ああっガウリイさまっ

「うああああぁぁぁぁぁっ!?なんでこんな時に固まるのよーっ!!」


リナの叫びが自室に響く。
机のパソコンはいつもと変わらずに文書ソフトを表示していた。
しかし……リナがどんなにマウスを動かしキーボードを押しまくっても、無情にも画面のカーソルはうんともすんとも言わなかった。


「あああああーっ!もうちょっとでレポート完成だったのにー!!」


下書きの段階のレポートなら保存しているが、今書いていた完成間近のレポートは保存していない。なんてことない漢字変換でパソコンが固まってしまったのだ。
このままでは再起動をするしかないだろう。
そうとなれば失った文章はかつてないほどの良い出来だったような気がしてくる。
もう二度とあの完成度のレポートは書けないかもしれない、とリナは思った。


「もーいぃっ!こんなの後回し!ご飯食べてやるー!!」


ストレス解消はやけ食いすることに決定した。
リナは固まったパソコンをそのままにして黒電話の受話器を取る。


「牛丼、天丼、親子丼、中華丼、カツ丼……どれにしようか。
 ええい、全部注文してやるー!」


レポート提出は明日だ。
自分で作る暇はないと判断し、リナはなじみの店に出前を頼むことにした。
いつも利用しているこの店ならば、いまさらリナの注文にも動じない。


じーころころころ……。


リナの部屋に備えている電話は今時レトロな黒電話。
普通の連絡は携帯ですむのだから、部屋の電話なんて黒電話で充分とリナは考えている。

しかし。
リナは書きかけのレポートを失った怒りと、なじみの店へかけているという慢心でダイヤルを回す手が狂ってしまったことに気付かなかった。


「もしもし。4丁目のインバースですけど」

『おうっ“お助け女神事務所”だぞっ』

「え?ありゃ、間違えちゃった」


電話の向こうから男性の低い声がする。
抑揚のある、低くても澄んだ声でずっと聴いていたいような美声だった。
しかしそんなことを考えている場合ではなくて、間違い電話を詫びなければ。
リナが言う前に、電話の向こうの男性が続けて言った。


『あ、希望はそっちで聞くから。ちょっと待ってろ』

「なっ、なにいってんの、ちょっと……」


まるで自宅まで来るような言い方に不信感を持つ。
そもそも「女神事務所」と言っているのに男が出てくるのがおかしい。
何か変なテレクラにでもかけてしまったのだろうか。


「こんばんは」


それは唐突に。
電話をかけているリナの、すぐ側にある姿見からいきなり――まるでそこに窓でもあるかのように、男性が上半身を乗り出してきたのだ!


「!!!!!!!」

「お前さんの望みはなんだ?」


受話器を抱え口をぱくぱくとさせているリナの眼前で彼は鏡の内側から姿見の枠に手をかけた。リナの全身を映すには調度いい姿見だが、彼は窮屈そうに鏡の中から大きい体を捩り出す。


「よっこらせっと」


鏡からやっと抜き出ると、長い金髪がさらりと流れた。
急に出現した男はリナの部屋がひとまわり小さくなってしまったかのように錯覚するほど身長が高い。そして……その顔は今まで見たことがないほどに眉目秀麗であった。彼の両の目じりには幾何学模様のような飾りが付いていて、青い瞳をさらに印象づけている。額にも同じような飾りがあった。
服装は博識なリナすらどこのものかわからない民族衣装風だが、デザインは決して古くさいものではない。むしろファッションショーなどで着られていそうなほどに生地や飾りがとても綺麗で美しかった。ある意味、現実離れしているほどに。
ただコスプレをしているにしては豪華すぎる。

出てくる時に窮屈だったせいか、彼は首や肩をこきこきと鳴らす。
それから呆然とこっちを見ているリナに片手をしゅたっと上げた。


「よっ!」

「な……なななな……」

「あ、自己紹介が遅れたな」


リナに正面から向き直り、懐からぴっと名刺を取り出した。


「オレは一級神二種非限定免許取得神のガウリイ=ガブリエフ。
 『お助け女神事務所』でいつもはシステム業務とかしてるんだけど、今日はたまたま女神がみ~んな出払っちまっててさ、人手が足りなくてオレも駆り出されたってわけ」

