帰省

 音を立ててキャリーカートを引きつつ、リナは懐かしい家路を歩いていた。歩き慣れている道だけれど、カートの小さい車輪は思わぬところに取られてがたがた揺れる。でも夏服はかさばらないのでそれほどカートが重くないのが救いだ。
 横断歩道を渡り、路地を曲がって駅からさほど時間もかからずに見えてくる目的地――進学後もたびたび実家に戻ってはいたが、長期になる帰省は初めてだ。大学に進学してから初めての夏休み、リナが実家を出てから半年も経ってはいないけれど、懐かしい気持ちが胸いっぱいに広がる。

 久しぶりに母親の手料理を堪能できるし、洗濯や掃除といった一人暮らしの家事からも解放される。地元の友達に連絡して遊びやショッピングに行こう。それから部活の後輩にも会いたいし、それからお気に入りのパン屋のチョココロネも食べたいし、それからそれから――

 胸躍らせながら実家のドアを開け、ただいまーと言いつつカートを玄関わきに置く。もう夕飯の支度をしているのか、キッチンからのいい匂いがリナを出迎える。
「おかえり」
朗らかに笑顔を見せながら、キッチンに立つ母親が振り返る。
「とーちゃん、もう帰ってきてるの?」
「今日リナがくるからって、仕事を早く切り上げたのよ」
さすが娘に甘いとーちゃん、と思いながらリナはリビングに飛び込んだ。
「ただいまー」
「お、おかえり、リナ」
「あ~移動で疲れた!」
 ソファに座り込むとリナはテーブルの上に置かれていたつまみを口に放り込む。ソファがなんだか生ぬるい気がするが、外を歩いてきて自分が熱くなっているせいだろうと小さな疑問はすぐに掻き消えた。
「このCM見るの、久しぶり。帰ってきたって感じするわ~」
 自分ひとりの『城』であるマンションの部屋もいいけれど、やっぱり住み慣れた実家は居心地が良い。リビングのテレビを見ながら、父親とむこうでの生活について少し言葉を交わした。
「……ところで、リナは流行りの番組とかタレントに詳しいよな?」
「ん? 普通よ、普通。特別詳しいってほどじゃないし」
「じゃー、ガウリイ=ガブリエフってやつは知ってるか?」
「知ってる知ってる」
 テレビでは高校生のころによく観ていた情報番組が始まった。リナはテレビから視線を離さず父親の質問に答える。
「モデルで有名になった人でしょ。背の高い。つか最近から俳優もやり始めたわよね。ときどき出てるのみかけるけど、大根よね~! 立ってるだけで様になるんだからモデルだけやってればよかったのに。あ、こないだの原作が小説のドラマにもちょい役で出てたわよ。来週から始まる連続ドラマにはゲストで出るんだって。 そろそろ映画にもチャレンジするかもって噂だけど、どうなのかしら?」
「け、けっこう詳しいじゃねえか……」
 リナは苦笑を浮かべる。
「学校にすっごいファンの子がいるのよ。記事とか切り抜きとかあったら持ってきてってお願いされるし、こっちが聞かなくても『ガウリイさま~v』っていろいろ聞かされるから、情報が勝手に入ってくるの!」
「じゃあリナは、ヤツに特別興味があるってわけじゃないんだな?」
「そらそうよ」
 なぜこのようなことを聞いてくるのだろう?
 テレビから父親に視線を移すと、父親はリナではなく、リナのそのちょっと上に視線を向けている。
「……そいつなんだがな、トイレで外しててな、今お前の後ろにいる」
「とーちゃん? 何言っ……にょわああああ!?」
 何気なく振り返るリナのその後ろ、さっきは確かに誰もいなかったはずの空間に図体のでかい男がにこにこと微笑みながら立っている。
「どもー。初めまして」
 笑うその顔は、確かにテレビや雑誌で見たことのあるもので。
 ソファから落ちそうになるのをどうにかこらえて、リナは「ががガウリイ=ガブリエフ!」と声を上げた。
「てめえ、気配消して近付くなんて悪趣味だぞ」
「いやぁ。なんかオレのこと褒めてるみたいだったから照れくさくて」
「ぜんっぜん褒めてないし!」
  思いっきり大根役者呼ばわりしてしまった気がする。いつのまに、どのあたりから後ろにいたのだろうかとリナは顔をひきつらせた。ガウリイはといえば、挨拶はすんだとばかりにリナのとなりにどっかと座り込んだ。二次元で見慣れているその人が、実際に手の届く距離にいるというのはどうにも違和感がある。
「とーちゃん! なんで、その、彼がうちにいるの!?」
「あー、それは……」
「今、ガウリイさんうちに下宿してるの」
 父親の言葉をさえぎって、おぼんに人数分の麦茶を用意した母親がリビングに入ってきた。
「げげげ下宿!?」
 それはつまり、リナの実家にこのガウリイ=ガブリエフが住んでいるということなのだろうか。
「前から知り合いだったんだがな、ガウリイが『引っ越し先探してる』ってんで、ちょうど部屋が空いてるからうちに下宿させることにしたんだ」
「知り合い!? そんなの今まで聞いたことなかったけど!」
「特別言う必要ないだろうと思ってな」
「結構前からよね? あのころはまったく無名だったのに人気者になったわね~」
「今どうにかやっていけてるのも、昔おっさんにいろいろアドバイスしてもらったからかな」
「おっさん言うんじゃねえ!!」
 なんだかあまり尊敬の念は感じられないが、父親と軽口を交わしながらもガウリイはリナの実家にすでに馴染んでいる様子だ。
「ルナは就職、リナは進学で家を出ちゃったでしょ? 二人がうちを出てから、かーさんはついついご飯を作りすぎちゃうし、とーさんは静かすぎて張り合いがないのかつまんなさそうにしてるし……空の巣症候群ってあるじゃない? そんな感じだったからガウリイさんがうちに来るのもちょうどいいかな~と思って」
「そんな『さみしいから犬を飼う』レベルに話をされても……」
 現実についていけず、額に手を押し当てるリナの肩をガウリイがぽんぽんと叩いた。
「つーわけで、これからよろしく」
「あ、はあ……」
「そうだガウリイ、これだけは言っておくがな、リナに妙な気は起こすんじゃねえぞ!」
「ちょ、ちょっととーちゃん、妙な気って!」
 その発言に顔を上げたリナとガウリイの視線がかち合った。
「おっさんの娘に? ないない!」
 ガウリイはぱたぱたと手を振りながらあははと笑った。
「オレ、最初見た時に中学生が座ってんのかなーと思ったし」
「しっ、失礼ね!」
「だからお嬢ちゃん、安心してくれ」
「あたしはもう大学生よ!」
 噛み合わない二人の言い争いを傍観しながら、父親はうんうんと頷く。
「唯一の懸念事項だったんだが、どうやら大丈夫そうだな」
「さあ、どうかしら? 案外……」
 なんだか楽しそうなガウリイの笑顔を見ながら、リナの母親は一つの予感に口元を綻ばせた。

■ 終 ■


一つ屋根の下!スキ!
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