展望晴れて

「お前、それでいいのか?」
「なにがだ?」
 柔和な表情でゼルガディスに聞き返す。
 この顔だ、と彼は不愉快そうに眉を顰めた。ガウリイが意図せずとも、この整った顔を向けられるだけで女性は舞い上がり勘違いをし、空回りをはじめる――ガウリイの気持ちはそっちのけで。
「……せっかく、あの人がお前のためにいろいろ企画してたみたいなのに」
「いやあ。オレああいう集まりは苦手で」
「まあ、向いてはいないのはわかるが……」
 ゼルガディスは溜め息のあとにビールをあおった。
 この金髪長身の色男は当たり障りなく人付き合いできる。だが『親しくなりたいと望む人間』がある程度から先に彼の領域に踏み込もうとすると――気付くのだ、そこには見えない壁が立ちはだかっていることに。
 何も考えてないようでその実は己に近寄る事象を避けている。にこりと微笑みを見せながら、彼は内心どうでもいいと思っているのだ。
 こうして居酒屋で飲みながら無駄話をする、自分のような友人が他にいないわけではない。しかし、ガウリイはどこか浮き草のようで、どこで何をしていても定まらない。ある日ふらっと消えてしまいそうな掴みどころのない男だった。
 山芋のワサビ醤油漬けをしゃくしゃく食べるガウリイを見ながら、ゼルガディスが口を開く。
「お前、将来どうなりたいとか……そういう希望や夢みたいなものはないのか?」
 そらぞらしい言葉に自分で歯が浮きそうになる。
 人のこと言えるような生活をしてるのか――と思わず自問自答するが、ゼルガディスには遺伝子工学の研究を進めるという大きな目標があった。そういった目標や『したいこと』の話をガウリイからは聞いたことがない。
「夢?」
 真剣な顔をしてしばし思案する。そして。
「そうだな。行くたびに品切れになってるザブトン定食を食べてみたい」
「……そろそろ会計しよう」
 渋い顔をするゼルガディスに呼ばれて、関係のない店員がぎょっとしていた。

  *****

 駅でゼルガディスと別れ、帰路につく。
 早い時間に切り上げたのでまだそれほど酔ってもいない。

 ――不本意な誘いを断る口実のために、急にゼルガディスを呼び出したのだが、迷惑だとか言いながらもきちんと来てくれるいい奴だ。
「ああ見えてお人好しなんだよなー」
 利用してしまって申し訳ない。しかし、どうにかしてガウリイの好意を得ようとする異性の行動は到底抑えられるものではなく、ああやって何かと理由をつけて逃げ回るしかない。
「……ん?」
 住宅や駐車場の多い区画の、一本奥にあるフェンスに囲まれている小さな公園。そこに複数の影があった。そして何やら言い争う声が聞こえてくる。
「女の子?」
 見るからに柄の悪そうな男の不良どもに対峙しているのは、一人の女の子だった。制服を着ているから中学生か高校生だろうか?
 異様な光景に目を見張る。彼女は怯えても縮こまってもいない。逆に堂々と胸を張りしっかりと地面を踏みしめ、その口元には笑みさえ浮かべて――不良どもを挑発している。
(おいおい……何やってんだ?)
 武道を得意とするガウリイには、彼女が確固たる自信をもって彼らに挑んでいるのが一目でわかる。でもだからといって――
「ほっとくわけにはいかんよなあ」
 シャツの袖を手早く巻いて腕まくりした。女の子を取り囲もうとする不良どもに威嚇がてら声を張る。
「それぐらいにしておくんだな」
 それからは、ガウリイの独擅場だった。

「――大丈夫か?」
 ガウリイが不良どもをのしている間、きゃーきゃー言いつつも危険の及ばない場所に的確に逃げ隠れしていた彼女をベンチの裏側に見つけた。
「どぉも……」
 威勢と負けん気を押し隠し、しとやかさを装ってガウリイの伸ばされた手を取るその娘に思わず苦笑する。
(あー面白いな、この娘。こいつと生きていけたら面白いんだろうな)
 ふとよぎった考えにガウリイは己で衝撃を受けた。
(は!? 生きていく!? この娘と!? 一生!!!???)
 小さく柔らかい手が自分の手を掴みながら立ち上がる。
「……どうかしました?」
「い、いや……なんでもない」
 訝しむ視線に平静を装い、その手をきゅっと軽く握った。
(一緒に生きていくってことは――この娘を一生守るってことだよな?)
 なぜだか、今後のライフイベントが次々と脳裏に浮かび上がる。そのことごとくのシーン全てが、彼女と一緒にいる場面だった。
 瞬時にそんなことを考えるガウリイの網膜には、地面に伸びる街灯の明かりがバージンロードのように映った。
「あ、あの、ありがとうございました! 失礼します」
 するりと小さな手が抜かれ、女の子は身を翻して去っていく。
 ガウリイはそれを呆然と見送った。立ち竦みながらも、頭の中はこれまでになく激しく回転しはじめて、くらくらする。

