて、備え付けの古くて大きいテーブルは運ばれてくる料理ですぐにいっぱいになる。
「でも片付けはガウリイの役目だからね!」
「ああ、わかったよ――いただきます」
 この家に住み始めてまだ一日目、調理器具もまだ必要最低限しか揃えてないというのに、健啖家なリナらしく料理は量も品数も多い。そして、各地の名物料理を食べてきたガウリイが舌を巻くほどおいしかった。
「うまい!」
「でしょ~?」
 フォークを持つ手をとめ、リナが得意顔で笑う。
「このスープの味付けとか、ガウリイ好きでしょ」
「ああ、それにこの餡かけも絶品で……って、よく見たらオレの好物ばかりだ」
「そりゃずっと朝昼晩一緒に食事してるんだから、ガウリイの好みはもうわかってるのよ」
 そしてリナは「これはどこそこの食堂の料理長に教えてもらったレシピで」だとか、「これはあのとき泊った宿のおばちゃんから聞いた隠し味を使ってるの」と各料理の由来を説明してくる。
「調味料が充実したら、作ってみたい料理がもっとあるの……って、どうしたの? 食べるペース落ちてない?」
 覗きこむリナと目が合って、ガウリイははっとする。
「いや! おいしい! すごくおいしくて……うれしくて」
 勘違いしてしまいそうだ、と呟いた。
「どしたの?」
「なんでもない!」

「じゃあ、あたしは風呂を使わせてもらうわ」
「ああ」
 ガウリイは背中にリナの声を聞きながら食事の後片付けをする。遠ざかる足音を確認して、淡い溜息をついた。
「……なんだよ、この新婚みたいな生活は」
 リナは、きっとそんなつもりは毛頭ないのだろうけれど。
 ここにどのくらい住む予定だったっけ、と思いながらガウリイは古い天井を仰ぎ見た。リナと一つ屋根の下で生活することは、楽しくも切ない。
「オレ、耐えられるかな……」
 先が思いやられた。


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