可変のモノ 5







 軽くノックをし、室内のリナの声を確認してガウリイはドアを開けた。
 ベッドの上で本を読んでいたらしいリナが顔を上げる。すっかり血色も良くなり、パジャマから普段着に着替えている彼女はもういつも通りに見えて、ほっとする。

「おかえり」

「ただいま。お土産買ってきたぞ。食欲あるか?」

「おにょっ! シナモンアップルパイにアーモンドサブレ! でかしたガウリイっ!」

 ガウリイからお土産を受け取り、リナはほくほく顔で袋の中身を取り出していった。

「『さっくりカレーパン』は売り切れてた……ゴメンな」

「……へ? う、うん。別にいいわよ」

 なにかしらしょげている様子のガウリイにリナは小首を傾げたが、目の前の菓子をまず味わうことに夢中なようだ。サブレをつまんだ指をぺろりと舐めて、ガウリイに向き直る。

「そういえばどうだった?」

「おう、行ってきたぞ。これ魔道士協会から」

「ん、どれどれ……『報告のない本日分の日当は報酬より引かせていただきます』だああ!? ぐ、ぐぐっ……あの副評議長めえっ! ケチったらないわ!」

 ガウリイから手渡された魔道士協会からの紙切れを手に、リナはわなわなと震える。
 ぐしゃっと丸めると部屋の隅にあるゴミ箱に投げ入れた。

「ガリガリに細いおっさんだったけどあれが副評議長なのか?」

「そうよ。それと禿げ上がったセクハラおやぢも副評議長。んで、樽みたいな体形してるのがここの評議長よ」

 言われて、リナの症状を詳しく聞きだそうとする副評議長たちの表情をガウリイは思い出した。適当に誤魔化しておいたが、彼らの探ろうとする態度は本当にリナのことを心配してなのか調査の進行を心配してなのか怪しいところだ。

「……アクが強そうなおっさんばかりだな」

「そーなのよ。あんな嫌味ったらしい連中とずっと研究する羽目になってたら、三日と我慢できなかったに違いないわね」

 さもありなん。短気なリナが研究室という閉塞した空間で、嫌いなタイプの連中とじっと辛抱強く日々を過ごせるわけがない。依頼がこの期間継続しているのは研究内容が森であのユニコーンと過ごすことだからだとガウリイは考えた。
 そして、そのユニコーンとのことを思い出す。

「あ、それから。森で馬にも会った」

「え、馬って……グローバに? どうして!?」

「『リナのお使い』だから会ってやるんだそうだ」

「へえ、男でも会えたなんて驚きだわ! 何か言ってた?」

「えーっと。リナに『しっかり休め』、『無茶するな』、『盗賊いぢめもほどほどにしろ』ってさ」

「……最後の、変。
 わかりやすい嘘をつくんじゃないわよ」

「ばれたか」

 むっとするリナに近寄って、ガウリイはくすりと笑いながら彼女の頭を撫でた。

「やめてよ、痛んじゃう」

「リナの髪って手触りいいよな〜」

「いちおう日ごろから手入れしてるもの――そうそう、馬の鼻ってね、撫でるとビロードみたいな感触がするのよ。知ってた?」

 グローバとのことを思い出してか、リナはふっと優しい笑みを浮かべる。

「……そんな解説ききたかねえよ。『あいつ』がオレに触らせることなんてないだろ」

 馬の手触り云々よりも、ガウリイからしてみればリナの髪を触ることができれば十分だった。するすると撫でて、今のところはガウリイにされるままじっとしている彼女を見詰める。

「なあリナ、この依頼はいつまで続くんだ?」

「ん〜、そうねえ。協会からはまだ続けてくれって言われてるし、あたしとしても楽しいし……」

「リナは、このまま……あいつの側にいたいのか?」

「……さあ?」

「さあ、って」

「わかんないわよそんなこと。そうしたいのは山々でも、いつまでもああしてられるわけじゃないのは明白だもの。
 だから、会える今が貴重とも思えるんだけどね」

「そう……だよな。ずっとってわけにはいかないよな」

 ガウリイが思うよりもリナはユニコーンとのことをさばさばと割り切っているようだった。旅の身空にある以上、出会いと別れは常にあるものだ。
 ガウリイはリナの中に占めるユニコーンの位置に安心したが――続けて言われた彼女の台詞に仰天した。

「でもそれ言ったら、グローバとガウリイだってたいした違いないわよね」

「へっ?」

「……あたしたちは『馬が合う』からこうして相棒組んでるわけだけど。それだって永遠ってわけじゃないでしょ」

 リナの、なんでもないような涼しい横顔を見てガウリイは混乱する。

 ――自分とリナの旅に「今後別れる」という選択肢を考えたことなんて、今までこれっぽっちもなかった。だというのに、どうしてリナはこうも平然としているのか。
 当たり前、当然と思っていたことがリナにとってそうではない。そのことにガウリイは衝撃を受けた。