「で、か、神様がなんでウチにくるのよっ!」


リナは唐突な状況が信じられずにぷるぷる震える手で名刺を受け取った。


「オレたち、困っている人を救済するのが仕事なんだ」

「……救済?」

「そう。お前さんの願い事をかなえてやる。ただし一つだけに限るけどな」


いきなり鏡の中から出てきた自称神サマ。
しかも願い事を一つだけかなえてくれるという。
ついていけない展開にリナは眩暈を覚えた。
現実離れしているのは自分のねーちゃんだけで十分だというのに!


「……ほんっと~に何でもかなえてくれるの?」

「おう。何でもいいぞ~」

「何でもって……あたしが世界の破滅とか望んだらどうするのよ」

「そんなことを望むような奴の所には行かないさ。
 オレだってそれくらいの見分けはつく」


屈託なく笑ってガウリイはリナに願い事を考えてみろよ、と促した。
今までお目にかかったことがないと断言できるほどの美男子に微笑みかけられ、リナは少しだけ頬を赤くした。んん、と咳をして腕を組み、リナは思案しはじめる。


「んと、ん~~と……じゃ願い事を百個にして!ってのはどう?」

「そういうズルはなし。一つだけって言っただろ?」

「え~!」

「本当に自分が心の底から望む事を、一つだけ探してみろよ」

「一つだけって……急に言われてもねぇ」

「ほら、例えば」


ガウリイの視線がリナの顔よりも下に下がる。


「……もうちょっと胸が欲しい、とか」

「余計なお世話じゃああ!ボケぇぇえええ!!」


すぱあああぁんとリナのスリッパアタックが炸裂する。
痛みに頭を抱えてうずくまるガウリイを尻目に、再びリナは考え込んだ。


  あたしの願い、望み、欲しい物……?
  やっぱりお金?
  いやいや、お金は働けば手に入る。
  確かに学生の身である今はそんなにお金は持っていないが、
  卒業し社会に出たら人並み以上に稼げる自信はある。

  だから……苦労しても努力してもこの手に入りにくいものを。


ぐるぐるとリナの思考は渦巻く。
ガウリイはそんな彼女を面白そうに見ていた。


「何見てるのよっ」

「いや、面白いなぁと思って」


考えていることがすぐわかってしまうような、くるくるとよく変わる表情をガウリイは楽しんでいた。
ガウリイには一級神として相手の心の機微を感じ取れる能力が備わっているが、天上界でもこんなに心の色が――魂が輝いている者はなかなかいない。
このまま彼女をずっと見てたい衝動にかられる。


「――ま、ゆっくり考えろよ。すぐに決めなくてもいいから」

「うぅ~ん……」


そうだ、彼女が決めあぐねている分オレはそばにいれるじゃないかとガウリイは喜ぶ。
ガウリイとってのその「良い考え」は職務怠慢になってしまうのだが、わくわくと彼女を観察する彼にとって仕事はどうでもいいことになってきた。

天上界は永遠に何も変わらずおだやかな日々が続くだけ。
それもまあいいがたいくつだとガウリイは飽きてきていた。
そんな中、人手不足だと臨時に外回りにあてられ、そしてきらきらと煌く魂を持つ彼女にめぐり逢った。事務所に電話が繋がったのが彼女の幸運なのかそれとも自分の幸運なのかとガウリイは思う。


「あ~……う~ん~……」


相変わらずリナは頭を抱えて悩んでいる。
そんな彼女をくすりと笑い、ガウリイはふと側にあった机のパソコンを見た。


「……あれ?これ固まってないか?」

「わかる?全然動かなくなっちゃったのよ!レポート書きかけだったってのに!!」

「ふうん」


パソコンの本体やモニターに、まるで手のひらから何かを読み取るように触れる。


「システム業務だから、こういうの気になるんだよな」

「……神さまのシステム業務ってむちゃくちゃ違和感あるわね」

「そーか?……よし、このパソコンは特別サービスな」


おもむろにガウリイがすっと表情を変える。
そして朗々と耳にもやさしい言葉を紡いだ。


「我の名はガウリイ=ガブリエフ――」


パソコンに手をかざし、本来の働きするように呼びかける。
手から淡い光が球状に満ちて室内をほのかに照らした。指の間から洩れる光に照らされる、彼の端整な横顔にリナはその光が収まっても見蕩れていた。


