干城たる

 城壁の内側、細い通路を歩きながらリナは兵士の様子を見て回った。
 兵士といってもほとんどがにわか仕立てだ。リナのような雇われ者も何名かいるが、小国では財政に余裕もなく、わずかばかりの兵士と徴兵した国民に武器を準備するだけで精一杯だったらしい。

 ほんとうに規模の小さな、セイルーン王都並みの広さしかない国土。
 取るに足らない――言ってしまうと失礼になるが、住んでいる国民ですらそう思っている国に『属国になれ』という文書を手に使者がやってきた。まさに寝耳に水。他国より優れた土壌があるわけでなし、金を溜め込んでるわけでも貴重な資源があるわけでもない。ただここらの諸国侵略の足がかりに補給地と奴隷が欲しいのだ。
 平和で何年も戦をしてないところに突如訪れた存亡の機。血を見、国民に犠牲が出るのはもちろん避けたいが、あまりにも一方的な要求に国王は怒りを隠さず、要求を突っぱねて使者を送り返した。

 のんびりしてて何も考えてないように見えたって、プライドはあるんだよ。それ以上に国を愛する気持ちもね。

 好々爺然とした国王はリナにまるで世間話でもするように苦笑しながら言った。そして、我々に手を貸して欲しいと頼んできた。
 魔道士協会の上層部に国王と懇意にしている者がおり、そこからリナに話がまわってきたのだ。有能な魔道士が一人いるかいないかで、戦局は大きく変わる。名だたる二つ名を『多数』持つリナの手を取り、これほど頼りになる助っ人はいないと喜ぶ国王にリナは複雑な思いで愛想笑いをした。

 リナは自分を安売りしない。
 その喜ぶ国王が涙目になるほどの交渉を繰り広げ、納得する価格まで粘って引き上げて雇われることを了承した。もしかしたら雇う傭兵の数が少ないのはリナたちへの報酬が圧迫しているせいかもしれない。

 前金を手にしにやりと笑みを零すリナにガウリイもあきれていたが――リナはとてもよく働いている。初めのうちは兵士や他の傭兵に「大丈夫かいお嬢ちゃん」とからかわれてばかりいた。しかし戦局が進むにつれ誰もリナを侮るような態度はとらなくなった。こうして早足に見回っていると「いいかげん休んでください」といろんな人が声をかけてくる。兵士たちの、土埃に汚れた、疲れた顔を見上げながらリナは、大丈夫よそっちこそどうなの異常はない? と確認しては凛々しく微笑んだ。
 士気を下げないためにも疲れた様子を見せてはならない。背をぴしりと伸ばして早足にあちこちを歩き回り、繰り返される襲撃に備えて壊された城壁の修繕を指示し、必要あればゴーレムを動かした。
 時折、思い出したようにぼそぼそと食事を取る。塩っ気ばかりの保存食を無理矢理口に押し込んで水で流し入れる。限界まで疲れてしまった時は、唯一『復活』を使うことのできる神官にこっそり世話になっている。この神官も怪我人の手当てで働き詰めだが、仕方ない。リナ自身、働きっぱなしで何日横になって寝てないか、もうあまり覚えてない。


「偵察隊の報告によると、明日あたりまた仕掛けてきそうです」
 歩き回るリナを見つけて兵隊長が追いかけてきた。リナは歩みを止めずに対話を続ける。兵隊長はリナより一回り以上は年上で小娘のリナがあれこれと仕切り出すのを不満そうに見ていたが、最初の襲撃でリナが威嚇がてら荒野に竜破斬を見舞い、敵を退散させてからは敬語を使ってくるようになった。

「わかった。動きがあったらすぐに教えて――東側の物見台にいってくるわ」
 はい、とまるで上官への返事を背に聞く。
 多くの兵士たちの縋るような視線を身に感じながら、リナは奇妙な孤独を味わっていた。『味方』ではあるけれど『仲間』とはいいがたい。気丈に振る舞い、状況を素早く判断し次々に命令しなければ彼らはすぐ不安に陥って混乱してしまうのだ。信頼を一身に受けて嬉しくないわけではないが、それは次第に自分の重荷としてずしりと圧し掛かってくる。

 物見台に向かって歩いているとくらりと眩暈がした。
 周囲の兵士に訝しがられぬよう、リナは城壁の覗き穴――戦闘時は矢を放つ穴――から外を見るふうにして壁に手をついた。
 自分があと三人いればいいのに。
 たびたびリナに駆逐された敵はもう同じ手は取ってくるまい。たいして外周は広くないもののリナ一人では全てをカバーしきれない。何度か襲撃を追い払ったので時間ができ、体制を整え直すことができたがそれは敵にも言えることで、攻撃魔法を使える魔道士をどこからか連れてくるかもしれない。召還した魔物や複数の魔道士に四方から襲われたらリナにはこの砦を守りきることができないだろう。どこからか内部に侵入されたら最後、戦いに慣れていない国はあっという間に侵略される可能性が高い。

「ガウリイ、いつまでかかってんのよ……」
 相棒の名前が口をついて出た。
 もし、ガウリイが――あの自称保護者のでかぶつが側にいたら、眩暈でふらついたのを目ざとく見つけてあれやこれやとうるさく言って、ベッドに子供のように放り込んで寝かしつけようとするだろう。いや、この非常時ではどうだろう。一兵士として対等に扱ってくれるかもしれない。でもやはり、女の子なんだからと口やかましいことを言ってくるかも?

