もうちょっと

 どうしてこんな状態になってしまったのか、とリナは石のように硬直しながらガウリイの腕の中で考えた。
 冷静になろうと試みるが、ベッドの上できつく抱きしめられたままではうまく頭がまわらない。やたら熱いのは着ているパジャマや毛布の効果か、彼の体温のせいか……やはり、自身が火照っているからか。


 たしか――たしか、部屋が一部屋しか取れなかったのだ。

 最近、二人きりになると妙にそわそわしたり、こわばった顔をするようになったガウリイのために準備した寝酒がいけなかったのか。いや、酔うほど飲んでないはずだし、間近な彼の呼気も酒臭いものではない。
 「床で寝る」と言い張るガウリイを「端っこで寝ればいいでしょ!」と無理矢理ベッドに上げたのがまずかった? ――確かに広いベッドではないけれど部屋には他に横になれるようなものはないし、やっと野宿生活から解放されたというのに硬い床にガウリイ一人を寝かせるのは忍びなかったのだ。同室で寝るなんてこれまでにもあったことだ。それに数え切れないくらい野宿をしているので、互いの寝顔ももう見慣れている。

 だから、同じベッドで寝てもなんてことないと――リナはそう思おうとしていたのに。

 ガウリイに背を向けて「おやすみ」と言い、まだ頭は冴えているのに目をぎゅっと瞑り、互いに深い寝息を装って。そこまでは大丈夫だった。そのまましばらくしたら、いつしか眠りに落ちて、朝起きればいつものようにだらしなく欠伸をする自称保護者の姿を見れただろう。
 だがリナはいつまでたっても眠ることが出来なかった。そしてぴりぴりとした、部屋に漂う緊張感に耐え切れず、寝返りを打ってしまったのだ。
 ほんのちょっと、ころっと転がっただけだというのにその先にはガウリイの手があった。微かに触れた感触に驚いてびくりとすると――次の瞬間、抗えない勢いで彼の腕の中に引き込まれていた。
 二人の間にあった、短くも深いはずの距離が一瞬で消えて無くなってしまったのだ。





 あまりに驚くと声も出ないものらしい。
 体を硬くしたリナは身内の鼓動が早まるのを聞く。どくどくと、頭の中で鐘を鳴らしているかのように脈がうるさく響いているのに、部屋の中はしいんと静まりかえり、ガウリイの沈黙がなぜか怖い。

 それに、パジャマはこんなに薄いものだっただろうか――やたら体が触れている箇所が熱い。二人を隔てているものが薄絹一枚のように感じられて、リナはその間近すぎる熱と肉の感覚にうろたえた。翔封界を使う時などガウリイと引っ付く機会はこれまでにもあったのに、その時どうだったのか、ちっとも思い出せない。

「ちょ、ちょっと!」

 背に回された手がゆっくり動き、リナはやっと抵抗しだした。腕を彼の胸板に当てて思いっきりつっぱねようとしたが、先に読まれていたらしい。また有無を言わさずぎゅうと抱き込まれる。
 リナの喉から、戦いのさなかにも出したことのないような引き攣れた声が出た。

「ガ、ウリイ!」

「……いやか?」

 いやもなにも。
 耳元で優しく問われても許容はできない。
 手をガウリイの顎に当て、リナはその顔をぐりっとむこうへ押しのけた。

「い、いきなり、なんなのよっ!」

「……やっぱりそういうつもりじゃなかったか……」

「なに考えてんの!
 部屋が、一つしかなかったんだから、しょうがないじゃない!」

 『何か』を期待していたらしいガウリイの発言にリナは心底驚いた。これまでの自分たちの関係でどうやったらそんな色気のある展開を期待できたのだろう。その思考回路がまったく理解できない。そもそも自分は対象外ではなかったか。一人で盛り上がられても、こちらは(まだ)被保護者のつもりなのだから、この拒絶はごく当然のものである。

「そうか……やっぱそうかー」

 あからさまにがっかりした声でつぶやき、ガウリイが溜息をついた。
 ここで諦めて解放してくれるだろうとリナは思ったが――体に回される逞しい腕は未だ緩まない。

「……ねえ、やだってば!
 離して」

「あとちょっとだけ」

 言って、ガウリイの手が体のあちこちを触れ回ってきたのでリナは今度こそじたばたと暴れた。蹴ってどつけば退くだろう、と手足に力を込めるが、ガウリイは離れなかった。軽く圧し掛かられるだけでリナの体の動かせる範囲はほんの僅かになってしまう。腰をきつく抱かれると密着して、動こうにも動けない。

