沈黙は


 「沈黙」っていうとまず小さい頃の食卓を思い出す。
 それはだだっ広いテーブルに家族全員揃って、無言で食事をする風景。
 オレはそそっかしいからフォークを落としたりして、床に金属が落ちる音が部屋にけたたましく響く。刺すような父の視線を受けながら、もそもそとフォークを拾ったっけ。
 思えば家族で楽しく談話ってのをした記憶が、ない。
 厳しい稽古は物心つくかつかないかの頃からイヤってぐらいしたのに。
 話す、遊ぶ暇があったら剣を振れって家だった。オレがしゃべるのや聞くのがヘタなのはそういう環境に育ったせいもあるんじゃないだろうか。
 あの息詰まる風景をこうして今でも時々思い出すけど、二度とああいう食事はしたくないもんだな。

 家を出て放浪する頃にはしゃべることそのものが面倒くさくなってたと思う。
 なのに世の中には何かと根掘り葉掘り聞いてくる奴が多くて、驚いた。そんなに他人のことを聞き探ってどうするつもりなんだか。
 かと思ったら自分のことばかりしゃべりまくって、さあ慰めろといわんばかりに悲劇ぶるのもいるし。一方的に話されても、オレは覚えきれない。覚える気もないけど。
 だから黙ってやりすごすことが多くなった。
 沈黙が、いい壁だったんだ。
 オレは沈黙ってのは「何も聞かないから何も聞いてくれるな」という拒否を表すものだと思ってた。
 「興味ない」って言葉の代わりに沈黙して、そいつが去っていくのを待つ。
 「しゃべらない」ことが「自分を出さない」ことなんだ、って。

 ――けれど、「沈黙」はそういう面だけじゃないってことに、オレはやっとで気がついた。
 ホントについ最近。

「……さっきからじろじろ見てない?
 何か言いたいわけ?」
「何も」
「あ、そ」
 短い返答に短く答えるとリナは再び魔道書に目を落とした。
 臥した長いまつげが影をつくる。俯いて流れる茶色い髪を細い指がかき上げて、オレはそれをぼんやりと見ていた。
 リナは窓際のベッドにブ厚い本を置いて座り込み、さっきから熱心に読みふけっている。オレはといえば剣の手入れも防具の手入れもあらかた終わってしまって、こうして暇をもてあましているわけだ。
 ベッドを軋ませて隣に座ってもリナは何も言わない。静かに黙してればいいらしい。
 ひとつ伸びをして、オレは壁を背もたれに深く座る。

 誰かと居て「沈黙」が心地よく感じられるなんて、不思議だ。
 ……いつからそうなったんだろう?
 いつから、いつから……と遡って考えてみたけど、リナとこうしてるのはずっと昔から自然だったことに思えて、初めて会った頃はどんな空気だったかなんてもう思い出せない。
 ぱらっと本をめくる音がした。
 リナの髪を一房すくって、玩ぶ。それからベッドの上の素足に気付いて、くすぐってみようかなんてふと思った。でもそれやったらぶっとばされそうだよなあ。
 ……うわ、足首がすっげ細い。よくこんなんで同じ距離を歩けるよな。そりゃオレよりは疲れやすいけど。
 ほら、掴むとオレの指がここまで回るくらいほそ――
「ちょっともう、なんなの! かまって欲しいの!?」
「いや別に。このままでいい」
「じゃあなんなのよ」
「……黙って」
 むくれているリナの首を抱え、目元、頬と唇で触れて、次に桃色の唇に重ね合わせてみる。唇を離すと閉じていた目をぱちりと開けた彼女は、読んでた所がわかんなくなったじゃない、とオレを小突く。
 ページの戻ってしまった本をぱらぱらとめくって、目的のページを見つけるとまた読書に没頭した。
 そっちのけになったオレはベッドに寝転がるついでにリナの膝を枕にする。本を読みながら何も言わないでいるリナの指が、オレの髪を梳いてきた。
 言葉のいらない時間がオレをひどく満足させる。再びリナとの「沈黙」を楽しみながら、まどろんだ。
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