お前さんの名は聞きなれないアラームがどこからか聞こえてくる。眠りの底から引き起こされ、ガウリイは唸った。 こんな音、自分のスマホにあっただろうか。 よくわからないでいるうちにアラームらしき音はぴたりと鳴りやんだ。外からの音だったかもしれない。 うっすらと目を開ける。見慣れた自分の部屋の天井だけれども―― 「……いてて……なんでソファで寝てんだ?」 全身の入らないソファで横になっている。縮こまって寝ていたせいで体のあちこちがみしみしと軋んだ。 「ふぁ〜」 立ちながら伸びをして、霞む目で毛布のこんもりとしたベッドをちらりと見た。そこで寝ておけばもっとすがすがしい朝を迎えることができただろうに。 「……シャワーでも浴びるか」 バスルームに向かいながら服を脱いでいくと、突然、背後から甲高い叫び声が上がった。 「ちょっとお! レディーの前で裸になんないでよ!」 「えっ!? あ? はああ? すすすいません!?」 驚いて振り返ると、自分のベッドには上半身を起こした女の子がいた。さっきから毛布が少し盛り上がってるなと思ってはいたが、実は人が寝ていたらしい。 栗色の髪をしたその女の子は、顔を少し赤くしながら半裸のガウリイをにらみつけている。まだ幼い雰囲気がある。高校生くらいだろうか。 「風呂場で脱げっ」 「はいっ!」 その剣幕に呑まれ、ガウリイは慌ててバスルームに逃げ込んだ。 「なんだ? 誰だ、あの子……?」 昨夜の記憶は――悪友に連れられて居酒屋に行ったところまでしか覚えてない。自分は、どうやら飲みすぎると記憶がすっぽ抜けてしまうらしいのだ。 酔っぱらって店頭ののぼり旗やカラーコーンを持って帰ることはあっても、一度として生き物を持ち帰ったことはなかったのに――家出少女っぽいのを連れ込んでしまうなんて。一生の不覚。 もう酒は抜けているはずだが、この後の展開を考えると頭が重くなってくる。 一人で呻いていると、こつこつと扉が軽くノックされた。 「ねえ、冷蔵庫にあるもの食べていい?」 「あ? あ、はい、どうぞ……」 「ガウリイのも少し準備しておくわね」 冷蔵庫には賞味期限の怪しい食パンと卵くらいしかなかった気がする。とにかく、名前も思い出せない女の子に部屋のあちこちを触られるのはいい気がしない。ガウリイは急いでシャワーを浴びた。 「あら、早いのね。今できたところ」 (か、彼シャツ……) キッチンスペースから振り返る女の子は、ガウリイの上着をパジャマ代わりにしていたらしい。だぼだぼの袖は折り曲げ、シャツの下からはすらっとした素足が伸びていた。意識させないよう視線をそらしつつ、おずおずと話かける。 「あ、あの……たいした材料もなかったと思いますが」 「なにかしこまった言い方してんのよ?」 女の子が狭いテーブルに皿を並べていく。出来立てのホットサンドが山盛りに重ねられていた。 「へ!? こんなに食材あったっけ?」 「冷凍庫見てみたら、ちょっぴり賞味期限切れてたけどハムとかチーズもあったし。棚に入ってたツナ缶も使わせてもらったわよ」 「すごいな……」 しなびかけの食パンと、いつ買って、なぜ冷凍庫に放り込んだかも覚えてない食材を使ってこんなにうまそうなホットサンドを作ったらしい。ガウリイは素直に感心した。 「お腹すいちゃった。早く食べましょ」 「いただきます――うまいっ!?」 「でしょ?」 ガウリイに笑い返してくる女の子に少し見惚れていると、そっと皿がガウリイから遠ざけられる。そして女の子はもりもりと恐るべき勢いでホットサンドを食べ始めたのだった。 「ちょっ……食べすぎじゃねーか!」 「あたしの作った朝食だし! ガウリイの分がおまけなの!」 アグレッシブにホットサンドを平らげていく姿にはわずかに見覚えがあるような気もするが――やはり、はっきりとは思い出せない。皿がからになって一息ついたころ、ガウリイは申し訳ないと頭を下げた。 「どうしたの?」 「その、実は……オレ、飲みすぎると記憶をなくすらしくって。お前さんの名前も、なんでうちに連れてきたかも覚えてないんだ」 「え、ええっ!?」 「オレにできる詫びなら、どんなことでも……」 「ほんとーに覚えてないの?」 「お、おう」 「昨夜、あたしと何をしたかも?」 「……覚えてない」 「そう……覚えてないんだ」 話を聞いて、女の子は深刻な顔をして項垂れた。 「昨夜のガウリイ、すごかったわ」 「へっ……すごっ……!?」 「飲み屋街でしつこくからんできた柄の悪い連中を、あたしとでぼっこぼこにしてやったのよ。ガウリイは後ろも見ないで回し蹴りをヒットさせてたわ。あれのコツを教えてもらおうと思ったのに」 「――紛らわしい言い方するんじゃないっ」 「なんで涙目になってるのよ? まあ、昨夜のことを覚えてないのは残念だけど、あなたそーとー飲んでたもんね。仕方ないわ」 どうやら彼女とは飲み屋街で出会って一緒に飲み食いし、ちょっとばかり大立ち回りをし、自分の部屋に連れて帰り、ただベッドを貸してあげただけらしい。 この部屋では『何事』もなかったようで、ガウリイは安堵した。 もう帰るという彼女を、狭い玄関で見送る。 「そもそもお前さんいくつなんだ?」 「18よ。大学生。本当に覚えてないのね」 「すまん……あの、そんで、お前さんの名前は」 呆れ顔の後、苦笑交じりに教えてくれる。 「あたしの名前はね、リナ。もう忘れちゃダメよ?」 「リナ……えっと、あの、お前さんの連絡先も」 申し訳なさげにスマホをおずおずと差し出すガウリイを見て、リナは吹き出した。 「とっくに登録されてるわよ」 「へ?」 それから、ちょいちょいと手招きされる。彼女が何か囁く。聞こえないとガウリイが耳を寄せたとたん、ぐいと引き寄せられた。頬にぷちゅっと柔らかい感触。 「また連絡するわ。じゃあね!」 朝日を背景に眩しい笑顔を見せて、リナは出ていく。 「へ、え? はああ?」 頬を押さえてガウリイは呆然とした。 昨夜、やっぱり何かあったのだろうか――覚えてない自分を恨みたくなる。 「いつから始まったんだ?」 その場にずるずると座り込んで、始点のわからない恋心にガウリイは溜息をついた。 ■ 終 ■ TOP
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