「――おう、これでこいつはもう大丈夫だ♪」

「……は?」


ぼーっとしていた意識をはっと取り戻し、何が大丈夫なのかとパソコンに向かう。


「あ、ああっ!レポートの内容がそのまま残ってるーっ!!」

「固まっちまう前の状態に戻したんだ。その他の不調なところも直したり整頓したりしたから、固まることはしばらくないな」

「やったーっ!!これでまた書き直さなくてすむのね!ありがとう!!」


ガウリイの両手を握り、ぶんぶんと上下に振り回して大喜びする。ガウリイはちょっと照れた笑いを浮かべながらこの程度のことでこんなに喜んでもらえるならずっとそばにいてあげたい……と保護欲をそそられていた。自分の手を包む小さな柔らかいリナの手をやたらと意識してしまう。


「あっ、そうだ!!」


そんなガウリイの手をぽいっと放り出し、リナがぐっと拳を握る。


「あたし、願い事決めたわ!」

「え、ええええっ!?」

「何よその不服そうな顔は!?願い事を決めちゃいけないの?」

「いや、そんなわけじゃないんだが……」


願い事をかなえてしまったらお前さんとはそれきりになってしまうじゃないか、とガウリイは肩を落としてがっかりする。


「……本当にお前さんがその願い事でいいんだったら」

「あたしの願い事はね……」


リナの瞳がきらりと輝き、うっすらと紅潮した頬がガウリイを惹きつけた。
女神さえも霞むようなまぶしさにガウリイは圧倒される。


「あんたのような便利なアイテムに『ずっとそばにいてほしい』!!」

「!?」

「……っていうのはダメよねえやっぱり」


うってかわり、冗談よとガウリイに背を向けてリナは再び考え込む。ドラ○もんがそばにいるような便利な生活を夢見たのだが、願い事を百個にしてと言った時のようにあっさり却下されると思っていた。その予定だったのだ。しかし、刹那――。


ぶううううん


――リナの背後で奇妙な音がたち始める。


「は!?」


振り返ったリナが見たのは。
ぶうううんと音を、そして全身からは光を放つガウリイの姿だった。
彼の眼は虚空を見据え、額の飾りとおぼしきものが特に激しく光っている。


「ちょ、ちょっと!?」


額の光が一層大きく強くなる。
眩しさに目が眩んできたところで、いきなり雷のように一条の光が走った。


バキ――ン!


「わっきゃぁぁああ!」


額の光が天井をうがつ。
空と額が光で結ばれたガウリイを中心として、室内に嵐のような風が吹き荒れる。


「にょわぁあああ!!ちょっと待ってー!」


竜巻の中心にいるガウリイには何も聞こえていないようだった。風に室内のあらゆる物が乱舞し、一緒に吹き飛ばされそうなリナは必死で机にしがみ付く。


「今のはちょっと言ってみただけなのよーっ!!」


そう大声で叫んだあたりから次第に風が弱まってきた。ごうごうと渦巻いていた風はつむじ風程度になり、舞っていた紙がはらはらと落ちてくる。そしてガウリイの額から出ていた光はすっかり収束しあたりは正常に戻った。ただし、室内は泥棒に荒らされたとしてもここまでひどくはならないだろう、というほどに滅茶苦茶になっていたが。


「な……なんなの一体……」


目をぱちくりとさせているリナはガウリイと目が合った。にぱっと彼が笑う。


「リナの願い事は受理されました。もう変更はできないぞ♪」

「そーかー受理されたのかあ。
 あたしの願い事……
 良かっ……」


リナの動きがぴたりと止まる。


「なななあっなんですってえええ!?
 ここにいてほしいってのがああ!?」

「おう、そうだぞ」

「んな無茶なー!!」

「お前さん『ずっとそばにいてほしい』って言ってたからなあ。
 これから四六時中一緒だ。よろしくな、リナ♪」

「ずっとそばって……はっ!?ずっとおぉ!?
 あ、あたしねーちゃんと同居なんだからあんたをここには置けないわよっ!!」

「えー。でも受理されちまったからなぁ。
 実は願い事の強制力って絶大で、誰も反抗できないほどなんだ。
 だから本当にずーっと一緒になると思うぞ」

「何バカなこと言ってるのよ!
 男がここにいるのをねーちゃんに見られでもしたら取り返しのつかないことに!
 ――あああなんて恐ろしいっ!!
 あんたがここにいるとあたしが困るわっ!ちょっと出てってよ!!」


