魔道シッター

「いや~、本当にこのタイミングでいらしてくれてよかった!」
 まるでカーテンのような厚手のローブをまとった評議長さんが、あたしの手を取って喜ぶ。
「なにしろ人手不足で……ここの近所に住んでる奥さんに最初お願いしてたんですがね、風邪をひいたと連絡があって困ってたんですよ」
「はあ……」
 魔道士協会のためにほんのちょっと手伝って欲しいと懇願され、断るに断れないあたしは曖昧に頷いた。同行して巻き添えになったガウリイも困惑の視線をあたしに送ってくる。
 そんな「できるのか?」って言いたげな顔をするんじゃない!
 断れなかったんだから仕方ないの!


 たまたま着いた街でふらりと魔道士協会に寄ってみれば、これから称号授与式があるとかでみな忙しそうにしていた。ガウリイに出直しましょうと言い、あたしは去ろうとしたのだが――あたしの来訪に気付いた評議長さんに引き留められてしまったのだった。


 協会の一室であたしとガウリイ、そして評議長さんの三人でじっと待つ。
「……遅いわね。もう授与式の始まる時間じゃないですか?」
「すぐ来ると思いますんで。授与式の間だけ、どうぞお願いします」
「授与式、早めに終わらせてくださいね……」
「わかっております」
 あたしたちがそんな会話をしていると。
 コンコンと控えめなノックの後にドアが開いた。
「評議長さま、遅くなりました! ただいま参りまし――うぐっ!」
 開いたドアから顔を出したのは若い女性。そしてその女性は両肩に大きく膨らんだカバンを下げており、室内に入る際に荷物がつっかえて呻いたのだった。
「エリアさん、さあ急いで! もう授与式の準備はできておりますぞ! お子さんはこのお二人にお願いしてくだされ」
「はいっ」
 荷物をなんとか室内に運び込み、エリアと呼ばれた女性があたしの正面に歩み寄る。そして、彼女の肩から腰に横掛けにされている布の包みを開き――そこから、ぷくぷくとした頬にまだ髪も薄い赤ちゃんをそっと取り出したのだった。
「ちっさ!?」
「生まれて二か月になります。出発する時間ぎりぎりまで授乳してたので遅くなってしまって……よろしくお願いします!」
 あたしは差し出された赤ちゃんをおずおずと受け取る。ふにゃふにゃとした感触と、それでもずしっとした重みに思わず腕が緊張してしまう。故郷で子守りのバイトをしたこともあるけど、何年も前のことだし……お世話をしながら手順を思い出すしかなさそうだ。

 エリアさんは大きい荷物をどすんと置いて中身を次々に取り出し、あたしに説明をし始めた。
「これはお着換えです。3セット入ってます。これは肌寒い時のための上着です。おしめは念のために10セット持ってきました。こっちの袋にはおしゃぶりや音の出るおもちゃとかいろいろ入ってます。このタオルは寝るときの敷布団とシーツと毛布。このタオルはよだれを拭くときのものです。これは体を拭くためのタオル。これはお尻用ですので間違えないで。汚れ物はまとめてこの袋に入れておいてください。これは哺乳瓶です。たぶん大丈夫と思いますが、万が一お腹がすいた様子があればこの携帯用ポットに適温のミルクが入ってますので、移しかえて飲ませてください。でも気分で飲んだり飲まなかったりします。油断するとすぐ吐き戻すので飲ませたあとはゲップが出るまで縦抱っこです」
「……へ? え? ええ?」
「おいリナよ……赤ちゃんの子守りってこんなに大変なのか……?」
 怒涛の説明に戸惑うあたしの後ろで、ガウリイが不安げにつぶやいた。
 そうするうち、母親から離れたことに気付いてしまったのか……あたしが抱っこしている赤ちゃんがもぞもぞと身じろぎをし――
「ふぇぇええ~」
「あっ、よしよ~し、お母さんまだそこにいるよ~いますよ~」
「じゃっ! 私、行きますね!」
「ああっちょっと待ってえええ!」
「ちょっ……いいのか? 赤ちゃん泣いてるぞ?」
「この子よく泣くんです。眠いとき、暇なとき、部屋が明るいとき、暗すぎるとき、抱っこの角度が気に入らないとき、夕方になったとき、なんだか不機嫌なときとか泣くんで!」
 指を折々、エリアさんは言う。
「それっていつも泣いてるってことじゃ……?」
「あながち間違いじゃありません。でもそんなもんなんです!」
 きっぱり断言された。なんか開き直ってないか、エリアさん……。
「ほれっもう時間ですぞ!」
「むーくん、お母さん行ってくるからいい子にしててねっ」
 評議長に背中を押されながらエリアさんは行ってしまった。
 部屋に残されたのは、火のついたような泣き声を上げる赤ちゃんと茫然とするあたしたちだけ――。


