想いでのあの子

 少年は一人で見知らぬ街をぶらぶら歩いていた。
「やっぱり……来なきゃよかったなあ」
 旅の道中、こうして後悔するのはもう何回目になるだろう。

 少年――ガウリイは祖母に連れられて旅行に来ていた。別に、自分は旅行がしたかったわけじゃない。祖母が彼を強引に婦人会主催のツアー参加者に入れてしまったのだ。「旅費は安いから」とガウリイの両親を説得し、「一度でいいから孫と旅行がしたいの!」と涙目で頼まれ、仕方なく来てみれば参加者は自分以外にはほぼマダム(『おばあさん』と口にしたら叱られる)しかいない。
 なかば引き摺るようにして連れてこられ、便利な荷物持ちとして祖母に同行しているが、まさかこんな国外にまで連れてこられる羽目になるとは。

 今、ご婦人がたは工芸館で装飾品や日用雑貨を見て回っている。そういったものに興味のないガウリイは「そのへん見てくる」と言って街なかを時間つぶしに散歩していた。観光客向けのあれこれよりも、日常のなんてことない建物やお店を見ているほうが面白かった。ここらの人たちの服装も、自分の着ているひらひらした服とは違っている。こうして一人でいると浮いて見えるかもしれないが、ガウリイは別段気にもせずきょろきょろと見物を続けた。

 ……なんだろう?
 幼い子供らの集団にガウリイは目を止める。
 5、6歳だろうか。数人が集まり、取り囲んで何か騒いでいる。
「楽しそうな雰囲気じゃあないな」
 そこに近寄ったガウリイは眉間に皺を寄せた。
 中心にいるのは一人の女の子だった。そこに男の子が集団でよってたかって暴言を吐いている。この年齢特有の、怖い物知らずで大人の真似をした偉そうな口調で――ひとりの女の子に複数で威圧的な態度をしていた。

「おまえ、本ばっかりよんでナマイキなんだよ!」
「ねえちゃんが強いからっていばってんじゃねえぞ」
「おまえなんかちーっともかわいくねえ!」
「ちんちくりんで髪くるくるのくせに」
 暴言を吐く子らよりも背の小さい女の子は、俯いてじっと耐えている。
「なにかいってみろよ!」
 男の子が女の子の肩をぐいと押して、その子がよろけた。

「おいっ!!」

 ガウリイは思わず怒声を上げた。
 子供らは揃って驚いた顔でガウリイに振り返る。
「お前らなにやってんだ!」
 ガウリイは輪に押し入って、女の子を集団の中から連れ出した。そして、本を抱えて俯く女の子に目線を合わせるように屈み込む。
「大丈夫か?」
「………………」
 顔を上げた女の子の大きな目には、なみなみと溢れそうな涙が浮かんでいた。
「……なんだ、かわいいじゃないか。ははあん、さては」
 気まずそうにしているいじめっ子どもをじろりと見回す。
「おまえら、この子の気をひきたくてわざと悪口言ってるんだな? そんなことしても嫌われるだけだぞ」
 口調は静かだが、ガウリイの潜む怒気を察知してか子供らは押し黙る。
「女の子には優しくしろって教わらなかったのか?」
「おれたちは……そいつが、なまいきだから」
「言い訳はなしだ。とにかく、女の子を泣かせるんじゃない!」

