Remember my love. 2「まず、お前さんの名前はリナ=インバースだ。 ハヅキって名前じゃない」 「リナ=インバース」 自分の名前らしいが、口にしてもまったく実感がわかない。 あたしは首を振っておばあちゃんに戸惑った視線を向ける。 「……彼女は保護された時に自分の名前も覚えてなかった。 それで勝手ながら私が『葉月』って名付けさせてもらったの」 「自分の名前すら……」 押し黙ってしまった彼に、あたしは思いきって常々知りたかったことを質問する。 「『インバース』ってことは、あたしはやっぱり外国の出身なの?」 「外国? 外といえば、そうなのかもしれない。 オレたちは『ここ』とは時空が違う世界から来ているから」 ――は!? あたしとおばあちゃんの声が重なった。 いきなり、何変なことを言い出すの! 「ちょっ、人が真面目に聞いているのに……ふざけないでください!」 「ふざけてなんかない、リナ。 オレたちはあの世界で――剣と魔法の世界で、一緒に旅をしながら生きてきた」 「剣と魔法ですって! 記憶がないからってバカにしないで!」 ひどい、そしてなんてヘタな冗談! あたしがどんな思いで自分の過去について質問しているのか、まったくわかってないようなさらりとした物言いが気に障る。 「なんで、そんな冗談を!? あなたは言っていいことと悪いこともわかんないのっ!」 我慢ならずにテーブルを思いっきり叩く。 麦茶の入ったグラスががちゃりと鳴り、おばあちゃんがそれに慌てて手を伸ばす。 …………。 こんなに激昂してしまったの、あたし初めてかもしれない。 ところが彼はおじけることもなく、心底嬉しそうに微笑んで見せたのだ! 「あー、そうやって怒ってると間違いなくリナだ。懐かしいなあ……」 「なっ……!」 「葉月。まあ、ちょっと待って。ちゃんと聞いてみましょうよ」 おばあちゃんがあたしを宥める。 イライラは収まらなかったが……むうぅ、おばあちゃんがそう言うのなら仕方ない。 ぼすっと荒く音を立ててあたしはソファに座り直す。 おばあちゃんが優しく彼に問いかけ始めた。あんな変なこと言われても冷静でいられるなんて、やっぱりおばあちゃんって器が大きいのね…… 「ガウリイさん、異世界から来たなんてだしぬけに言われても、私たちはとても信じることができないわ。それが本当だとあなたは証明することが出来るのかしら?」 「異世界の証明……か。 うーん、オレは魔法が使えないし」 眉間にしわを寄せて、唸りながら思案に沈む。 何が異世界、魔法、よ! 一体どういうつもりかわからないが、からかうのもいいかげんにして欲しい。魔法なんてもんが本当にあるのなら、かぼちゃの馬車でも出してみなさいっての! 本当の自分がわかると期待していた分落胆が大きくて、あたしはこの変な男が憎らしくなる。彼を睨みつけるあたしの眉間にも、同じようなしわが寄っているだろう。 「――そうだ、証明できるぞ! オレそういえばマジックアイテムを持ってんだ」 「マジックアイテム?」 そう言うと、彼は急に自分の腕をあたしの眼前に突き出す。 風呂に入った時も外さなかった腕輪――繊細な銀細工が施されている――を得意げに見せびらかせて、かちりと留め金を外し、腕から抜き取った。 「この腕輪は、セイルーンの宝物庫にあった物をアメリアが貸してくれたんだ」 「――!!」 彼の言葉を聞き、あたしは目を剥いて驚く。 内容に驚いたわけじゃない。 そもそも『セイルーン』や『アメリア』といった固有名詞らしきものは聞いても意味がわからないもの。 おばあちゃんはきょとんとした顔をしていた。 さっき彼が何を言ったのか理解できなかったからだろう。 ……その口から出た言葉が、日本語じゃなかったから。 「腕に嵌めれば、言語が違っても会話できるようにしてくれる貴重な宝物だってさ。 『ここ』に来る時にアメリアがこっそり持ち出してオレに……あ、リナ、オレの言ってることわかるか?」 こくりと頷いた。 彼のしゃべる言葉、懐かしいと言えばいいのかな……よくわからない。 自分以外の人が使うのを、初めて聞いた。 「葉月……これは、あなたの国の言葉なの?」 おばあちゃんが問う。 あたしは日本語でそうみたい、と答えた。 今まで誰とも通じなかった、あたしの使うことば…… あたしたちの会話を聞くためか、彼は再び腕輪を嵌める。 「――葉月のしゃべる言葉を、誰も理解できなかったわ。 調べられる限りの言語で確認したけれど、言語学者でさえも葉月の言葉がどこのものなのかわからなかった」 おばあちゃんが溜息まじりに、あたしが保護されて今ここに至るまでを彼に語った。 保護されたばかりの頃を、あたしはあまり覚えてない。 ふらふらと車道を夢遊病のように歩いていたところを保護されたらしい。 不安も、悩みも、悲しみも何もなかった。 自分の事だけでなく通常あるはずの「感情」も少し忘れていたんだろう。 ただただ空虚に満ちていたように思う。 身分証明になるものは何もなく、行く宛てのないあたしを第一発見者のおばあちゃんが引き取ってくれることになった。おばあちゃんは親身になって世話をしてくれて……言葉を理解できないあたしに、少しずつ少しずつ、日本語を教えてくれた。