「も、やめ……」

「……リナ」

 抱きつぶされそうな力と熱さが苦しくて、堪えた吐息が漏れる。絶えないガウリイの呟きをどこか遠くに聞いていたリナは、びくりと体を震わせた。パジャマの裾から、そろそろと彼の手が忍び込もうとしている。

「いやっ!」

「だめか?」

「だめ、だめ、絶っ対だめっっ!」

 手を払い、必死になってパジャマの裾を引き下げる。
 暗い中でもガウリイの強請ってくる視線がわかったが、犬のように無垢に見つめられてもそこに下心がないわけがなく、あちこち触られても素肌だけは死守しようとリナは固く決意した。流されて許すにはあまりに急すぎるし、リナにはそういう覚悟がかけらもなかったのだから。

「……じゃあ、着たままならいいか?」

 せめて、と布越しにリナの体にガウリイの無骨な手が這った。髪や体を撫でさするその手は優しいが、こうも密着していると死にそうなほど恥ずかしい。

「がっ……ガウリイ、の、馬鹿っ。なんで、こんな……やらしい……」

「リナの体、熱くて柔らかいな」

「や……」

 時折額に唇を落としてくるガウリイから顔を逸らし、いやいやと頭を振ると彼の胸元に擦り寄るようになってしまう。
 互いの体が熱く圧迫が息苦しく、眩暈がする。もし裸になって体を重ねたとしたら自分はどうなってしまうのか、リナには想像もつかなかった。

「あっ!?」

 ぎしりとベッドが音を立てる。ガウリイがリナの片足を抱え上げ、足を絡ませてきたのだ。硬直するリナの膝裏を持って体をますます引き寄せる。思わぬ彼の行動に、喉が干上がった。

「……大丈夫、これ以上はしないから」

 今夜は、と但しを加えてガウリイはリナの耳を舐めた。行動は強引なはずなのにリナの名を呼ぶ囁きは穏やかで、這う手は羽毛を撫でるように優しく、リナの抵抗する気力を奪っていく。

「……んっ……ぅ……」

 苦しさに零しているはずの吐息にいつの間にか甘さが混じっている気がして、誤魔化したいリナはガウリイの肩に顔を埋めた。吐息を堪えると喉がくっと鳴る。ガウリイのパジャマを掴んだリナの手に力がこもる。
 ――どこかぞくぞくとした感覚が背筋を駆けた。

 その時、ぱっとガウリイの腕から力が抜ける。

「……?」

「……ありがとな、リナ」

 見上げたリナの額に自分の額をこつりと当て、ガウリイは下心なぞ欠片もないかのように微笑んでくる。雰囲気が日常の彼に戻っていて、ぽんぽんとリナの頭を撫でるこのしぐさも、慣れたいつもの彼のものだった。

「ガウリイ……?」

「も、ここらでやめとく。
 その……リナもこれ以上は困るだろ」

 またベッドの端に戻ろうと体を離すガウリイに、リナは思わず――腕を伸ばし、彼のパジャマをしっかと握り締めて引き止めていた。

「リナ?」

 顔を近くに寄せないと聞こえないほどの小声で、リナは言う。

「あっ、あの、ね……もうちょっと、ぎゅってしてて」

「……へ?」

「……ぎゅって。今の」

「…………は?」

 強請りをそれ以上言うことが出来ず、リナは目を伏せた。しかしパジャマを握り締める力は緩まない。むしろ、ガウリイを逃さないように自ら脚を彼の腰に乗せて絡めた。
 驚くガウリイをぎっと睨む。

「やめないで、もうちょっとしてって言ってんのよ!」

「……え~っと。それってパジャマのまま?
 脱がすのとかは……」

「絶対ダメ」

「それ、オレにとって、ものすごく忍耐が必要なことってわかってるか……?」

「わ、わかってるわよ!
 これ以上は絶対だめだけど、でももうちょっとして欲しいの!」

 予想外のリナの我侭にガウリイは心底困った顔をする。それでも、ゆったりとリナを抱きしめて身体をそっと揺らした。リナの口から吐息が漏れる。ガウリイに縋って広い背に腕を回す。

「オレを眠らせないつもりか」

「……もともと眠れなかったでしょ」

 密やかに言ってガウリイのパジャマをぎゅうと引っ張る。彼の苦笑交じりの吐息がくすぐったくて、リナは身を竦めながら微かに笑った。

■ 終 ■
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