*****


「たしか、むーくんって呼んでたな」
「じゃあ男の子かしら」
 あれからどうにか赤ちゃんを泣きやませようと二人で奮闘した結果――ガウリイが片手に寝かせるように抱っこした状態にし、窓際のカーテンがひらひらと動くのがちょうど見える位置に立ち、じっとせず揺らしていると泣きやむことがわかったのだった――つうか、エリアさんが戻ってくるまでずっとこうしてなきゃいけないわけ?
「よーしよーし」
 赤ちゃんに言い聞かせながらガウリイはゆらゆらと揺れている。
 さっきから休むことなくずっと、だ。
「意外に子守り上手いじゃない。ガウリイ、やっぱりひとりやふたりは子供がいるんじゃないの~?」
「だから、いないって前も言っただろ」
「ふうん。でも手馴れてるように見えるわよ?」
「こんなん、ただ抱っこして揺れてるだけだろーが」
 確かに今は落ち着いて抱っこしてるけれど、最初にガウリイに抱っこさせたときは首を支えることも知らない様子だったんで、赤ちゃんのお世話をするのはこれが初めてなんだろう。
「ガウリイは子守りのバイトとかしたことないの?」
「ないな~。リナはよくやってたのか?」
「故郷じゃ赤ちゃんの子守りは子供のオーソドックスなアルバイトよ」
「へえ、そりゃ頼もしい」
「子守りなんて数年ぶりなんだけどね」
 あたしはガウリイに抱っこされてる『むーくん』におもちゃのガラガラを振るが、興味なさげに無視された。

「エリアさん――妊娠中に論文を書き上げたらしくって、それが評価されての称号授与なんですって。旦那さんは行商人で今の時期は不在なんだとか」
「一人で赤ちゃんの面倒見てるのか……大変だな。おおよしよ~し。でもなんで授与式は時間がかかるんだ? ぱっと終わらせればいいだろ」
「なに言ってんのよ、授与式ってのは協会の面子に関わるのよ。寄付してくれる人や権力者に活動報告しないといけないし、来賓は見栄を盛り込んだ立派な挨拶を長々としなきゃいけないし、日ごろ協会の活動を支援してくださってる地域の方々はここぞとばかりに舞台で隠し芸を始めるもんなのよ!」
「な、なるほど……そりゃ時間かかるわけだな……」
 窓から見える大講堂の出入口には何も変化がなく、授与式はまだ続いている様子だ。あとどれだけ待てばいいんだろう? いや、抱っこしてるのはあたしじゃなくてガウリイなんだけどさ……。
「ガウリイ、疲れない?」
「ぜんぜん」
「ずっと揺れてるし」
「だってほら、オレが動かないと……」
 言いながらガウリイがぴたりと静止する。すると無表情だったむーくんの顔がくしゃりと歪みだした。
「……う、ふぁぁあん!」
「あああほらほら、大丈夫よー」
「よーしよーし」
 ガウリイが再びスイングすると、ぴたりと泣き止む。
「……延々こうしてなきゃいけないって大変ね……」
「どうってことないだろ。あのエリアさんよりは大変じゃないはずだ」
「ガウリイ、えらいわね」
「いやあ。オレって我慢強いから」
「子守りに向いてるわ。あんたっていい――」
 父親になれそう、と言いそうになったあたしははっと口を閉ざす。
 いや、別に他意はないのよ。
 なのにその台詞はなんだか気恥ずかしくて、言えない。

「どうした?」
「どうもしてない」
 怪訝な表情のガウリイには答えず、あたしはむーくんの小さな手に触れた。反射的にか、むーくんがあたしの指をぎゅっと握り締めてくる。
「ふあー、ちっさな指に爪! かぁわいいわねえ」
「なあ、リナ」
「あによ?」
 むーくんばっかり見ていたあたしは、顔を上げたそのときに――やっと、ガウリイとの距離の近さに気が付いた。
 あたしと、腕に抱えるむーくんにわずかに屈み込むガウリイはいつもより顔が近い。なぜか真剣な眼差しで、あたしをまっすぐに見下ろしていて。胸が勝手にどきりと音を立て、あたしは彼から視線をそらすことが、できないでいた。

「ガウ、リイ?」
「リナ……」
「な、なに……?」
「おしっこ」
「は?」
「むーくん、おしっこしてる」
「ええ!?」
「手がぬれた……」
 ガウリイが眉間に皺を寄せた。