「オレと馬を同等に考えるのか?」

「ちょっと。何をそんなに深刻な顔してんのよ。『永遠じゃない』っていう例えみたいなもので。あんたと彼が同じ、って決め付けてるわけじゃ……」

「あいつとオレじゃ、大きな違いがあるぞ!」

「違いって? グローバが賢くてガウリイがくらげ頭ってところとか?」

「そんなんじゃなくて!
 あいつはリナが処女だから好きなんだろ。オレはリナがリナだから――」

 そこまではするりと口から零れたが、続きが胸につかえてガウリイは口をぱくぱくとさせた。そんなガウリイを凝視していたリナは次第に顔を赤くする。

「あんた、知ってたのね。ユニコーンが処女にしか懐かないって……まったく、どういう対抗意識なのよ。ユニコーン相手に」

 俯いて、リナの顔を隠す髪から覗く耳や頬は赤い。
 色付く頬に目が釘付けになり、ガウリイは無意識にリナの細い肩を掴んだ。

「……オレだって、リナにすりすりしたいし」

「はあっ!?」

「あいつはすりすりしてもいいのに、オレはダメなのか?」

「違う! ユニコーンと人間は違うぅっ!」

 目の据わったガウリイにずいと迫られてリナは怖気づく。
 ここまできたら怯めない――ガウリイは願望を果たすべくぐっと顔を近づけた。

「ず、図体がでかいのはどっちも同じだけどー! ちょっ……」

 抵抗をものともせずリナの肩を抱き込み、熱い頬と頬がくっついた。そこから、やけどしそうに体の芯まで熱くなる。
 しばらくすべらかなリナの頬に頬を撫で合わせ、ガウリイは感動にひたりながらゆっくり顔を離していった。それからそっと覗き込むと、リナは突然のことにどぎまぎとしながらもガウリイを睨みつけてくる。

「ちくちくして痛い」

「剃り残しかな?」

 もっと暴れるかと思ったが、ガウリイの予想に反してリナはひたすら照れながら上目遣いに睨んでくるだけだった。

「……なんか反則だ、それ」

「何がっ!?」

 怒りで誤魔化して火照る顔を抑えようとするリナが――とても可愛らしくて、愛おしい。

(あ、れ……?)

 妙にどきどきする。
 ガウリイは信じられない思いでリナを見詰め、さっきから自分を揺り動かす感情を確かめる。
 リナが愛しい――小さいものや愛らしいものを守りたい、という温かいほんわかとした気持ちとは違う、もっと熱いものがぐるぐると渦巻いている。
 グローバと自分との会話を思い出す。

(何が、「そういう対象に考えられない」だ)

 ほんの少し前にそう言い切った自分をガウリイは嘲った。
 あれこれ考えても、心に気持ちが追いついてないだけだった。わかってしまえば何もかもがあるべきところにすとんと収まる。
 ――あとは、心に従って素直に動いていくだけだ。

「リナ」

「へ……」

 まだ顔を赤くしたままのリナにガウリイは再び顔を寄せた。
 今度はリナが痛がらないよう――少し悩んで、自分の顔の中で一番柔らかいと思われる唇でリナの頬に触れてみる。
 リナはぴく、と体を揺らしたがそれだけだった。

(よかった、嫌がられてない)

 安堵し、ガウリイの唇はリナの頬の丸みをたどった。ごく自然に、ただそうしたいという願望に従ってその小さな唇にたどりつこうとする。

「ちょ、ちょっ……」

「ん?」

「や、ガウリイ……」

 耳にリナの声が近い。こんな頼りない声も出せるのか、と思いながらガウリイは押しのけようとする手をそっと掴んだ。そのまま唇を――

「……調子に乗るなああああ!!」

 リナの頬の柔らかさに陶酔しているところを容赦なくしばかれ、ガウリイは床にキスをする。がばっとすぐさま起き上がるが、両手にスリッパを構えてリナは暴れてきた。

「こ、こらっリナ! 体調悪いんだからもっと大人しくしてろ!」

「うるさいっあんたのせいよっ! この破廉恥オトコ!!」

 そのままガウリイは部屋から叩き出された。
 ばたんと大きな音を立ててドアが閉まり、がたがたと慌てて施錠する気配がする。魔法が使える状態だったら、きっと重ねて施錠の魔法もかけただろう。
 こっそり肩を揺らして笑い、ガウリイはドアの向こうの彼女の様子を想像した。
 やたら楽しくて、うきうきする。
 今まで目を向けなかった『これから』を考えて、ガウリイは朗らかに笑った。











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