どんな恐ろしいことを想像してしまったのか、リナが身震いする。
ガウリイはぽりぽりと頬を掻いた。


「その言い方はひどいなあ。自分の願い事だろ?
 ちなみに残念ながらリナにも強制力は問答無用に働いているぜ?」

「どういうこと?」

「つまりリナが願い事を否定するような発言や行動をすると、天上界から絶対に願い事に従うよう、修正がかけられるんだ。それには誰も逆らえない」

「なっ……!?」


リナは床に座るガウリイの襟首をがしっと掴む。
額がくっつくほどに詰め寄り、ガウリイに圧し掛かった。


「強制力って一体どんな!!」

「うるさいわね、リナ!なにして――」


その時、リナの部屋のドアが勢いよく開かれる。
気配さえさせずリナの部屋に不意に訪れたのは――リナの姉、ルナだった。


「………………」

「………………」

「お、もう働いてしまったみたいだぞ」


ガウリイに詰め寄るリナの体勢は、見ようによってはリナが押し倒しているように見えなくもない。間を破るようにぱらりと天井の穴からかけらが落ちてくる。


「あああああの、その、ねーちゃん!
 こっこここここれは違うのよ!」

「――リナ」

「はいぃっ!」


短く、言い訳を許さない語調の強さ。
リナは室温が一気に5度ほど下がった気がした。


「私のマンションに下宿の身で男を連れ込むとはいい度胸ね。
 大学に入るときの約束、覚えているかしら?」

「えと……学費を出してもらうかわり、謹んで勉学に励む、と……」

「そのとおり」


ルナがにっこりと微笑んだ。


「さぁ、出てってもらいましょうか」

「……へ?」

「住所が決まったら知らせなさい。荷物は餞別代りに私がまとめて送ってあげるわ」

「ねーちゃん!話をきいてぇぇえ~!!」

「な、強制力ってすごいだろ?
 イキナリ二人っきりでの生活が始められるぞ!」

「あんたは黙れ!」

「リナ、達者でね」

「ねーちゃんん!」

「ほら、早く仕度なさい。
 ……それともおしおきをくらいたいの?」


ルナの前髪の奥から瞳がぎらりと光った。一刻の猶予もないことを悟ったリナは、ほうほうのていでマンションから逃げ出すしかなかったのだった……。














「しくしくしく……なんでこんなことに」


慌てて必要な荷物を纏めたバッグを両手に、リナがマンションを見上げる。
ガウリイがリナの荷物をひょいと持った。


「んじゃオレ達の新居を探すかあ」

「あんた、のんきねえ」

「これからずっといっしょなんだもんな。
 いい所探そうぜ♪
 それに幸運の神さまがついてるんだ、なんとかなるって」

「それってガウリイのこと?」

「そうそう」

「言ってなさいよ、もう……」


言いながらも、なぜだろう、リナは悪い気がしなかった。
これから始まる新しい生活は普通じゃないかもしれない。なんてったってガウリイがそばにいるのだ。―― 多分、これからずっと。

ふとガウリイを見ると、彼もリナを見ていた。やさしい視線から顔をそむけて、リナは波瀾万丈の予感に胸をどきどきとさせた。


こうして平凡(でもないが)な女子大生のリナと、天上界からやって来たガウリイとの同棲(……しばらくは同居)生活が幕を開けたのだった。




この後、ガウリイを追って、半神半魔のガウリイの兄とかまだ未熟な弟とか高飛車な
ライバルとかが次々と転がり込んできてトラブルだらけの生活に、とゆーストーリー
は続きませんのであしからず(笑)

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