可変のモノ 4「おーい馬ー!」 名前はなんだったか。 少しは考えたが思い出せないのですぐに諦めて、ガウリイはとりあえずそう叫んだ。 霧のたちこめる湖のほとりで声を張り上げる。 「今日、リナは来れないぞー! ごめんって謝ってた! ……オレはちゃんと伝言伝えたからなー!」 森の木立はガウリイの声を吸い込んで葉をさわさわと鳴らした。 かのユニコーンに聞こえているかどうか不明だが、リナの前にしか姿を現さないのならこれがガウリイにできる精一杯だ。宿屋に残してきたリナも、『彼』には会えないだろうからそれだけでいい、と言っていた。 もう用事はないと帰ろうとしたところ――森の奥から近付いてくる、思わぬ気配にガウリイは立ち止まる。 「……オレ、乙女じゃないぜ」 「そんなのわかってる。ボケが」 ぼんやりとした霧の中から真っ白いユニコーンが現れる。 目線だけだったらガウリイと同じ高さにあるが、角の高さがあるぶん偉そうに頭を上げ、正面に立ち止まると尊大な態度で鼻をふんッと鳴らした。 「お前がただ私に会いに来たなら、無視するか蹴って追い返すさ。リナの使いだから会ってやるんだ」 「そりゃどうも」 「さもなくばお前みたいな穢れた人間と会話なんぞせん。 ふう、こうしてるだけで虫唾が走る……全身がハゲてしまいそうだ」 「おー。そしたら涼しくなっていいんじゃないか?」 「………………」 馬にジト目でみられる経験なんてそうないかもと思いながら、ガウリイはいつ激昂されてもいいよう油断なくユニコーン――グローバ、との距離を計った。はたから見る者がいたらこの剣呑とした雰囲気に、一人と一頭の間に激しく散る火花を連想しただろう。 「……リナは体調不良だ。 本人は明日には来るつもりみたいだけど、数日は寝かせておきたいところなんだよな」 「そうか。リナに『無理はするな』と伝えておいてくれ。 おい、わかったか? ちゃんと伝えるんだぞ!」 「なんでそんなに疑う……それくらい覚えられるぞ」 「お前の脳味噌が単純な働きしかできない、とリナが嘆いていたからな。リナに会うまでに忘れやしないか心配だ」 確かに記憶力に自信はないと胸を張って言えるが、ユニコーンにまで心配されてしまう事態にガウリイは渋面を作る。 「まったく、リナはオレのことどう言ってるんだ……」 「『戦闘のときだけ頼りになる』んだろ、『自称保護者』さん」 馬のくせに嫌味まで言えるのか、とガウリイは半ば感心した。 くつくつと――ユニコーンなので笑顔までは作れないがその愉快そうな声音はガウリイをからかっていた。 「んなことまで話してるのか、リナは」 「リナは私には包み隠さず何でも話してくれるぞ。 私たちは種族の壁を越えて――魂の、深いところで理解しあってるのさ!」 今度は惚気ときた。 しかも魂で理解しあってる、なんて! お前なんざ依頼の調査対象なだけだ! と思わず暴露しそうになるところをガウリイはぐっと堪える。 「オレはもう3年以上も一緒に旅してるんだ。ほんのちょっとしかリナを知らないお前が、リナの何を理解してるっていうんだ」 「愛に時間は問題ではない。 出会った瞬間に私はわかったぞ。彼女は私の特別な存在になると!」 「お前の判断基準は処女かそうでないかくらいだろ!」 「む、そうきたか……しかし彼女がどれだけ私に心を開いてくれてるか、お前には想像もつかないだろうよ!」 「なにおう!?」 「では彼女があの街で売られているもので、一番何が好きか知ってるか!?」 「うう? あの街で……? あ、あれだ! あの『割ったら黄金色! ほくほく焼き芋』だろッ」 「ブー! 正解は『午前中で売り切れ御免、さっくりカレーパン』だッ!!」 「ち……畜生! じゃあ、リナの体で『弱いトコロ』がどこか知ってるか!?」 「クックックッ……耳、だろ?」 「なんで知ってる!? さてはお前、舐めたなあっ!?」 「じゃれ合ってたら自然わかることさ……」 勝ち誇るグローバにガウリイは地団駄を踏んで悔しがる。 悔し涙さえ浮かべつつ、グローバをぎりっと睨み付けた。 「じゃあこれはどうだ……リナの生理が何日周期か知ってるか!?」 「そんなの私にわかるわけないだろっ! この、変態!」 「お前に言われたくねええ!! 処女にしか懐かないなんて、お前のほうがよっぽど変態だろうが」 「人間の尺度でものを測られても困るな。 だってどうしようもなく好きなんだからしょうがないじゃないか」 「あ、開き直りやがった」 「人間どもが金や宝石を大好きなように、私だって惹かれてやまないものがあるのさ」 それは、運命で定められている――まるで詩人のようにグローバは語るが、有り体に言えば本能なのだろう。 「では逆に問うが。お前はなぜリナに付きまとうのだ?」 「……おい。理由をつけて付きまとってきたのはあいつのほうからだぞ。まあ、今はあぶなっかしくって放っておけないから一緒に旅してるけど」 するりと言える、理由。 どこでもそんなふうに説明してきた。 こういった問いをしてくる者にそれで納得させてきたし、リナもこれにツッコミはするが特に否定しない立派な『理由』になっているはずだ。 「で?」 「で? ……って言われても」 「そこから先は? 何も考えてないのか? お互いじいさんばあさんのヨボヨボになるまで今までのようにやっていくつもりと?」 ユニコーンの、大きく円らかな瞳でじっと真剣に見据えられ、ガウリイは答えに窮する。 「私が処女に惹かれるのはな、それが咲き誇る花のようにほんの一瞬の輝きに見えるからだ。 人間はすぐに年を取り、死んでいくだろう。それまでに所帯を持ち、子孫を残さねばと考えないのか?」 「……急に大げさなこと言うなあ」 「私が言うのもなんだが、それが人間の摂理ではないのか?」 「まあリナは大切な人だとは思うけど……」 ガウリイはじっと考える。リナがこの表情のガウリイを見たらさぞかし驚いて、脳味噌が沸騰しやしないか心配しただろう。 (リナは……『大切な人』だ、うん。他に言い様がない) 護ってやりたいし、側にいてやりたい。 笑顔でいられるよう、あれ以上悲しい涙を流さないよういろんな悪いもの全てから彼女を庇護したい。 それを、そのリナをどうこうしたいというところまではとても考えられなかった。無理に想像しようとしても思考がぴたりと止まる。 「……リナをそういう対象に考えたこと、ない。 やっぱり家族みたいなもんで――オレたちは今のまま、ずっとそうやって続いてくような、そんな気持ちなんだ」 グローバはぱちぱちと瞬きをする。 表情に乏しいので何を考えてるのかわかりにくいが、呆れている様子があとから声音で解った。 「人間のくせに、悠長な奴だ。リナの言うとおりお前はとんだ愚か者だな。 では私は去る。リナにしっかり休めと伝えておくんだぞ……」 「へ、おい。ちょっと、ま……」 もう話すことはないとばかりにユニコーンはガウリイを振り返ることもなく去っていく。純白の毛色は薄霧にまぎれ、あっという間にその姿は遠ざかっていった。 「『惹かれてやまない』、か……」 自分がリナを大切に想う気持ちはきっとずっと、いつまでも変わらないだろう。 しかしいつかは自分たちの何かが変わる日が来るのだろうか。 それはガウリイにとって、とても想像がつかなかった。
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