積み上げられた本の山。その側に旅の荷物、防具や装備、備え付けの小さなテーブルには水差しとナッツの入った皿。
あたしは椅子に座ったり、行儀悪く床に本を広げたり、ベッドに顎を乗せて視線の先に本を広げたりしながら――読んでいた。
読書にどうも身が入らないのは、行き詰まっているからである。
ベッドに寝転ぶガウリイがナッツを一粒取って口に放り込み、もぐもぐ食べる。
「お前さんにしては、集中してないよな。図書館じゃ頭に入らないっつって宿に持ち出しまでしてきたし」
「そうなのよねー」
この土地出自の魔道士が精霊魔術研究の第一人者だったそうで、図書館にもいい資料が揃っていた。常日頃からの研究と研鑽は、あたしみたいな向上心あふれる魔道士には欠かせない。新たな発見を得ることは呪文の威力アップやアレンジ開発にも繋がるのだ。
――しかし。この本を書いた魔道士の説く理論は少し変わっていて、物理学的というか、言ってることがあまりにも小難しい。
「んむむむむ……」
理解できない部分があれば、関連書物や辞典などを引いて調べている。
でもうっすらと「こういうことが言いたいんだろうな」と分かる程度で、完璧には掴めない。
「あーもう……とにかく最後まで読めば、ぼんやりとでも全容が掴めてくるのかしら……」
あたしはぶつぶつと声に出してカオスワーズを読み上げる。特にこの辺がわかんないのよね……。
「なあリナ、今読んでるとこって風の話か?」
「はあっ!? ガウリイ、カオスワーズわかるの!?」
「いや、わかんねーよ」
苦笑して、ナッツをもう一粒。
「いつもリナの呪文聞いてるだろ? それで、今のはなんとなく風の呪文使うときの響きと似てるなーって」
「え……ええええ……」
突然のことにあっけに取られる。
ガウリイの指摘したとおり、あたしはちょうど風に関する理論をカオスワーズで音読していたのだ。ガウリイはカオスワーズなんてこれっぽっちも知らないのに、あたしの側でたまに聞いていた程度で理解できるようになったっての?
「じゃ、じゃあ……これってどういう呪文かわかる?」
魔力は集めず、ただカオスワーズを諳んじる。
「あーそれは、なんか爆発しそうだ」
「……あたり。火系統の呪文よ」
続けてクイズのように次々と諳んじれば、ガウリイは「いい雰囲気で治るやつ」「眠くなるやつ」「おどろおどろしい。魔族に呼びかけてる感じがするなー」などと言い、どんどん当てていく。
けっこお記憶力いいじゃん……。
あたしの発動する呪文がどういう系統にあるか――それを瞬時に察知することは、ガウリイ自身の戦闘、ひいては命にも関わること。危ない橋を数えきれないくらい渡ってきたあたしたちである。ガウリイは戦闘であたしの挙動を見るうちに自然に覚えていったのだろう。
教えたわけでもないのに。
門前の小僧習わぬなんとやらである。
きっとガウリイには、紙ベースで『学習』として覚えさせようとしても無理だったろう。戦闘時や治癒など、身をもって『体験』することで体感的に習得している。
……そっか。意味わかんない内容を目で追って読んでいくより、アプローチを変えて耳から入らせると、また違う感じで受けとめることができるかも?
「ね、ガウリイ」
「んん?」
「あたしも誰かが本を読んでるのをそばで聞いてみたい。そしたらちょっとは理解が進むかも。だからガウリイ、これ読んで」
優しく細められていた目が、驚きにだんだん丸くなる。
「何いってんだ!? オレこんな難しい本読んだことねーし、カオスなんとかってのは読むことすらできないぞ!」
「カオスワーズで書かれてるところは飛ばしていいから! ね、読んでっあたしのために!」
「無理だ!」
「よーんーでー!」
ガウリイにごり押ししながら、かすかな既視感が浮かんでくる。
なんだか懐かしい。
あ、これ――まだあたしが小さい頃、姉ちゃんや両親に絵本を読んでと、そりゃもうしつこくせがんでいたときの感覚と一緒だわ。
絵本がばらばらになってしまうまで繰り返し読ませるんで、辟易した家族が字の読み方を教えてくれたんだった。そして、絵本から小説や辞書、辞典を読むようになって、魔道の専門書にいきついて――
「……あたし、研究のためってよりは、誰かがあたしに『読んでくれてる』声がききたいのかも」
懐かしい、遠い記憶に少しばかりぼんやりする。
そんなあたしを見てガウリイが息を吐き、広げっぱなしの本を大きな手で引き寄せた。
「……カオスぬんたらと読めない単語は飛ばすからな」
「読んでくれる?」
ガウリイはもたもたと、でもしっかりした声で音読を始めた。
少しも聞き漏らさないように、あたしはぴったりくっついてそして目を閉じる。
肩にもたれると体からガウリイの声音が伝わり、歌のようにあたしの中に響いてきた。
■ 終 ■