「ええっと、これでおしりを拭いて、新しいおしめに替えて……ガウリイ、もっとむーくんの足広げてよ!」
 むちむちの足をばたつかせてキックしてくるんで、おしめが替えにくいったらない。
「リナー!」
「なによ!?」
「むーくん、すごいガニ股だ! これってどうやって直すんだ!?」
「赤ちゃんはそれが普通なのよっ!」
「すげーな、関節柔らかいな」
 おしめを替える感想がそれかい。
 完璧ではないにしてもなんとかおしめを整え、あたしはむーくんを抱きあげる。
「これでお尻キレイになったわよ~」
「うぇ、え……」
「え? あれ、ちょっと……」
「ふぅええ!」
 むーくんがむずがってじたばたし始めた。
「よしよし……おしめは替えてあげたし、お腹がすいたとか?」
「リナ、代わろう」
 あたしから受け取り、ガウリイが抱っこをするととたんにぴたりと泣き止む。
 ガウリイの左腕にちょうどよく乗って抱っこされてるこの定位置が落ち着くようになっちゃったんだろうか……?
「オレの抱っこが気に入ったみたいだ」
 言って、ガウリイは再び揺れながらむーくんをあやし始めた。
 穏やかな、静かな声で呼びかける姿は様になりすぎである。
「……勝手に揺れ続けるし疲れないし文句言わないし、あんたって赤ちゃんのいる家に一人は欲しいアイテムね」
「便利な道具扱いすんなっ」
「冗談よ」
「あ、なんか笑ったかも」
「本当?」
 むーくんは今度はガウリイの髪に興味が湧いたようで、そのひと房を目で追いながら微かに笑っている。
 きらきらしてキレイだもんね、そこから見てたらカーテンより面白いかも。
「あぶぶー」
「わ、ご機嫌。かわいいわね~」
 あたしもガウリイも、つられて目を細める。

 いつか――こんなふうに、赤ちゃんを挟んで二人で笑うような、そんな未来があたしたちにも訪れるんだろうか?
 や、ガウリイは自称保護者なだけで、好きだとかケッコンだとか、恋愛を匂わせるようなものはあたしたちには何もないんだけどさ……。

 そんなことをぼんやりと考えていたあたしの耳に、外からのさわさわとした喧噪が聞こえてくる。窓に目を向けると、大講堂から大勢の人たちが出てくるところだった。
「授与式、終わったんだな」
「あ~あ、もうちょっと子守りしたかったわ」
「そうか? オレはもういいかな……」
 ガウリイはこりごりと肩を竦める。そんなに嫌がってる様子もなかったけど、子守りは楽しくなかったとか……?
「なんでよう、むーくんかわいいじゃない。もしかして、そんなに子供は好きじゃないの?」
「好きじゃないっつーか……まだ会話のできるくらいの子だったらちょっと遊ぶだけで喜んでくれるだろ? でも、このぐらいの赤ちゃんはよくわからん。扱いが難しくて、かわいいとか思う以前の話なんだよ」
 うーん、ガウリイがいくら優しい男だからといって、急に父性を求めるのも無理があるのかもしれない。
「それもそうね、何を要求してるのかまだわかんないし……そこに『愛情を持て』って突然言われても、男の人には難しいかもね」
「だろ? まあ、リナとの子供だったら違うのかもしれんが」
「……んん?」
 今、さらっとなんて言った?
 あたし『との』子供?
「……あ」
 ガウリイがしまった、というふうに片手で口を押さえる。
 なにそれ、失言なの? なんだか顔も赤くなってない?
「ガ、ガウリ……」
 挙動不審になっているガウリイに、その真意を問い詰めようとするあたしの口調も上擦っている。
「今、ガウリイ、なんて……」
 うろたえるガウリイを見詰めながら、あたしがひとつひとつ言葉を繋げていたそのとき、廊下をバタバタと駆ける騒音が近付き――

 どばん! と部屋のドアがけたたましい音を上げて開かれた。

「むーくううぅぅん! 無事ぃぃいいい!?」
 授与式を終えてローブをまとったエリアさんがあたしたちに突進し、むーくんをガウリイからがっしと奪い取る。そして、むーくんを抱きしめながらおいおいと泣き始めたのだった。
「ごめんねっ! むーくんの子守りをお願いしたのが、まさかあの『リナ=インバース』だとは知らなかったのよぉぉおお!」
「ちょっと待て。どーいう詫びなのよそれは!?」
「やめろリナ、余計に怯えるだけだぞ」
「あぶぶうー」


*****


「まったく……人助けと思って子守りしたのに……あたしは人食い鬼かっ!?」
 ぶつぶつ言いながら歩くあたしをガウリイが宥める。
「いいじゃないか。少しだけど謝礼ももらったんだろ?」
「そうだけど……」

 あのあと、ガウリイと二人でどう子守りをしたのか細かく説明したらエリアさんはやっと安心してくれたようだけど。押し付けるように子守りをさせておきながらあの扱いって……。
 未だ唇を尖らせるあたしの頭を、ガウリイがぽふぽふと撫でてきた。
「それに、いい練習になった」
「……ガウリイの?」
「あー、うん」
 それは誰との赤ちゃんを考えてなのか――口がもぞもぞするけれどとても聞けず、あたしは言葉を飲み込んだ。

 並んで歩きながら隣のガウリイをちらりと見る。
 子守りのとき、ずっとむーくんをちょこんと乗せて抱っこしていたガウリイの左腕は今はからっぽ。だけど、またその腕に赤ちゃんを抱っこして、お世話に焦ったり優しい顔であやしたりする彼の姿が、幻影のようにあたしの脳裏に浮かぶ。
「ねえ、ガウリイ――」
 言って、あたしはそっと彼の左腕に触れた。

■ 終 ■


真剣に見合う二人の間で粗相する赤子ってのは王道パターンだと思うんです。
タイトルは魔道士とシッターをかけただけです。
あと、むーくんの名前はムンディルファリです(どうでもいい設定)
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