 あれこれと考えてリナは軽く頭を振った。彼がどうするかなんて結局わからない。ガウリイは最初からこの防衛線にはいないのだ。

 国王からの依頼は二つ。
 一つは国の防衛。
 そしてもう一つは隣国との交渉に向かう王女の護衛。

 隣国とははるか昔に協定を結んでいるが、それを覚えている人間があちらにいるかどうかも怪しいほど古すぎて、機能しているのか不明だった。それでも今は協力を求めないわけにはいかず、賢く国王の信頼も厚い王女が代表として隣国に旅立っている。

 砦の防衛と王女の護衛、リナとガウリイではどちらがふさわしいか悩むまでもない。
 適材適所、二手に分かれてガウリイは護衛に行くべきと告げると「そうか」と一言だけ言って彼は納得した。別れ際に「じゃ、頑張れよ」なんて軽く言って、王女や彼女のお付きと供に、敵に気付かれぬよう深夜にここを発った。

 隣国との交渉はどうなっただろう。
 聡明な王女はガウリイと同じくらいの年齢の、美しい人だった。ガウリイが何か失礼なことを口走ったりしてやいないかとリナは少し心配した。
 護衛に関しての心配は、ない。
 あのガウリイなのだ。きっと国王の期待以上に働いているはずだ。

「……何か、見えるんですか?」

 話しかけられてはっとする。
 手をかけていた覗き穴から顔を離した。
「何も。土埃りしか見えないわね」
 誤魔化しの笑みを浮かべた後、兵士にねぎらいの言葉を掛けてその場を後にする。


 東の物見台に近づくと、なんだか騒がしい。人だかりが出来ている。

「どうしたの? 敵の姿でも見えるの!?」
「リナさん!」
「援軍です、援軍が来ました! 我らの国旗と隣国の軍旗が見えるんです!」

 リナが駆け寄ると人の波がさっと道を開けて分かれた。
 まだ遠くに小さく見える程度だが、大勢の人の波が黒く見える。多分、数万の軍勢。
 まだ古い協定は生きていた。これで――戦は一気に収束するだろう。隣国を敵に回し、ここで大規模な戦を起こしてまで敵国に得られる利益はこれっぽっちもない。
「やった! 助かったぞ!」
 ここでの勝利は敵の殲滅ではなく『守りきる』こと。
 援軍の登場は次第に歓声となって砦全体に伝わっていく。

 ゆったりと遠くから寄る人波を見ながらリナは高揚を抑えられず、にわかに翔封界を唱えると砦を飛び出していた。いきなりのことに兵士たちの驚愕の声が上がる。
「先に合流して、話をきいてくるわ!」
 言いはしたが、操る風にさえぎられて聞こえなかっただろう。
 自分でも軽率な行為と感じていた。どこにリナを狙う敵兵が潜んでいるかもわからないし、リナのいない隙を狙ってここぞと急襲されるかもしれない。
 思考はめまぐるしく動くけれど、リナは事態の解決と兵士たちを信じて空を駆けた。


 行軍の少し手前で地面に降り立って金色の髪を探したら、こちらが見つける前にガウリイが慌ててやってきた。前衛の兵士を掻き分け、リナに向かって走ってくる。

「リナ! 飛び出してくるなよ、危ないだろ!」

 よくよく見てみれば、兵士たちがリナに向けて構えた弓を上官の命令に従って下ろしている。敵側の魔道士かも、と警戒されたのだろう。

「大丈夫よ、飛んでるときには矢なんて当たらないし」

「そういう問題じゃなくて」

 立ち止まるままの二人を行軍する前衛が追い越していった。
 大勢の兵士の中を掻き分け、今度は護衛された王女がリナの元にやって来る。

「リナさん! 遅くなってすみませんでした。
 交渉に予想よりも時間がかかってしまって。状況はどうですか?」

「大丈夫だけど、ちょっとヘバってきたところだったわ。攻撃も数日おきにあったし……でももう援軍の情報が伝わって砦のみんなは安心してると思う」

「そうですか……本当にありがとうございました。そんなになるまで頑張っていただいて」

「……?」

 何が、と質問する前にガウリイが手でリナの頬を拭いてきた。

「どれだけ大変だったんだ。お前さん、顔真っ黒だぞ」

「炭鉱夫みたいになってるわ」

 王女がリナに手渡そうとした手ぬぐいをガウリイが横からさらって、遠慮なくリナの顔を拭き始めた。乾いた顔には、少々痛い。

「もういいって……」

「いや、よくない」

 むずがるしぐさをするリナをガウリイは唐突に抱きしめてきた。リナは驚いたが、跳ね除けるだけの元気ももうあまり残ってない。

「……なにすんのよ。あたし、風呂も入ってないわよ。くさいんじゃないの」

「みりゃわかる」

 しかし腕は緩まない。
 仕方なくされるままになっていると、王女の「先に行きますね」という遠慮がちな声が聞こえた。二人を避けるようにして進む兵士の波に王女の気配は去っていく。

 ――何かガウリイに言いたいことがいろいろあったけれど、どの言葉も必要ない気がしてリナは硬い防具にただ身を凭れさせた。そうしただけで急激に眠気が襲ってくる。そして今まで早足に歩き回っていたのが信じられないほどの疲労で、膝が抜けそうになった。

「よく頑張ったな」

「……うん」

 ガウリイの背に手を回し防具の金具に指を引っ掛けながら目を瞑る。胸甲冑は硬いし自分の肩あても邪魔だけれど、ぴたりと体をあわせた。援軍を待っていた兵士たちとは違う安堵が、リナの全身を包む。
 欠けていたかけらが見つかった気分だった。

■ 終 ■

墨攻を読んだのだー。
この状況は二人がくっつく前か、後かなんて考えると楽しい。
最近は戦うリナ萌えです。
原作読んでると
ガウリイは心配性かそうでないのかわからない気もしてくるんですが
(ルークと比較してはだめなんだろうなー)
戦士としてのリナを心配することはないけど
やっぱ女の子としては心配してるよねこいつぅ
とか思ったりしてます。
Page Top