*****

「ガウリイ、どうした。昨日の今日で呼び出し……て……?」
 昨日と同じ店にやってきたゼルガディスは、ガウリイの様子にぎょっとする。保険やら車やら、いろんな種類のカタログがテーブルに広がり、ガウリイはなにやら真剣な表情でスマホを見てはメモ書きをしている。
「なに見てるんだ? ……賃貸だと?」
「ああ、引っ越しする。今の部屋は単身者用だし狭すぎて二人じゃ住めない」
「は!? ふたり!?」
「自炊のためにちゃんとしたキッチンがついてるほうがいいよな。洗濯機置き場は室内がいいだろうし。あと不良に絡まないように今より明るめの立地に――」
「おい待て」
 なんだこの勢いは。
 昨日までのふわふわしたガウリイはどこに行った。
 自分が誤って違う世界線に来てしまったのだろうか?
 ゼルガディスは己に落ち着けと言い聞かせながらガウリイの向かい側に座った。
 シャツの襟元を緩め、店員にビールを注文する。
「……急にどうしたんだ。順を追って話せ。昨日まで彼女もいなかったよな? 突然彼女ができたのか?」
「彼女というか。一生一緒にいたい人に出会った。名前はまだ知らないけど」
「はあっ!?」
「大丈夫。着ていた制服調べたらこのへんの高校生だったからまた会える」
「高校生!? ちっとも大丈夫じゃないだろうがっ!!」
 ツッコミのあとに周囲の視線に気付き、ゼルガディスは声をひそめた。
「お前、犯罪者になるつもりか」
「そんなつもりはない。今高校生ってことは数年の猶予があるだろ? だから、その間に結婚の準備をしておく」
「けっ……」
 毛玉の詰まった猫のように呻いてゼルガディスは絶句した。
「身辺をちゃんとしときたいから元カノたちにもう会わないって言っておかないと。あと……会いたくないけど入籍するってなったら報告しなきゃならんから、実家にも一度顔を出さなきゃならん。健康診断も受けたいし、サボってた昇段試験も進めたいんだ。他に何が必要だ? 保険? 資格? 奨学金全額返済?」
「いや……まずその前に『交際する』ってスタートにたどり着けるのか? お前、いろいろ計画してるがそれじゃストーカーだろうが!」
 ゼルガディスの叱責にもガウリイはにこりと笑った。
「オレは冷静だ。なんの準備もなしに勝負に挑むほうがおかしいだろ? それに、あの娘が嫌がることはしない。その気もないのに言い寄られるのは迷惑って身に染みてわかってる」
「そ、そうか……なら、いいんだが……」
「これから忙しくなるな~! そうそう部屋探し、ファミリータイプも捨てがたいんだがやっぱり気が早いかな?」
「……無駄な出費は避けろ。貯蓄は将来設計にとって重要だろうが」
 こんな提案が果たしてアドバイスになっているのだろうか。
「ファミリータイプは却下と……」
 言いながらガウリイは紙に書き込んでいる。
 その様子を半ば呆然と見ながらゼルガディスは既視感を覚えた。これは、『おれのかんがえたさいきょうのいえ』みたいにして子供が妄想をノートに書きなぐっている状況とさほど変わりがない。
 あんなに漠然と日々を過ごしていたガウリイを変えてしまった高校生とはいったいどんな人物なのやら。
「ゼル」
「なんだ」
 顔を上げたガウリイはこれまでになく晴れ晴れとした表情をしている。
「楽しくなってきた。目標があるっていいな!」
「そうか……」
 こいつこんな面もあったのかと思いながら、ゼルガディスは卓に届いたビールをあおった。

■ 終 ■



完璧ストーカー予備軍…(ヒヤヒヤ)
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