貪欲に日本語を学び、誰もが驚く早さで会話を会得したあたしに、周囲はその早さからもともと日本語を知っていたんだろうって結論になったらしい。 次にあたしは学問に夢中になった。 絵本から始まり、日を追うごとにあたしが手に取る本はぶ厚くそして字は小さくなっていった。めくる頁の次に自分を思い出す何かが書かれてるんじゃないかと……あたしは追われるように勉強を続けた。そして、手がかりになるようなものは何も見つけられなかったけれど、かわりにあたしは高校入学の許可を得たのだった。 一年近く経っても何もなくもう誰もあたしを探しに来てくれないかと思ってた。 過去を知ることは諦めて、これからもここで生活していくためにはどうすればいいかと考えていた。あえて話はしなかったけれど――おばあちゃんもそう思い始めていたはずだ。なのに…… 「あたしは異世界から来た人間だって言うの」 ありえない素性を告げられても、否定するだけのものもない。 あたしの過去はまっさらだから。 少し青ざめた顔色のおばあちゃんが、あたしの手をかるく握り締めてくれた。 「ガウリイさん。その腕輪を魔法の証拠とされても、やっぱり葉月が異世界から来たと急に信じるのは難しいわ」 「でも本当なんだ。彼女がオレの知るリナ以外のはずがない。 そうだ、リナはここに来た時どんな装備だったんだ? いつもの服装ならマントにショルダーガードとかしてたはずだ。 それに所持品にマジックアイテムをたくさん持ってたんじゃないか?」 彼が『リナ』が身に付けていたという服装を説明するが、それにはくい違いがある。 「葉月はそのような服を着てなかったわ。 探す手がかりになるかもと保護された時の物はちゃんと取っておいてるけれど……葉月は薄手のワンピースのようなものを身につけていただけよ」 「何だって! じゃ、いつもの装備はどこにいったんだ!?」 彼が訊いてくるが、あたしが知ってるわけないじゃないの……。 「着ていた服以外の所持品は――葉月、あれをガウリイさんに見せてあげなさい」 「う、うん」 あたしは首から下げていたネックレスをはずし、彼ではなくおばあちゃんに手渡した。 黒い半透明のペンダントトップを彼にかざす。 細い鎖の先の揺れる石が、鈍く光った。 「葉月はこの小さな黒い石を握り締めていたわ」 「この石を? こんなの、リナの持ち物で見たことないぞ……なんだろう?」 彼は石をまじまじと見ながら戸惑いを隠さない。 なんだか……あたし自身についていろいろとはっきりするかと思ったのに、この人にもわからないことだらけじゃないの! 「石のこともわからない? ……だいたい、どうしてあたしはここに来て、どうして記憶喪失になってるの?」 「さあ。わからない」 「え!?」 「理由を聞きたいのはオレたちのほうだ……。 『ここ』にリナが来たのは、たぶんリナの自分の意志だから」 ……だったらあたしの記憶が戻らない限り理由がわからないじゃないの。 結局謎を増やしただけの来訪者に、あたしの言い方が棘のあるものになってしまってもこれはしょうがないだろう。 「あなた、何もわからないのね……」 「そうだ。わからないことだらけさ。 オレはリナが何を考えてそうしたのか、また会って確かめたかった。 ……まさかとんずらしたうえに記憶喪失にまでなっているとは思わなかったけれど」 はあ、と深く溜息をつく。 「それから、リナの記憶がないとするとオレたちは向こうに戻れない」 「どういうこと?」 おばあちゃんが首を傾げ、先を促す。 「あちらへ渡る空間を開くには魔道の知識が必要なんだそーだ。 で、オレ帰りはリナをあてにしてた」 ――それじゃあこの人、行方不明の『リナ』を頼りに片道で異世界に来たってこと!? 「なっなんでそんな無謀なことするの? もうちょっと後先考えて行動しなさいよ! あたしの記憶が戻らなかったら、二度と自分の世界に帰れないんでしょ!?」 「リナの記憶が戻らなかったら? あー…でも、リナと一緒ならオレはこのまま『ここ』にいてもいいや」 「このままって……」 ふわりと笑うが。 今、なんでもないようにすごいことを言ってのけなかったこの人? ここまでして『リナ』の側にいたいってこと? 戸惑うあたしの意思とは無関係に――とくんっ、と胸が高鳴る。 彼に問いかける声が自然小さくなった。 「あなたは……ガウリイさんは、『リナ』の何なの?」 「オレか?」 そうだよな覚えてないのかあ、と悲しそうな顔をする。 ……しょうがないじゃない。 自分のことすら思い出せそうにもないんだから。 「オレはリナの保護者だ」 「ほ、保護者?」 「親兄弟とかそういう意味じゃないぞ。 自称保護者、だけどな。 実質旅の相棒というかなんというか……まあそんなもんだ」 「葉月の『自称保護者』ね。 じゃあ私と同じということかしら」 おばあちゃんが訝しげに言うと彼は苦笑した。 自称保護者って……変なの。 心の奥で疑念がさわさわとざわめく。 なぜかそれに反論したくなるが、「嘘つき」と言えるだけの記憶があたしにはない。 ――すっきり、しない。
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