 言ってガウリイは彼らに背を向け、女の子の手を引いた。剣だこで硬くなっている自分の手のひらと違って、その小さい手はふにゃっとしていた。
「家は近くか? 送るよ」
 女の子は静かに頷いて、ガウリイに促されるままに歩き出す。
 ちらりと振り返ると、いじめっ子たちはさっきの勢いはどこへやら、しゅんとした様子で自分たちをただ見送っていた。通りすがりの旅行客である自分はずっとこの女の子を守るわけにもいかないし、彼らが「いじめて女の子の気をひく」なんて行為がいかに卑怯か、これでしっかり気付いて反省して欲しい。
「お前さんも、もっと言い返さないと――」
 ガウリイが見下ろしながら言う。
 しかし緊張が解けたせいか、その子の目からとうとう涙が落ちていく。
「あ、ああ……えっと、何かふくもの……」
 ごそごそと自分のポケットを探ってみれば、祖母から持たされたいかにもマダムの所持品っぽい刺繍付きのハンカチが出てきた。ちょうどいい、とそれを女の子に手渡して涙を拭かせる。
「泣くな。簡単に涙は見せちゃいけない」
 ――これも以前に祖母から言われた言葉だが、女の子に言うはあまりふさわしくない言葉だったかもしれない。

「……さっき、あたしのこと」
「へ?」
 女の子の声を初めて聞いた。
 手を引き引き見下ろすガウリイに、女の子が小さくきいてくる。
「あたしって、かわいいの?」
「うん、かわいいぞ」
 間髪入れずに言うと、女の子は目を丸くしてびっくりした。
「ほんと……? いつも、ぶすとか、かわいくないって、言われてて……あたしのおうちのひとが『かわいい』って言うの、あたしがぶすでかわいそうだからそう言ってるのかと思ってた」
「ほんとにかわいいと思うぞ? からかってたあいつらの文句は信じるな。逆のこと言ってるんだよ」
 言って、ガウリイは女の子の頭におそるおそる触れてみた。
「うわ、ふわふわ」
 柔らかい髪の毛の頭をぽんぽんと撫でてやる。
「髪も触り心地いいし、きれいだし。お前さんはもっと自信持っていい」
「ほんと?」
「ほんとほんと。お前さんは美少女だよ」
 照れたように笑う女の子を見て、正真正銘の美少女じゃないかとガウリイは思った。
「それに――こんなに小さいのに、そんな分厚くて難しそうな本を読めるなんてすごい!」
「本……すきなの」
「そんなの読んだら三行で寝ちまうよ。お前さん天才だな」
「……天才?」
「言われたことないか? その年齢でこんな難しい本読んでる子なんて他に知らない」
「天才かなあ?」
「天才だ!」
「じゃああたし、美少女で天才?」
「美少女で天才! 間違いない!」

 喜ぶ女の子の笑顔は、もう泣いていた時とは別人のようにきらきらと輝いて見えた。
 二人でしばらく歩き「ここがおうち」と言われたガウリイは商店の前で女の子と別れる。ばいばいと元気よく手を振る女の子に、ガウリイは大丈夫そうだと安堵した。
 ――きっと、あの子は強くなる。
「さて、オレもばあちゃんのとこに戻らないと。あっ、ハンカチ! ……ま、いいか」


*****


「――でね、全然見ず知らずの人があたしを励ましてくれたのがきっかけで、活発な性格になったらしいの。あたしも幼かったからあまり覚えてないんだけど」
「へえ~」
 相づちを打ってガウリイは飲みかけのカップをテーブルに置いた。
 しばし、考え――
「じゃあその人のせいでリナはこんな自信過剰な性格になったわけだな」
「せい、とは何よ! あたしの恩人にむかって!」
 そう言ったあと、リナはテラス席から街の雑踏へ目を向ける。
「今頃、どこでどうしてるかなあ……あのかっこよくて綺麗なおねえちゃん……」
 何か微妙にひっかかるものを感じたガウリイは首を傾げた。
「どうしたの?」
「……なんだろ……何か言おうとして忘れたような、そんなもやっとした気分がして」
「いつものことじゃない」
「そうだな」
 重要なことならそのうち思い出すだろう。
 ガウリイは残った紅茶を飲み干した。
 ゼフィーリアまで、あともう少し――

■ 終 ■



ガウリイはすっっかり忘れてます。
ハンカチを見たら思い出せるかもしれない…
元ネタは白鳥麗子だよ!
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